2019年04月25日

目的の難易度

僕は大田区民なのだが、選挙ポスターの一覧を眺めていると、
難易度が高すぎる目的(マニフェスト?)があることに気づく。

「城南地区大田区を国際都市へ!」

目的を書き慣れていない人は、
「どうやって?」が分からない、
「達成の瞬間」が分かりにくい、
大袈裟な目的を書きたがる。
(マウントを取ることが目的なのだろうか)


ストーリーにたとえると、
「世界平和」「差別撤廃」「暮らしやすい街に」
などの、
手段が明快ではなく、
ゴールになった瞬間が存在しない、
または分かりにくいものである。

逆にいうと、
目的とは、
「実現する手段がある程度想像できること」
「それが実現した瞬間がわかること」
が必要だ。

目的の設定が下手な人はこれが下手で、
だからストーリーが何のためにこれをやってるのか、
見失うのである。


他の例では「待機児童0」があった。
これは目的達成の瞬間は分かりやすい。
しかし具体的な手段が想像しづらい。

「待機児童0」という結果を実現するために、
「一人一人訪問して問題を解決する
(本人が、あるいはスタッフが)」なのか、
「待機児童専用施設をつくり、
そこをオアシスと名付ける
(そのために年間○億の予算を使う)」なのか、
その手段が明確ではないから、
これもストーリーが想像できない。

このどちらになるかで、
ストーリーはまるで違うものになるはすだ。


つまり、これらの目的は、目的ではない。

ただのいい子ちゃんぶりのアイテムに過ぎないのだ。


目的の設定の仕方は、
ある程度の手段が想像でき、
なおかつ目的達成の瞬間が、明確なものを選ぶべきである。

そうでなければ、
曖昧模糊としたなにかのために必死で何かをしても、
ただ滑っているだけになってしまう。

しかも、「目的を達成した!」とラストになったとしても、
「想像した結末と違う」と言われて終了だろう。


つまり、
目的の設定という最序盤で、
途中のロードと結末の瞬間が想像できなければ、
それは目的の設定として未熟だといえるのだ。


しかも、当然だけれど、
その目的達成のための行動に感情移入できて、
なおかつ興味が湧き、
できればどんでん返しなどのツイストがあることが望ましい。

目的の設定というのは、
意外と難しいのである。



大田区の選挙ポスターに話を戻すと、
そのように的確な目的を提示している政治家は、
一人もいなかった。
誰もヒトラーのように話がうまくないらしい。
だからあんた達の話は聞かれないんだぜ。

posted by おおおかとしひこ at 13:41| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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