2019年04月05日

アイデアと実装4:イコン

もう少しこの話を続ける。

アイデアと実装は、イコンによって貫かれる。


そのアイデアが実装によって面白くなりそうだ、
という確信を得るのは、
それがイコンを持った時だ、
という話をする。


最初のアイデアを思い出そう。
「ブラックな会社で給料がどんぐり二個」
というものだ。

この場合、イコンは、
「手のひらにどんぐり二個落とされる」
ということになるだろう。
これが搾取の象徴になるというわけ。

しかし、それは絵として小さい
(物理的な大きさのことではなく、
アイデアとして矮小であるという意味)。

それに比べて、
僕が出した実装の絵、
「夜中先輩と鍋でどんぐりを煮る」とか、
「ハムスターのカラカラ回るやつにサラリーマンが入っている」
などの、大きな絵である。

大きな絵、小さな絵というのは、
物理スケールのことではない。
「どれだけ、よくある現実から離れているか」
ということだと思う。
平たく言えば、
「どれだけ見たことのない絵か」「どれだけ異常か」
ということだ。

しかも、その絵が、
「そのアイデアの象徴になること」を、
イコンというわけだ。


「搾取」という状況を、これらの絵で記憶する、
ということである。

搾取のイコンには、
たとえば「ピラミッドを作る奴隷に鞭打つ」
などがあるだろう。
(イコンと違って、実際には公共工事的で、
労働環境が良かったらしいが)

その絵と意味のペアにおいて、
新しい絵、異常な絵で、
どれだけ上書きできるか?が、
そのイコンの力であると言える。

そうでなくても、
「あのCMはこういう絵だった」
という一枚絵の記憶になるから、
それを象徴する一枚絵が、
会社で鍋を煮る絵や、ぐるぐる回るサラリーマンになるわけだ。

あるいは、他の例、
「ぼったくり」を象徴する絵が、
「太いおばさんの二の腕をもまされる」
というイコンになるわけである。



つまり、
アイデアは実装によって、
はじめて受肉することになるわけだが、
そのとき、イコンをもって受肉するべきだ。

そのことによって、
アイデアと実装は、不可分なものになるわけである。

相変わらずコロンブスの卵を出すが、
「卵の先端が割れて立つ」というイコンによって、
「不可能を可能にするアイデア」が実装され、
アイデアと実装が分離せず、
一体化した、
面白いものになり、
記憶に残るものになるわけだ。

以前出した例、
「ビジネスかと思ったら釣りの話だった」
がイコンを持つには、
そのアイデアを実装するキラーワード、
それを象徴する一番面白いワードがなければならない。

それを伴わない時点で、
そんなアイデアゴミ箱行きなのだ。

にも関わらず、
そのアイデアに固執することで、
膨大に時間を無駄にし、
変に愛着がわき、
もっと面白いアイデアを却下してしまう、
という現象が、
いま現場でよく起こる。


その実装が良くなるかどうかの基準に、
イコンが大きいかどうか
(異常度が大きく、記憶に強烈に残り、
そのアイデアといえばそのイコンに上書きされる)
を考えるといいだろう。


逆に、
アイデアを並べたとき、
その優秀さ加減を評価するのは、
そのイコンの大きさで荒選びをすることが出来る、
というわけである。

この大きさという基準は、あなたのセンスである。
世の中の平均を感知し、
それをどう上回るか、という距離感だ。
posted by おおおかとしひこ at 15:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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