僕は大田区民なのだが、選挙ポスターの一覧を眺めていると、
難易度が高すぎる目的(マニフェスト?)があることに気づく。
「城南地区大田区を国際都市へ!」
目的を書き慣れていない人は、
「どうやって?」が分からない、
「達成の瞬間」が分かりにくい、
大袈裟な目的を書きたがる。
(マウントを取ることが目的なのだろうか)
ストーリーにたとえると、
「世界平和」「差別撤廃」「暮らしやすい街に」
などの、
手段が明快ではなく、
ゴールになった瞬間が存在しない、
または分かりにくいものである。
逆にいうと、
目的とは、
「実現する手段がある程度想像できること」
「それが実現した瞬間がわかること」
が必要だ。
目的の設定が下手な人はこれが下手で、
だからストーリーが何のためにこれをやってるのか、
見失うのである。
他の例では「待機児童0」があった。
これは目的達成の瞬間は分かりやすい。
しかし具体的な手段が想像しづらい。
「待機児童0」という結果を実現するために、
「一人一人訪問して問題を解決する
(本人が、あるいはスタッフが)」なのか、
「待機児童専用施設をつくり、
そこをオアシスと名付ける
(そのために年間○億の予算を使う)」なのか、
その手段が明確ではないから、
これもストーリーが想像できない。
このどちらになるかで、
ストーリーはまるで違うものになるはすだ。
つまり、これらの目的は、目的ではない。
ただのいい子ちゃんぶりのアイテムに過ぎないのだ。
目的の設定の仕方は、
ある程度の手段が想像でき、
なおかつ目的達成の瞬間が、明確なものを選ぶべきである。
そうでなければ、
曖昧模糊としたなにかのために必死で何かをしても、
ただ滑っているだけになってしまう。
しかも、「目的を達成した!」とラストになったとしても、
「想像した結末と違う」と言われて終了だろう。
つまり、
目的の設定という最序盤で、
途中のロードと結末の瞬間が想像できなければ、
それは目的の設定として未熟だといえるのだ。
しかも、当然だけれど、
その目的達成のための行動に感情移入できて、
なおかつ興味が湧き、
できればどんでん返しなどのツイストがあることが望ましい。
目的の設定というのは、
意外と難しいのである。
大田区の選挙ポスターに話を戻すと、
そのように的確な目的を提示している政治家は、
一人もいなかった。
誰もヒトラーのように話がうまくないらしい。
だからあんた達の話は聞かれないんだぜ。
2019年04月25日
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