2019年04月20日

美しさは最後に

文章を美しく書きたい。
できれば美しく、しかも内容のあることが望ましい。
そういうときは最後に美しく整形すること。
最初から美しく書こうとしてはいけない。


なぜなら、
面白い内容があることを、美しい表現に書き直すことは可能だが、
内容のない美しいものをいくら書き直しても、
美しさが崩れるだけで、
「書き直す前のほうがよかった」と思ってしまうからだ。

面白さと美しさは、非対称性がある。


ということで、
魅力的な言葉を使うことよりも、
なるべく構造や内容やプロットが面白いものを書こう。
全部の糸が通った時点で、
あらためて美しく化粧しなおせばいい。

名文や名台詞は、そうやってできる。
最初からそこにあったわけではなく、
面白いプロットの上に咲いた花であることを、
自覚したほうがいい。

通りのいい美しい文章だけ書きたいなら、
ツイッターで発表しつづければいいだけのこと。
それは脚本や物語では決してない。


第一稿から殆どの稿は、構造をつくることに費やす。
美しく整えて、磨きをかけていくのは、最終稿に近くなってからだ。

逆に、美しくない文章だからといって、
執筆をやめてしまわないことだ。
面白くないなら立ち止まり考え直すべきだが、
面白いならばそのままラッセル車のように進み、
あとで整えればよい。

時々執筆速度を落として美しさについて配慮することも、
執筆を楽しくさせる原因なので、
ガン無視はよろしくないかもだ。
その配分は、経験で判断しよう。

沢山書けば書くほど、自分のバランスがわかってくるはずだ。
僕が量を書くのを勧めるのは、
こうしたことも見れるからだ。


美しさを整えるのは最後でいい。
もちろん、骨から美しいのが理想なので、
化粧で誤魔化すレベルの美しさ程度には、
あんまり意味がないかもしれないが。
「整えた」というレベルと、
ほんとうに整ったものでは、次元が違うからね。
posted by おおおかとしひこ at 12:48| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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