前言を翻そう。
前記事のような原理があるにも関わらず、
私たちは人の表情に強い記憶を持つ。
誰かと旅行した時、どんな記憶がある?
風景? 飯? ホテルの内装?
一緒にいた人と喋った内容?
いや、その人の楽しそうな表情、
その人のトラブルの時の不安な表情、
その人の怒った表情、
などか多数を占めるのではないだろうか。
映画は旅にたとえられるから、
旅の記憶は大抵映画の記憶に類似する。
映画の場合、変わったシチュエーションが追加されるから、
そのストーリー特有のイコンが記憶に追加されることも多い。
たとえば「ジュラシックパーク」なら、
「恐竜のいるサファラパーク」や、
「暴走した恐竜」「恐竜を食う恐竜」
などが記憶に残るだろう。
これらはすべて、
脚本的には、
舞台設定、問題、解決、にあたることに注意されたい。
スピルバーグが優れているのは、
脚本の重要ポイントを、
ことごとくイコンにするセンスである。
昨今の予算のない日本映画では、
そういったイコンをつくる金がない。
だからコスプレ勢揃いのブロッコリーみたいな映画しか作れない。
だから、観客の好きな人集め大会になっていて、
イコンてなに?みたいになりかかっている。
だから表情しか売りがないのだ、
という批判はいくらでもしたいが、
とりあえず置いておこう。
じゃあジュラシックパークは、
人の表情を覚えているだろうか?
恐怖に歪んだ人の顔はなんとなく覚えているだろう。
その顔と感情で、私たちは思い出せる。
「この映画は、恐竜に追われる映画である」と。
つまり、
私たちは動的動作と感情を結びつけ、
その感情と表情を結びつけて記憶する傾向にある生き物だ。
動的動作は記憶から飛んだとしても、
感情と表情はビット数が少ないから記憶しやすいのである。
そしてその表情を思い出す鍵(リマインダー)として、
動的動作やストーリーラインを解凍することができるのだ。
もっとも、ストーリーラインそのものを忘れている人の方が多い。
「ジュラシックパーク」だって、
どうやってどの道を逃げたかとか、さっぱり覚えていないわけだ。
「間はどうだか忘れたが、
こういう表情の感情があった話」
というのが、
最もストーリーの記憶としてポピュラーだということになる。
この記憶の構造故、
「表情が良かった」と言われる映画は、
顔芸学芸会の可能性と、
十分感情を揺さぶられ、その感情が表情で記憶されている可能性の、
二種類があるというわけだ。
前者も後者も役者は得するよね。
顔を覚え、好きになってもらえる。
詰まらない映画は監督が責任を持たないといけない。
役者は免責。
監督が得するのはヒットを何本も出した時だけ。
(そして複数本撮るチャンスなんてほとんどない)
したがって、
得した役者で、記憶が上書きされやすい。
こうして、
二つの可能性を内包したまま、
「この役者の表情がいい」
という言葉だけが伝染して行く。
さて。
モンタージュ理論を思い出そう。
クレショフのモンタージュ実験だ。
結論だけいうと、
「役者の無表情を撮影して、
スープ、遺体、女性とカットバックさせると、
それぞれ空腹、悲しみ、欲望の表情に見える。
つまり、
役者の表情が感情を決めるのではなく、
ストーリーが感情を決める」
ということだ。
役者が間違った表情をしていない限り、
そのストーリーに相応しい感情に見える、
ということなのだ。
つまり、よく出来たストーリーでは、
役者は棒でも構わない。
ドラマ風魔において、
撮影初期と終了時で、役者の技量はほとんど変わっていない。
にも関わらず、私たちは役者がどんどんうまくなっていく、
と感じるようになる。
それは、ストーリー進行に私たちが感情移入していることで、
同じ感情を共有している役者の表情を何度も見ることで、
ミラー効果が働いているのだ。
これは顕著な例だ。
それだけドラマのストーリーはよく出来ている。
よく出来たストーリーは、それほど巻き込む力を持っている。
また、うまい役者かどうか見るには、
初登場時を見ると良い。
まだストーリーの力を借りていないので、
自分の力量がモロに出る場面だからだ。
これまで培ってきた何かが出る場面になる。
ストーリー進行に従って、
うまい下手はあまり区別がつかなくなる。
モンタージュ効果によってだ。
もっとも、ストーリーが詰まらないなら、
美形の表情しか見るものがない、
ということはあるだろう。
(もっとも、ドラマ風魔の場合、
三ヶ月撮影していたから、
この役者には無理だ、という芝居はだんだんさせないようにしたので、
ボロが出にくくなっている、ということはある。
スタッフによるハゲ隠しがうまく機能しているわけだね。
あるいは、上がりを見た上で、
「もっと思い切ったほうがいい」と反省し、
現場で思い切るようになった村井は、
どんどん感情の振幅が触れていった。
これに釣られてみんなヒートしていった後半は、
役者の技量とストーリーが噛み合った、
ひとつの奇跡のようになっている。
これが共同作業の面白さだ)
さて。
クレショフの理論により、
結局ストーリーが感情を決めるのだ。
深く、凄く、真剣な感情がストーリーにあればあるほど、
それは深く鮮やかに記憶されるだろう。
私たちは、
その表情を最終アウトプットにする、
何かを書いている。
2019年04月11日
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