それはターニングポイントであるべき、
という話。
気持ちの盛り上がり、危機の盛り上がり、
テンションの高まり、重大なこと、
これらはクライマックスに必要なものだ。
始まって、3分から遅くとも10分程度までに、
一旦ヤマが来るだろう。
それをオープニングのクライマックスと呼ぶことにする。
で、
それは、盛り上げて一旦休憩、
にしてはいけないということ。
なぜなら、そこで流れが途切れるからだ。
作者的に見ると、
苦労して盛り上げ、綿密に立てた計画を一気に放出したのだから、
休憩したくなるのはよくわかる。
しかし観客から見ると、
せっかく好調な滑り出しをしたのにテンションが下がり、
「頭だけだったな」となってしまうのはよく経験してるはずだ。
だから、
オープニングのクライマックスを、
切れ目にしないこと。
流れを途切れさせない最も有効なものはターニングポイントだ。
つまり、
そのクライマックスまでの焦点が、
一旦決着がつき、
「次の焦点が発生して、
興味がそちらへ移る」ようにするべきなのだ。
テンションは一旦落ち着いたとしても、
新しい焦点に話が移れば、
興味は持続する。
危機が去ったとしても、
落ち着いて次どうするべきか考えることで、
興味は持続する。
つまり、切れない。
たとえば開始5分、
へんてこな事件が起きたとする。
主人公はまず関わろうとするだろうか。
普通は避けたり逃げたりする。
厄介な人に追いかけられるとしよう。
それがクライマックスだ。
やっと振り切った。
だが、家に帰ったら、大家さんが同じ問題を持ってきた、
とかすればよい。
厄介な人から、同じ問題だが大家さんに焦点が移る。
なんだかおかしなことが起こっている、
という興味は持続するわけである。
このようにして、小さなターニングポイントで終わると、
次が書きやすくなる。
大家さんと話したり、誰かを呼び出したりと、
展開を作りやすくなる。
仮にターニングポイントで終わらせないとしてみよう。
へんてこな事件に巻き込まれ、
厄介な人に追いかけられる。
振り切った。
ああ、今日も大変な一日だった、
と夕焼けでも眺めて一日の終わりを感じるとしよう。
なんなら暗転してもいい。
で?
次のシーンが書けなくなるよね。
どうする?
次の朝何か起こる?
でもそれは前に伏線のないことだ。
関係ない話を始めてしまうと、
前のものとの連続性がない気がして、
何をしても繋がらない感じがする。
だからついつい、
「振り切った筈の男が、また現れる」と、
「これまでにあったことの延長上」
を続けたくなってしまう。
これは興味が薄れる。
一旦終わったことを蒸し返してもなあ。
で、
「追って来る男が二人に増えている」とか、
前のものを増幅して使いたくなる。
でも、焦点は同じものでしかないから、
そのうち飽きてくる。
こうして、つまらなくなってゆくのだ。
作者が休憩したくて夕日のシーンを書いてしまっているからだ。
せっかく始めた話が、そこで終わっちゃったんだよね。
一拍置いてしまったわけだ。
ただ休憩したから、休憩明けに同じことをしてしまった。
「男を振り切って家に帰ったら、
大家さんが同じ厄介ごとを持ち込む」と、
続きではあるが違う焦点にすると、
繋がりがあり、かつ新しい興味に写ることができるわけだ。
このように、
小さいターニングポイントで、
焦点をずらしていくことは、
プロット段階では(まだ)考えていないことが多い。
プロットとはもっと大枠を決めることであり、
執筆レベルのことは考えない。
逆にいうと、このような細かい、
シーンレベルやシークエンスレベルの構成は、
「書きながら考える」のが実情だ。
だから、
プロットという地図を横目で見ながら、
あなたはアドリブで、
シーンやシークエンスの構成や、
どこでどうテンションを上げ、
どう興味を誘導するのかを、
考え出さないといけないわけだ。
それのパターンが少ない奴は、
すぐに思いつきの発想が途切れ、
すぐに「これ以上思いつかない!」ってなってしまう。
だから、普段から短編を書け、というのである。
短編でいろんな実験を沢山しておけばおくほど、
とっさのアドリブが豊かになる。
このような途切れを感知し、
流れをつくるためにターニングポイントを創作するようになるわけだ。
さて、
うまく焦点を次へ移動させたことで、
ようやくオープニングは終わる。
真のクライマックス、
つまり物語のラスト付近までは、
このコツはずっと同じである。
すなわち、
興味を持続させるように、
次々と流れが途切れないように、
焦点を移していくことだ。
それはヤマでやってもいいし、タニでやってもいい。
2019年04月08日
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