2019年04月28日

転び方1:自分の思いつきはオリジナルか?

転び方をいくつか書けたら、と思う。

一番ありそうなことから。

自分が最高と思ってたのが、そうでもないと知る。
それはひどく傷つく。


色んなことを考えた。
その時にある閃きがやってきて、
これはすごいぞと思い、
それを中心に構築した。

今まで誰もやってなかったことで、
大発明だと思い、
自分が今まで見たものより遥かに面白く、
世界を変える面白さになると確信した。
なぜなら、自分がそのように興奮したからだ。


これは大抵間違っていて、
だから披露した時に思ったほど受けず、
ひどく傷つく。

自分一人が認めていて、
バカな他人が認めていないだけだ、
というのならまだマシで、
それは頭をぶつけるか、他人全員が目覚めるかを待てばいい。

あなたのうおおおという思いが、
実は大したことなくて滑っていた、
と気づくこと。
自分が裸の王様だったと気づくこと。

それはあなたをひどく傷つける。


落ち込み、恥ずかしくなり、
誰とも話したくなくなる。
前のように笑えなくなり、
これから何を言っても指差して笑われるのではないかと恐れる。

なぜこうなってしまったか分からないから、
これの対処法を知らず、
再び何かを書くことをやめてしまうかも知れない。

あなたの閃きはダメだったのだろうか。

それを知るには、過去を知らなければならない。


たとえばあなたは「ツンデレ」を自力で発明したとしよう。
今までそんなの見たこともなくて、
それは凄いと興奮したとする。
しかしみんなの反応は悪い。
なぜだ、最高なのに、俺がダメだったのかと思う。

どこがダメか分かるかな。

「すでにあるものを、発明したと思い込んでいたところ」だ。

発明は、基本的に初めて発明した人の名誉である。
あとでいくらでもパクれるからだ。

あなたが最初の人間かどうか、
あなたが調べなかったことが問題だ。


どうやって調べるといいだろう。
発明なら特許を調べると分かるかもしれない。
理系の論文ならば、参照関係を明らかにすることで、
先行関係を明らかにする習慣がある。
論文とは、それに比べてどう発明をしたのか、というプレゼンだからだ。

しかし物語のそれは、うまく調べることができない。
ツンデレの初出はなんだろう。
「ちこくちこくー」と食パンをかじって走る女子高生の初出は、
まだ突き止められていないらしい。
「実は主人公は死んでいた」の初出は。
「ループ落ち」の初出は。

なかなか調べることは困難だ。

だから、たくさん見なければならないのだ。

同時代の人が普通に見ているものは、大体見よう。
過去に流行ったものは、大体見よう。
過去の名作は、大体見よう。
(数がありすぎるが)

過去の名作の中に、のちの作品のアレの元ネタがあったりすることもある。
そこで鬼の首を取ったとばかりに騒いでもいいし、
じつはそれすら更に過去のアレにあったりもするから、
物語というのは油断できない。

「文化を知らない下層階級の女を、
上流階級の男が買い、一人前に育てる」
というアイデアは、
「プリティーウーマン」の中核のアイデアだが、
これは「マイフェアレディ」と同じだ。
さらに遡ると、「ピグマリオン」まで遡れるという。
ギリシャ神話まで出されちゃ、
どんだけ勉強しなきゃいけないんだよ、
という世界だと思いなさい。

あなたの発明は、
古今東西誰も考えなかった、
全く新しい発明かもしれない。

しかし、○○年代の○○国で、
誰かが既にやったことかもしれない。

あなたが信じた面白さが、
既に誰かがやったものならば、
世間は反応しない。
「それは○○にあったよ」と指摘してくれる人は稀で、
「なんか面白くない」としか言語化出来ないものだ。
平凡とはつまり、以前と変わりがないことだ。


なぜこんなことになってしまったか。
あなたの無知で、である。


過去作品をたくさん見ることは、
パクリ元を探すことではなく、
被りをチェックすることでもなく、
「こういうことが名作で、
今まではこういうことが名作とされてきた」
という気分を知るためである。

自分の狭い世界を、歴史的価値にまで視野を広げることだ。
そして、
それに比べれば自分は大したことないな、
と、等身大を認識することだ。

無知のあなたは、自分を過大評価していたに過ぎないのだ。


過大評価をする人にありがちなのだが、
一度ショックを受けて傷つくと、
必要以上に過小評価するものだ。
「生きる価値がない」「死ね」と、
自分を責めるのである。
これも過剰反応で、等身大を見ていない。

歴史的に見れば平凡なものを、クソだと思い込んでいるだけなのである。

これも、無知ゆえの悲劇だ。
ある程度名作を見ていれば
(仮に1000本)、
その中ではこのへんのランクだろう、
とフラットに見れるというのに。



あなたは無知ゆえに平凡を最高と思い込み、
無知ゆえにその落差にショックを受け、
無知ゆえに必要以上に傷ついている。

ただそれだけのことである。



自分の息子が写っている運動会ビデオを延々と見せるほどの、
親バカなら話は別だが、
あなたはプロを目指す以上、
そこまで自分可愛さがあるとは思えない。

しかし自分可愛さがありすぎると、
その危険があることも承知しておくことだ。


過去の名作。今はやってること。
みんなが普通に見てるもの。
詳しい人が見てきたもの。

「それらを一切見なかったからこそ、
全く新しい発明をした」
という可能性は0ではないので、
あり得ないとは言わない。

発明し終えてから、ないかどうか調べてもいいよ。
詳しい人に見てもらうのも手だ。
「これは全く新しい面白さだ」とその人がいえば、
何かあるかもしれないね。


ただ、
あなた以外の全員が、
「自分がこれまで見てきた極上の娯楽」と、
あなたの作品を比べて、
いいか悪いか言うことは、
常に念頭に入れておこう。


私たちの一生は短いので、
古今東西全ての物語を見ることが出来ない。
しかし教養は増やすことができる。

文化とは、突然0から始まるのではなく、
先行例に何かを重ね塗りすることで発展する。

アインシュタインはいきなり相対性理論を発明したわけではない。
ローレンツ変換が既にあり、
ニュートン力学や天体力学があり、
様々な思考実験や観測結果があり、
偏微分法的式やテンソル代数が既にあったのだ。

あなたがアインシュタインかどうかは僕は知らない。

しかし無知なアインシュタインならば、
リンゴが落ちるのを見て「重力を発見した!」と発表して、
みんなに笑われて深く傷つくだろう。
アインシュタインはそうじゃなかっただけだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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