2019年04月09日

エピソード

大きな話の中の小さな単位は、すべてエピソードである。
過去話もエピソードで、
現在のシーンやシークエンスもエピソードだ。
ストーリーとは、エピソードを編んでいくことだ、
といいかえることも出来る。


印象的なエピソードはどうやって決まるだろうか。
印象的な場面か。
印象的なキャラクターか。
印象的なセリフか。
印象的な表情か。
それとも、印象的な目的や行動や結果だろうか。
意外性だろうか。期待に応えるものだからだろうか。

それらすべての複合技だ。
一個が突出してよければ印象的になるかもしれないし、
何かが合わさって一本とっている場合もあるだろう。

で、場面だけを描いていては、ストーリーにならない。
それらを自然につないでいかないといけない。
つなぐというのは、
ただ並べるだけではなく、
前のエピソードが次のエピソードの原因になっていて、
今のエピソードは、前のエピソードの帰結になっていないとならない。
そうではない限り、
それらは並べただけのものになり、
ストーリーではないからだ。

つまり、ストーリーを書くには、
二種類の才能が必要だ。
印象的なエピソードを創作できる才能と、
それがぜんぶつながった時に、
どういう面白い全体像を作れるか、
という才能だ。
つまり部分と全体だ。

展開の焦点をはっきりさせたまま、
これらが編めるかどうかは、
訓練と才能の両方が必要だ。

部分を作りすぎて、
ストーリーとしてはバラバラだったり破綻があったり、
部分は印象的だが全体としては退屈
(たいていは目的がよくわからなくなり、何をしているか不明になる)、
というのはよくあるし、
全体を重んじるあまり、
部分のエピソードがたいして印象的でないため、
興味が持てなく、教科書的には出来ているものの、
個性がない、平凡なものに見えることも、
ままある。

いつも強烈なエピソードを創作し、
それらが繋がって全体をなすようにしなければならない。
まあ、それをうまくつくることが難しい。
あなたには何が足りないかは、
引いた目で見ないとなんともいえない。
部分と全体に配られた目があるかどうかは、
セルフチェックできると思う。
どっちが苦手なのか、考えてみよう。

ストーリーは、印象的なエピソードの集合体である。
有機的にエピソード同士が連関して、
はじめてストーリーになる。
そしてその結論が、テーマだ。
なんと難しい構造か。
それでも、面白いストーリーは最高なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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