完璧な人間はいない。
完璧なシステムもない。
必ずどこかに弱点がある。
強大と思われた敵を、主人公サイドはいつか逆転しなければならない。
強いところを強いところでうち負かすことはできないから、
つまりは弱点を攻略することになる。
ストーリーとは、
主人公の目的が果たされることである。
目的の発生、あるいは発生後からはじめ、
色々な困難を経て、
最終的な目的がどうなったかまで描く。
途中で終わるのは中途半端とか打ち切りだ。
全て果たし終える(ハッピーエンド)、
完全に失敗に終わる(バッドエンド)、
痛し痒しの苦い結末(ビターエンド)はあるものの、
「わからない/忘れた」でなければ、
主人公の目的はなんらかの結末を迎える。
目的がすぐに結果が出ては面白くないので、
ストーリーはすぐにはうまくいかない。
うまくいかないのが、
徐々にうまくいきはじめ、
成功したり失敗しながら、
最終的に軌道に乗り始める。
ところで、
物語も後半になると、
「真に倒すべき存在」に、
焦点が集中するようになる。
色々なシステムが原因だとしても、
「その人をどうにかすれば、目的は果たされる」
というように集約されていく。
そうでないとストーリーは発散してしまう。
逆にいうと、集中させるために、
敵対者は存在する。
敵対者は、必ずしも悪である必要はない。
また、完全に敵である必要もない。
ライバルを負かすこと、が目的になることもあり、
憎さが必要なわけでもない。
ただ、「この人をなんらかの形で倒せば、
目的は果たされる」のように焦点が集中すれば、
それは敵対者という。
敵対者の原語はantagonist。
「逆の立場の者」というような意味だ。
結果的に敵になる場合も含まれるわけだ。
物語後半では、
この敵対者を倒すことに最終焦点が当てられる。
倒し方は、
殺す、試合で勝つ、社会的に存在できないようにする、
発言権を封じる、謝罪させる、
支配の及ばない新天地へいく、
システムを壊して後ろ盾を抜く、
和解する、
などなど、色々なものがあるだろう。
そのやり方が、テーマになることもある。
たとえば勧善懲悪は悪を殺すことがテーマだし、
映画「いけちゃんとぼく」は、
敵と野球して、結局野球仲間になることで、
いじめがなくなったということが「成長」というテーマに落ちている。
さて、
その敵の弱点はなんだろう?
敵は強いものだ。
たいてい最強だ。
主人公サイドが一発で倒せないから敵なのだ。
主人公サイドは最強ではないからストーリーになる。
しかし、相手の最強の部分をこちらの有利な部分では倒せない。
ここからの工夫がストーリーなのである。
ああでもないこうでもない、
という「攻略」自身がストーリーになる。
そして最終的に、
敵の弱点が分かり、
それを突けば良いのだが、
それをするには、主人公の最大の弱点を克服する必要がある、
と持っていけばよいのである。
主人公の渇きから発した目的は、
ここで最大のカタルシス(発展的成長)へと、
繋がるのだ。
このように設計できるようになるには、
敵の弱点を上手に設定することだ。
すぐバレてはいけない。
分かった時点で後付けかよと思われてもよくない。
攻略の難易度も絶妙でなければならない。
それらが全部自然であるように、バランス調整されている必要がある。
無理ゲー過ぎても無理だし、
簡単過ぎても詰まらない。
成功するかしないか微妙なラインで、
ここに賭けるしかない、という思い切りが必要なものが、
丁度いい塩梅だ。
最後に偶然が味方して勝利してしまうのはつまらない。
人は努力の成果を理解したがる。
「ただ運が良かっただけで大成功!」は、
ほとんどの場合つまらない。
(メアリースー、デウスエクスマキナ)。
攻略がストーリーになっている以上、
それが「納得のいく形で報われたい」のである。
それは、人がそういう生き物だからだと思う。
で。
それをうまく設定しよう、というのが本題だ。
弱点が人の魅力になることがある。
つまり、悪役の魅力は、
最強であることと、弱点のペアで決まる。
2019年04月19日
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