2019年03月30日

モチーフとテーマ

作品にはモチーフとテーマがあり、
それは別々の意味である。
モチーフとは「作品で使われている具体的なブツ」
のことであり、
テーマは「作品全体で立ち現れる明快な意味」
のことである。

テーマとモチーフは異なる。
水をモチーフにして、異なるテーマを語ることは出来るし、
「愛は地球を救う」をテーマにして、異なるモチーフを使うことができる。

しかしながら、
ほんとうのところ、
モチーフとテーマが、表裏一体になることが理想だ。


現在粛々と発表がすすんでいる、
「てんぐ探偵」を例に解説してみる。

この物語は、
天狗の力を秘めた少年が、
妖怪「心の闇」を退治する、
というのが大きな枠組みだ。

モチーフは、天狗、妖怪、心の闇だ。

書き始めた当初、
作品全体のテーマはなんなのだろう、
ということは完全には見えていなかった。
しかしながら、
「うっかり落ち込みがちな落とし穴のような心の闇から脱出するには、
落ち着いて客観的に考え、理性を取り戻したり、
安心して周りを見ればよいのだ」
あたりのことを書くつもりではいた。

さて、
書き始めて、そうだなあ、2章くらいまでは、
なんだか違和感を覚えながら書いていた。
とにかく頭の中から湧き出てくる話を、
ただ書き留めたいという欲望もあった。
(これは初期衝動なので大事にするべきだ)

たしか火吹き男の話で、
偶然「火よ在れ」って台詞が出てきて、
それでようやく腑に落ちた経緯がある。

その辺のことを言語化して書いてみようと思う。


今ならわかるが、
違和感の正体は、
モチーフとテーマが一気通貫していないことだったのだ。

天狗と妖怪と心の闇は、
それぞれにたいへん興味深い題材ではあるが、
それが並ぶこととテーマとが、無関係に見えるわけだ。

書き始めた当初は、
「現代特有の心の闇なる現象を、
天狗が象徴するような、昔の知恵とか集団が、救う」
みたいなことを考えていたように思う。
つまり、21世紀と昔の対比。

しかしそれはうまく行かなかった。
僕は昔の知恵に明るいわけでもなく、
昔の知恵が現代を救う具体を描けるわけでもなかった。

そんなところに、
火というモチーフがやってきた。

火は文明の象徴であり、
知恵や理知、情熱の象徴でもある。
闇を払うのは火である。

そうか、火かと思った。

偶然かどうかわからないが、
シンイチの使う武器は天狗の火の剣である。
偶然出てきた「火よ在れ」というセリフは、
モチーフとテーマが、一気通貫した瞬間だった。

天狗が火の妖怪である、
というところを調べきれば、
あとはモチーフが繋がる。

なので僕は沢山調べた。
文献として天狗を研究したものは少ない。
しかし天狗を神として崇める修験道を知り、
修験道について調べていくと、
不動明王の火を使い、
そもそもそれは別雷の神にたどり着くことを知る。
色々あって、
天狗を火の妖怪としても問題ないことに確信を得る。
(このへんで調べたことが、
6章で光太郎が少しずつ解説されている。
ざっくり言えば、天狗は火山にいる)


さあ、モチーフが繋がった。
天狗=火、妖怪「心の闇」。
これらは対比的関係になる。
そしてテーマは、
「心の闇を払うのは、
知恵、文明、理性、情熱なる、心の火だ」
ということになるわけだ。

こうして、
モチーフとテーマは、同一のものを指し示せる関係に、
整理された。

そしてそれを象徴する言葉が、ごく短いキャッチコピーになっている。
「火よ在れ」だ。たった4文字だぜ。

この整理を受けて、
本来ならば序盤部分をそのように書きなおすべきだと考える。
冒頭の言葉は、「炎の巨人と黒い闇」の「闇にかざすのは炎だ。」
からはじめるべきだし、
仮に妖怪「誰か」からはじめたとしても、
モチーフがテーマの象徴になるべく、
書きなおすべきだと考えている。
ドントハレは結句として重要だが、
それよりも重要なのが「火よ在れ」という、
小鴉を抜く時の言葉ではないかと考えるようになった。

まあ、話を進めることに労力を割いているので、
完結したらきちんとリライトしたいなあ、
ということに保留している。現在の成長点を大事にしたい。



さて。

この例からわかるように、
面白げなモチーフがただ転がっているだけでは、
ストーリーにならない。
モチーフを組み合わせてストーリーを作ることは可能だが、
テーマと乖離していては、
そのモチーフは空回りである。

そのモチーフが最も効果的にテーマを象徴するようになるべきだし、
そのテーマを最も端的に絵にするとモチーフになるように、
なるべきだと思う。

モチーフとテーマは、だから、表裏一体になるまで、
練りこまれてしかるべきである。


当たり前だけど、
最初からそうなることはなかなか難しい。
「てんぐ探偵」のように、書いてる途中で発見することもある。
あるいは、最初からベストが見つかることも、ないわけではない。

そして、さらに良いモチーフとテーマの組み合わせを見つけられたら、
きちんとそれで背骨を通しなおすべきだろう。


世の中には面白そうなモチーフはごまんとある。
あなたが好きなものを沢山ならべてみなさい。
どれを書いても、見ても、ワクワクするはずだ。
しかしそれらを使って、
一気通貫するテーマを持つような、
面白いストーリーに仕立てることは、
とても困難であることは、
あなたも経験しているはずである。

では、モチーフを諦めてまずストーリーを書き、
テーマを象徴するモチーフを持って来れば良いのだろうか?
うまくハマればそうなるだろうが、
後付け感が半端ないと思う。
僕は「砂の器」は、無理矢理持ってきたそういうものではないか、
と昔から考えている。

卵と鶏のような関係に、
テーマとモチーフはあると思う。

どちらが後というわけではなく、
片方が片方に影響を与え、
その影響によって変化したものが片方に影響を与え…
というループが起こり、
これ以上分離できないシンプルなものになるまで煮詰められたとき、
鮮やかなモチーフと、
シンプルで深いテーマになるような気がしている。


「てんぐ探偵」第2期は、
先に予告しておくと、この6章で終わりだ。
プロットは8章で完結しているが、
7、8章は一文字も書いていない。のでしばらく休載します。

そして6章完結編のサブタイは「鞍馬炎上」。
炎というモチーフを最大限使った大仕掛けになっていると自負している。
そしてそれは、テーマをも暗示するわけだ。



モチーフとテーマは表裏一体。
そうなるのが理想であり、
そうなるまで練ろう。
何度も何度も書いては書き直していけば、
それに近づける。
posted by おおおかとしひこ at 12:34| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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