大きな話の中の小さな単位は、すべてエピソードである。
過去話もエピソードで、
現在のシーンやシークエンスもエピソードだ。
ストーリーとは、エピソードを編んでいくことだ、
といいかえることも出来る。
印象的なエピソードはどうやって決まるだろうか。
印象的な場面か。
印象的なキャラクターか。
印象的なセリフか。
印象的な表情か。
それとも、印象的な目的や行動や結果だろうか。
意外性だろうか。期待に応えるものだからだろうか。
それらすべての複合技だ。
一個が突出してよければ印象的になるかもしれないし、
何かが合わさって一本とっている場合もあるだろう。
で、場面だけを描いていては、ストーリーにならない。
それらを自然につないでいかないといけない。
つなぐというのは、
ただ並べるだけではなく、
前のエピソードが次のエピソードの原因になっていて、
今のエピソードは、前のエピソードの帰結になっていないとならない。
そうではない限り、
それらは並べただけのものになり、
ストーリーではないからだ。
つまり、ストーリーを書くには、
二種類の才能が必要だ。
印象的なエピソードを創作できる才能と、
それがぜんぶつながった時に、
どういう面白い全体像を作れるか、
という才能だ。
つまり部分と全体だ。
展開の焦点をはっきりさせたまま、
これらが編めるかどうかは、
訓練と才能の両方が必要だ。
部分を作りすぎて、
ストーリーとしてはバラバラだったり破綻があったり、
部分は印象的だが全体としては退屈
(たいていは目的がよくわからなくなり、何をしているか不明になる)、
というのはよくあるし、
全体を重んじるあまり、
部分のエピソードがたいして印象的でないため、
興味が持てなく、教科書的には出来ているものの、
個性がない、平凡なものに見えることも、
ままある。
いつも強烈なエピソードを創作し、
それらが繋がって全体をなすようにしなければならない。
まあ、それをうまくつくることが難しい。
あなたには何が足りないかは、
引いた目で見ないとなんともいえない。
部分と全体に配られた目があるかどうかは、
セルフチェックできると思う。
どっちが苦手なのか、考えてみよう。
ストーリーは、印象的なエピソードの集合体である。
有機的にエピソード同士が連関して、
はじめてストーリーになる。
そしてその結論が、テーマだ。
なんと難しい構造か。
それでも、面白いストーリーは最高なのだ。
2019年04月09日
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