失敗を描かない物語はあるだろうか。
たぶんないと思う。
失敗してから成功したほうが面白いから、
という単純な理由もある。
しかし実の所、
「それが成功だと確信するために、
先に失敗を描いておく」のではないだろうか。
ただ成功の場面を描くと、
それが成功かどうか、
我々の知らないジャンルでは分らないものだ。
「好きです」と告白したあとに、
うなづいて応えればそれは成功だとわかるのは、
私たちがよく知っている出来事だからだ。
まったく違う架空の外国の風習があって、
たとえば「告白に対して青い布を落とす」
という国の話なら、
初見で私達がわかるはずがない。
こういう場合、
先に他の成功例を見せておくことや、
一度失敗を見せておくことで、
何が成功/失敗になるのか、先に見せておくとよい。
誰か友だちが青い布を落とされた場面を描いたり、
自慢されたりする場面や、
主人公が赤い布を落とされる(断るの意味)
場面を先に振っておくと、
成功の場面がとても分り易くなる。
これは、前記事の内容とも関係している。
伏線は、突然を理解させやすくなるわけだ。
逆に突然の場面を理解させるために、
伏線で説明をしておくのである。
(一般に、伏線は「あとで使うもの」と限定されすぎだと思う。
前提になり暗黙の了解で参照されていれば伏線だと僕は考える)
手慣れた観客は、
そのような伏線を示されると、
「ああ、ラストは主人公に青い布が落とされるのだな、読めた」と、
「醒めてしまう」と作者が恐れることがある。
だから前振っていたものをひっくり返したがる(逆張り)。
しかし醒めるのではなく、
期待させるように持っていけば問題ない。
前振りはネタバレではなく、期待になるべきだ。
期待させるように振れないのは、説明が下手で、
焦点を次の成功に集中できていないからである。
ということで、
私達の知らない、どんなものでも、
本人の失敗と、他の人の成功を見せることで、
私達は類推できるようになる。
ラストの大成功の場面で、
それが大成功だと確信出来ることになるわけだ。
もし、クライマックスの大成功に観客が確信がないなら、
カタルシスは半減してしまうだろう。
成功だと分かるように、
説明をそこで入れても魅力は半減してしまう。
たるくなるからね。
何が成功したことなのか見た目で一発でわかるように、
それまでの流れでわかるようにしておくとよいだろう。
近年でのその最も劇的な例は、
「ダンガル」における、
レスリングルールの説明での逆転ポイントの説明と、
その実現であったと記憶する。
見え見えの伏線だったろ?
それでも燃えたよね?
丹念にやればやるほど、
どんなものでも、
一発でそれを描けるから、
それがカタルシスになるに違いない。
失敗を描くことは大切だ。
何が成功か、
わかるようになる。
人生も同じで、
失敗した人ほど、何が成功か実感できる。
2019年03月28日
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