誰でも生まれながらにしてクリエイターになるわけではない。
成長しながらよきクリエイターになっていく。
成長というのは、自分でつくり、フィードバックを受け、
よりよきものをつくることでしかなし得ない。
クリエイターとして駄目だってことは、
主に経験が足りていないことから起こることが多い。
つまり、以下に述べるような駄目な特徴は、
赤ん坊がいきなり歩き出しているに等しい。
駄目なクリエイターの特徴
1 客観性がない
2 提案がない
3 虚勢を張る
1 客観性がない
自分が客観性があると思っていても、
それが妥当かどうかはなかなかわからないものだ。
しかし、そう努めることを諦めたとき、
客観性は失われる。
自分の思い込みが一番面白いと勘違いしている寒さは、
まあどうでもいい。
何が客観的かは、
多くの視点からチェックできているか、という空間的な視野と、
これまでの名作の歴史の観点から見て、どういう位置づけにあるか、
という時間的な視野がある。
それらを正しく自己評価していないと、
わかっていない人の言葉に左右される可能性がある。
他人の言葉はすべて客観ではない。
主観を述べているだけの可能性もある。
「自分以外がすべて客観的視座をもち、
他人のいうことはすべて客観的見方」
であると勘違いするのは、
他人の意見をぶつけられ慣れていない初心者のすることだ。
他人は主観でものを見ている。
色んな意見が出て当たり前だ。
その中で、
多視点的な、多面的な視野からものを見ているか、と、
他の名作や過去作から見て、これはどう見えているか、
ということを、言っているかどうかが本当に大事で、
あなたがそうでない限りそうだと判断できない。
自分の判断が正しくないと、
他人の判断も評価できなく、
自分の判断が客観的でなければ……
という自己言及ループがある。
しかしこれは、普段どういうものの見方をしているか、
深く考えているか、ということに比例する。
要するに、駄目な初心者クリエイターは、
自分と自分の作品しか見ていない。
2 提案がない
それはなんのためにあるのだろうか。
「作りたいから作った」のは作品とは言わない。
ただのうんことどう違うのだろうか。
繊細だからよいのだろうか。
じゃあ、1ミクロンのうんこは作品か。
作品が価値を持つ時、
それはオリジナルな価値があるから良いのである。
なぜなら、もし同等の価値がほかにあるなら、
それを享受すればよいからだ。
あなたの作品が他とちがう、
独特の価値があるから、
それは他の作品に混じってしまっても大丈夫なのだ。
レンタルビデオや本屋に行って、
膨大な量の作品群から、
自分の作品を探すというシミュレーションをしてみよう。
どうやって探す? 何で探す? 何故探している?
それは、他のものにない価値があるから、
探すのである。
あなたの作品にオリジナリティがあり、
作品がオリジナルな価値があるということは、
つまり提案があるということだ。
世の中に対して、
何か新しい価値を提示しているということだ。
道徳的な、「こうしましょう」でもいいし、
「こうあるべきだ」でもいいし、
とくに主張がなくても、
ここにしかない美しさがあれば価値になる。
ただ美術品とちがうのは、
ストーリーに意味が生じてしまうことで、
(無意味、というテーマのストーリーは詰まらない)
意味によって上手にまとまっていなければ、
ストーリーとして価値がないことになる。
あなたのストーリーはどのようなことを提案しているのか?
それは現代に、未来永劫に、オリジナルな価値になっているか?
駄目なクリエイターは、
意味や価値のないことを価値のあるように勘違いしているか、
または嘘をついている。
自分に価値がないことを認めなくないからだ。
自信の無さがあり、
世の中に新しく提案するべき価値のことを考えていない。
そして、提案する価値が、
歴史的に見て陳腐だったりすると、また意味がなくなる。
つまり1と2は、底のほうで繋がっている。
ついでに2と3も繋がっている。
3 虚勢を張る
駄目なクリエイターは、
駄目なことを無意識では自覚している。
思ったような反応が得られなかったり、
思ったより抵抗されたり、
自分が思うほど尊敬してくれないから、
それはなんとなくわかるものだ。
それでもプライドが傷つきたくないから、
虚勢を張る。
弱いやつが弱いやつをみつけていじめをするような行動をとる。
自分を少しでも偉く見せることで、
マウントを取ろうとするのだ。
作品の偉大さと、作者の偉大さはまったく関係ない。
もしヒトラーが描いた絵が最高傑作だったら、
ヒトラーは政治家としては駄目だが、
クリエイターとしては最高だと僕は考える。
(残念ながらヒトラーが描いた絵は平凡で、
彼はクリエイターとしてはランクが低い)
作品が尊敬されても、作者が尊敬されないこともある。
その逆もある。
等しく尊敬されることもあるし、等しく貶められることもある。
それだけのことだ。
因果関係、比例反比例関係はない。
ときどきあるから、あるように感じるだけのことである。
あなたがもし尊敬されたかったら、
作品とは関係なく、
人間として尊敬されなければ尊敬されない。
作品がとても良かったとしても、
人間としては尊敬されないと心得よ。
作品を尊敬しただけで、その人間を尊敬してしまうのは、
恋と同じで、一時の勘違いの可能性が高い。
駄目なクリエイターは、
そこを混同している。
尊敬されたくて、作品を作ったりする。
承認欲求を満たしたいのだろう。
だから、作品が駄目なとき、
虚勢を張ることでプライドを保つ。
人間と作品は別。
あなたが作品を作る人なら、いい作品をつくればいい。
逆に、ガンジーになっても、名作が作れることとは関係ない。
あなたの無意識が作品にはよくあらわれる。
それによって作品がつまらなくても、あなた自身に罪はない。
作品がつまらないだけである。
2019年04月13日
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