言葉はかつて音だけだっただろう。
そのうち文字が生まれた。
思考は音でなされるのか、
文字でなされるのか。
これは人によって異なることがわかりつつある。
僕は文章を書くとき、
脳内発声がなく、文字(または意味)で考えている。
で、久しぶりにカタナ式で5000字くらい書いてみて、
ローマ字の音が、僕にとってすごく邪魔なことを再確認した。
たとえば、
「わけで」と「あえて」を比較する。
これは意味としてまったく遠いふたつの言葉(概念)だ。
それぞれを、
似た意味の言葉や似た音の言葉と混同することはあるかもしれないが、
「わけで」と「あえて」を取り違えることはないだろう。
「そういう訳で、あえてこうしたのである」
を、
「そういうあえて、訳でこうしたのだ」
なんて書く奴はいないし、
書くのは基地外かAIだけだ。
言葉には先行する意味の構造があり、
それを日本語に落としているに過ぎない。
で、本題。
「訳で」と「あえて」は、
ローマ字でめっちゃ運指が近いんだよね。
wakedeとaeteだ。
とくにカタナ式だと、
左手子音右手母音なので、
右手はまったく同じ運指になる。
しかも濁音dが清音tの裏にあるので、
wkありなしのほとんど同じ運指になることに気づいた。
こんなことは、
「訳で」と「あえて」という意味を操るときに考えたことがない。
しかし指が似てるというノイズを出してくる。
そういうわけで、僕にとってローマ字方式はノイズだらけなのだ。
僕のように脳内発声がない人は、
カナ配列や漢直がいいと思う。
薙刀式でいえば、【】をセンターシフト、()を同時で示せば、
「訳で」は、【H】C(EJ)、
「あえて」は、JPE。
「で」と「て」の清濁同置はあるものの、
ほぼ関係ない運指だ。
似た言葉でない言葉が、
似た運指にならないのは、
とても良いと思う。
しかも「で」「て」はどちらも接続の言葉なので、
同じ位置にいることはわかりやすくもある。
つまり僕にとって、
カナ配列は、「概念の場所を指で指し示す」
ことで打鍵しているような感覚になっている。
脳内発声がある人は、
ローマ字配列が向くかもしれない。
カナ配列でも脳内発声があるかもしれない。
それは人によって違うのだからしょうがない。
ただ、qwertyローマ字は、
僕の指にとっても、
僕の脳内にとっても、
二重に苦痛だったというにすぎない。
できれば漢直をやりたいが、
そんな暇はいまはない。
薙刀式に不満を感じたら、手を出すかもしれない。
こうしたことは誰も議論してない。
不思議だなあ。
なので書いてみた。
カナタイパーは効率でqwertyタイパーに対抗したのだろうか?
脳内発声との関連を知りたいものだ。
ところで、
100%脳内発声がないことは、
早口言葉を打つと指がもつれるかどうかで検証できる。
悪運指だったらもつれるけど、
そこはおいといて、
脳内発声に引っ張られるともつれやすい。
僕はもつれる言葉とそうではない言葉があって、
たとえば「東京特許許可局」は、
薙刀式の拗音同時押しで一発だった。
「すもももももももものうち」は、わりと大変だった。
同指連打の回数がわからなくなる。
「生麦生米生卵」は、「ごめ」のレア運指以外はもつれなかった。
「バスガス爆発」は、音を意識したらダメで、
意味を意識したら大丈夫だった。
音は言葉に先行する。
意味が音に先行する。
卵と鶏だけど、僕は意味が先。
2019年04月27日
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