2019年04月11日

しかしながら、ストーリーは表情で記憶される

前言を翻そう。

前記事のような原理があるにも関わらず、
私たちは人の表情に強い記憶を持つ。

誰かと旅行した時、どんな記憶がある?

風景? 飯? ホテルの内装?
一緒にいた人と喋った内容?
いや、その人の楽しそうな表情、
その人のトラブルの時の不安な表情、
その人の怒った表情、
などか多数を占めるのではないだろうか。


映画は旅にたとえられるから、
旅の記憶は大抵映画の記憶に類似する。

映画の場合、変わったシチュエーションが追加されるから、
そのストーリー特有のイコンが記憶に追加されることも多い。

たとえば「ジュラシックパーク」なら、
「恐竜のいるサファラパーク」や、
「暴走した恐竜」「恐竜を食う恐竜」
などが記憶に残るだろう。

これらはすべて、
脚本的には、
舞台設定、問題、解決、にあたることに注意されたい。
スピルバーグが優れているのは、
脚本の重要ポイントを、
ことごとくイコンにするセンスである。


昨今の予算のない日本映画では、
そういったイコンをつくる金がない。
だからコスプレ勢揃いのブロッコリーみたいな映画しか作れない。
だから、観客の好きな人集め大会になっていて、
イコンてなに?みたいになりかかっている。

だから表情しか売りがないのだ、
という批判はいくらでもしたいが、
とりあえず置いておこう。


じゃあジュラシックパークは、
人の表情を覚えているだろうか?
恐怖に歪んだ人の顔はなんとなく覚えているだろう。

その顔と感情で、私たちは思い出せる。
「この映画は、恐竜に追われる映画である」と。


つまり、
私たちは動的動作と感情を結びつけ、
その感情と表情を結びつけて記憶する傾向にある生き物だ。

動的動作は記憶から飛んだとしても、
感情と表情はビット数が少ないから記憶しやすいのである。
そしてその表情を思い出す鍵(リマインダー)として、
動的動作やストーリーラインを解凍することができるのだ。

もっとも、ストーリーラインそのものを忘れている人の方が多い。
「ジュラシックパーク」だって、
どうやってどの道を逃げたかとか、さっぱり覚えていないわけだ。

「間はどうだか忘れたが、
こういう表情の感情があった話」
というのが、
最もストーリーの記憶としてポピュラーだということになる。


この記憶の構造故、
「表情が良かった」と言われる映画は、
顔芸学芸会の可能性と、
十分感情を揺さぶられ、その感情が表情で記憶されている可能性の、
二種類があるというわけだ。

前者も後者も役者は得するよね。
顔を覚え、好きになってもらえる。
詰まらない映画は監督が責任を持たないといけない。
役者は免責。
監督が得するのはヒットを何本も出した時だけ。
(そして複数本撮るチャンスなんてほとんどない)

したがって、
得した役者で、記憶が上書きされやすい。



こうして、
二つの可能性を内包したまま、
「この役者の表情がいい」
という言葉だけが伝染して行く。




さて。
モンタージュ理論を思い出そう。
クレショフのモンタージュ実験だ。

結論だけいうと、
「役者の無表情を撮影して、
スープ、遺体、女性とカットバックさせると、
それぞれ空腹、悲しみ、欲望の表情に見える。
つまり、
役者の表情が感情を決めるのではなく、
ストーリーが感情を決める」
ということだ。

役者が間違った表情をしていない限り、
そのストーリーに相応しい感情に見える、
ということなのだ。

つまり、よく出来たストーリーでは、
役者は棒でも構わない。

ドラマ風魔において、
撮影初期と終了時で、役者の技量はほとんど変わっていない。
にも関わらず、私たちは役者がどんどんうまくなっていく、
と感じるようになる。
それは、ストーリー進行に私たちが感情移入していることで、
同じ感情を共有している役者の表情を何度も見ることで、
ミラー効果が働いているのだ。
これは顕著な例だ。
それだけドラマのストーリーはよく出来ている。
よく出来たストーリーは、それほど巻き込む力を持っている。

また、うまい役者かどうか見るには、
初登場時を見ると良い。
まだストーリーの力を借りていないので、
自分の力量がモロに出る場面だからだ。
これまで培ってきた何かが出る場面になる。
ストーリー進行に従って、
うまい下手はあまり区別がつかなくなる。
モンタージュ効果によってだ。

もっとも、ストーリーが詰まらないなら、
美形の表情しか見るものがない、
ということはあるだろう。


(もっとも、ドラマ風魔の場合、
三ヶ月撮影していたから、
この役者には無理だ、という芝居はだんだんさせないようにしたので、
ボロが出にくくなっている、ということはある。
スタッフによるハゲ隠しがうまく機能しているわけだね。
あるいは、上がりを見た上で、
「もっと思い切ったほうがいい」と反省し、
現場で思い切るようになった村井は、
どんどん感情の振幅が触れていった。
これに釣られてみんなヒートしていった後半は、
役者の技量とストーリーが噛み合った、
ひとつの奇跡のようになっている。
これが共同作業の面白さだ)



さて。

クレショフの理論により、
結局ストーリーが感情を決めるのだ。

深く、凄く、真剣な感情がストーリーにあればあるほど、
それは深く鮮やかに記憶されるだろう。

私たちは、
その表情を最終アウトプットにする、
何かを書いている。
posted by おおおかとしひこ at 10:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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