2019年04月27日

転び方を教えてくれる人は少ない

歩き方がまだわからない赤ん坊に、
どうやって歩き方を教えるべきか。
手取り足取りか。
歩き方だけでいいだろうか。
転び方や、起き上がり方も重要ではないだろうか。


赤ん坊をみていると、何度も転ぶ。
そして自力で起き上がり、また歩く。
これを延々繰り返しながら、
バランス感覚を作っていくのである。
転んだら即死ぬのなら、転ぶ練習や起き上がる練習はしなくてよい。
しかし転ぶくらいでは死なないし、
うまく転べば大丈夫なので、
転び方や起き上がり方を、人は自然と身につける。

柔道や武道では、最初に受け身を教える。
受け身だけでなく、そこから立ち上がる方法も教える。

しかし、
脚本道場では、転び方や起き上がり方を、
教えてくれることは少ない。

創作をするうえで、
転ぶことは当たり前である。
最初から上手い人はいないし、
毎回違うものをつくるのだから、
出来や受けは違って当然だ。
一回よくても次もよいとは限らないし、
成功と失敗を重ねて、トータルで勝てばよいのだ。

しかし転び方や起き上がり方を知らない人は、
一回転んだら死んでしまう。
ぶつけたら廃車かよ。
我々は精密機械ではない。
転んだら起き上がる生き物である。
(ボストンダイナミクスのロボットは衝撃的だったよね。
起き上がる研究をしているんだよな)


詰まらないといわれ、傷つくこと。
ほんとうのことを批評され、ぐさりと来るが故、
自己防衛のあまり他者を攻撃してしまうこと。
いわれのない中傷を受けること。
それらのことがトラウマになり、
新しい事への挑戦が怖くなってしまうこと。
たくさんやればやるほど成功確率が減っていくような気がして、数をこなさないこと。

あなたは弱い一般人ではない。
プロである。
実際はそうでもなくても、プロならどうするかを考えて、それを実行できたら、
それはプロと同等だ。

歩くプロを想像しよう。
歩き方が上手いだけだろうか。
いや、転び方がうまいはずで、
転んでも一瞬で起き上がって来る筈で、
転んだダメージなどなく、すぐにトップスピードに戻してくるはずだ。

創作も同じである。

どうしたらそうなれるか。
赤ちゃんと同じだ。
たくさん転んで、たくさん起き上がって、
その度にバランス調整して、タイミングを調整するしかない。

創作におけるそれは、
たくさん書いて、
たくさん批評されて、
またたくさん書くことでしか、養われない。
たくさん書いた中の一部しか受けなかったり、
思ったところが受けなかったり、
意外な所が受けて新しい才能に気づいたり、
そういうことをたくさんやることで、
「こうしたらこうなるな」と、予測できるようになることである。

大体、できない奴ほど、予想が間違っている。
モテない奴が言う女の子の気持ちなんてたいてい間違っている。

上手い人は予想がうまい。
予想こそ受け身の一部になっていて、
だから転ぶ前に修正してくる。

それは、
たくさん経験をつむことでしか得られない。
だからたくさん書くのだ。

ほめられないと伸びないやつは、
そもそも起き上がる才能がない。
勝手に起き上がって、勝手に歩け。

あなたが創作をする前、
どんな他人の作品でも、
詰まらないなら詰まらないと正直に言ったし、
勘違いしていてもそのままだったよね。
相手はそのような人々だ。
その距離感を忘れないことだ。

批評されて傷ついて、
二度とやらない人は見込みがない。
今後ネットでぼこぼこにされたら自殺ものだから、
やめた方がいいかもしれない。
それでも立ちあがり、
なんどでも挑戦できるタフさ、才能のバラエティー、工夫だけが、
あなたを救う。

ダウンせずに、チャンピオンになったボクサーはいないのだ。


たくさん転んで、
たくさん立ち上がろう。
だから短編の数をやるんだ。
一回の負担を減らして、立ち上がるまでの時間を最小にするんだ。
失敗作の経験も積めるし、成功作の経験も積める。
ガチャを数多く引けるのは、短編だ。
リライトやトライがやりやすいのは、短編だ。
同時進行やバージョン違いが作りやすいのは、短編だ。
比較検討がしやすく、思い付きが形になりやすいのは、短編だ。
恐くないのは、短編だ。
何度でも出来るのは短編だ。
毎日出来るのは短編だ。

赤ん坊は、まずそのへんまで色々歩くことをたくさん繰り返す。
いきなり、誰もやっていないルートを数年かけて開拓したりしない。
posted by おおおかとしひこ at 16:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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