文章を美しく書きたい。
できれば美しく、しかも内容のあることが望ましい。
そういうときは最後に美しく整形すること。
最初から美しく書こうとしてはいけない。
なぜなら、
面白い内容があることを、美しい表現に書き直すことは可能だが、
内容のない美しいものをいくら書き直しても、
美しさが崩れるだけで、
「書き直す前のほうがよかった」と思ってしまうからだ。
面白さと美しさは、非対称性がある。
ということで、
魅力的な言葉を使うことよりも、
なるべく構造や内容やプロットが面白いものを書こう。
全部の糸が通った時点で、
あらためて美しく化粧しなおせばいい。
名文や名台詞は、そうやってできる。
最初からそこにあったわけではなく、
面白いプロットの上に咲いた花であることを、
自覚したほうがいい。
通りのいい美しい文章だけ書きたいなら、
ツイッターで発表しつづければいいだけのこと。
それは脚本や物語では決してない。
第一稿から殆どの稿は、構造をつくることに費やす。
美しく整えて、磨きをかけていくのは、最終稿に近くなってからだ。
逆に、美しくない文章だからといって、
執筆をやめてしまわないことだ。
面白くないなら立ち止まり考え直すべきだが、
面白いならばそのままラッセル車のように進み、
あとで整えればよい。
時々執筆速度を落として美しさについて配慮することも、
執筆を楽しくさせる原因なので、
ガン無視はよろしくないかもだ。
その配分は、経験で判断しよう。
沢山書けば書くほど、自分のバランスがわかってくるはずだ。
僕が量を書くのを勧めるのは、
こうしたことも見れるからだ。
美しさを整えるのは最後でいい。
もちろん、骨から美しいのが理想なので、
化粧で誤魔化すレベルの美しさ程度には、
あんまり意味がないかもしれないが。
「整えた」というレベルと、
ほんとうに整ったものでは、次元が違うからね。
2019年04月20日
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