歩き方がまだわからない赤ん坊に、
どうやって歩き方を教えるべきか。
手取り足取りか。
歩き方だけでいいだろうか。
転び方や、起き上がり方も重要ではないだろうか。
赤ん坊をみていると、何度も転ぶ。
そして自力で起き上がり、また歩く。
これを延々繰り返しながら、
バランス感覚を作っていくのである。
転んだら即死ぬのなら、転ぶ練習や起き上がる練習はしなくてよい。
しかし転ぶくらいでは死なないし、
うまく転べば大丈夫なので、
転び方や起き上がり方を、人は自然と身につける。
柔道や武道では、最初に受け身を教える。
受け身だけでなく、そこから立ち上がる方法も教える。
しかし、
脚本道場では、転び方や起き上がり方を、
教えてくれることは少ない。
創作をするうえで、
転ぶことは当たり前である。
最初から上手い人はいないし、
毎回違うものをつくるのだから、
出来や受けは違って当然だ。
一回よくても次もよいとは限らないし、
成功と失敗を重ねて、トータルで勝てばよいのだ。
しかし転び方や起き上がり方を知らない人は、
一回転んだら死んでしまう。
ぶつけたら廃車かよ。
我々は精密機械ではない。
転んだら起き上がる生き物である。
(ボストンダイナミクスのロボットは衝撃的だったよね。
起き上がる研究をしているんだよな)
詰まらないといわれ、傷つくこと。
ほんとうのことを批評され、ぐさりと来るが故、
自己防衛のあまり他者を攻撃してしまうこと。
いわれのない中傷を受けること。
それらのことがトラウマになり、
新しい事への挑戦が怖くなってしまうこと。
たくさんやればやるほど成功確率が減っていくような気がして、数をこなさないこと。
あなたは弱い一般人ではない。
プロである。
実際はそうでもなくても、プロならどうするかを考えて、それを実行できたら、
それはプロと同等だ。
歩くプロを想像しよう。
歩き方が上手いだけだろうか。
いや、転び方がうまいはずで、
転んでも一瞬で起き上がって来る筈で、
転んだダメージなどなく、すぐにトップスピードに戻してくるはずだ。
創作も同じである。
どうしたらそうなれるか。
赤ちゃんと同じだ。
たくさん転んで、たくさん起き上がって、
その度にバランス調整して、タイミングを調整するしかない。
創作におけるそれは、
たくさん書いて、
たくさん批評されて、
またたくさん書くことでしか、養われない。
たくさん書いた中の一部しか受けなかったり、
思ったところが受けなかったり、
意外な所が受けて新しい才能に気づいたり、
そういうことをたくさんやることで、
「こうしたらこうなるな」と、予測できるようになることである。
大体、できない奴ほど、予想が間違っている。
モテない奴が言う女の子の気持ちなんてたいてい間違っている。
上手い人は予想がうまい。
予想こそ受け身の一部になっていて、
だから転ぶ前に修正してくる。
それは、
たくさん経験をつむことでしか得られない。
だからたくさん書くのだ。
ほめられないと伸びないやつは、
そもそも起き上がる才能がない。
勝手に起き上がって、勝手に歩け。
あなたが創作をする前、
どんな他人の作品でも、
詰まらないなら詰まらないと正直に言ったし、
勘違いしていてもそのままだったよね。
相手はそのような人々だ。
その距離感を忘れないことだ。
批評されて傷ついて、
二度とやらない人は見込みがない。
今後ネットでぼこぼこにされたら自殺ものだから、
やめた方がいいかもしれない。
それでも立ちあがり、
なんどでも挑戦できるタフさ、才能のバラエティー、工夫だけが、
あなたを救う。
ダウンせずに、チャンピオンになったボクサーはいないのだ。
たくさん転んで、
たくさん立ち上がろう。
だから短編の数をやるんだ。
一回の負担を減らして、立ち上がるまでの時間を最小にするんだ。
失敗作の経験も積めるし、成功作の経験も積める。
ガチャを数多く引けるのは、短編だ。
リライトやトライがやりやすいのは、短編だ。
同時進行やバージョン違いが作りやすいのは、短編だ。
比較検討がしやすく、思い付きが形になりやすいのは、短編だ。
恐くないのは、短編だ。
何度でも出来るのは短編だ。
毎日出来るのは短編だ。
赤ん坊は、まずそのへんまで色々歩くことをたくさん繰り返す。
いきなり、誰もやっていないルートを数年かけて開拓したりしない。
2019年04月27日
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