2019年04月29日

転び方2:承認欲求と自己実現

そもそも、創作に手を出そうというのは、
現実に恵まれてないからするのだ。

自分幸せ!これ以上何もいらない!
みんなに幸せを分けてあげなくちゃ!
という人は創作などしない。


じめじめした人生で、
目立つこともない日陰者が、
現実逃避に物語の世界に浸り、
既成のものでは飽きたらず、
自分でもやってみようと始めるものだ。

だから、ほんとうの創作の動機とは、
「自分のような人が、
夢中になるもの」を作ることなのだ。

虐げられ、充実せず、
暇でしょうがない人のためのもの。
そんな人がコアなファンになり、
周囲に伝染して、物語は伝播する。
それが同時代の人間の無意識にシンクロすれば、
もっと跳ねるだろう。

自分とよく似た人、半分ぐらい似た人、
あまり似てないけど似たようなことを考えた事がある人、
全然似てないけど、書かれていることには感嘆する人、
真反対だが、書かれていることは理解する人、
などに見られるわけだ。

作品は、だから、
コミュニケーションであり、
ひとつの世界の提出であり、
それは、相手に想像上の遊園地を与えることでもある。


さて。

批判されて傷つくのは、
作品と自分を同一視しているからだ、
という記事を以前に書いた。

その奥底に何がいるのかというと、
承認欲求である。

暗い人生を送ってきた人間が、
この創作で賞賛を浴びたいという欲求である。
これまでの暗い人生が、
その賞賛で一気に大逆転すると信じている。
なぜなら自分は素晴らしい物語を書いたからだ。

色んな人に先生と呼ばれて鼻高々となり、
今まで馬鹿にしていた連中も尊敬の眼差しで見て、
いじめた人たちは「俺が悪かったよ、仲良くなろう」
なんて謝ってきて、
羨ましく見ていたリア充たちが「仲間に入りなよ」
て誘ってきて、
どんな人も自分に一目置いてくれる。

そんな未来を夢見てしまう。
なぜなら、自分は素晴らしい物語を書いているからである。

そして、その素晴らしい物語で、
承認されるからには、
その物語には「素晴らしい自分自身」がなければならない、
と誤解している。

普段外に出ることのない、
自分の素晴らしい人格がそこで描かれているからこそ、
他人に賞賛されるのだと勘違いしているのだ。


実際はそうではない。

あなたが暗い人生を歩むのはあなたの人生の選択に過ぎない。
子供の頃ならいざ知らず、
大人になってまで自分の人生を他人の責任にするべきではない。
「ここでないどこか」は存在せず、
あなたはあなたの生きる場所を決めて、
そこにいる人たちと人生の船を進めるしかない。

ほんとうの自分を隠すのは自由だが、
それは賞賛されるべき人格とは限らない。


ほんとうの自分が出せずに苦しく、
作品の中でしか表現できない。

それは真である。僕もそうだ。

だが、
作品が詰まらないことと、
あなたのほんとうの自分とは関係がないのだ。


承認欲求が強いから作品をつくる。
承認欲求が強いから賞賛されたい。
承認欲求が強いから作品と自分を同一視する。
承認欲求が強いから、作品がけなされた時、
自分もけなされて深く傷つく。

あなたが転ぶ時、
このようなメカニズムが働いている。


これを客観的に眺めるには、
ふたつの事実を知ることだ。

ひとつは、
「世間が賞賛するのはあなたではなく作品である」
ということ。
もうひとつは、
「あなたがモテるのは、イケメンだったり優しかったり、
金を持っているから」
ということ。

つまり、
「誰もほんとうのあなたを素晴らしいと言ってくれない」
ということにまず気づくこと。

ほんとうのあなたを褒めてくれるのは、
恐らく親だけで、
恋人だけで、
ごくごく親しい人だけだ。
あなたはその人たちのほんとうの姿を理解しているか?
奥底まで理解してすばらしいと思っているか?
そこまででもないだろうけれど、
全否定するほどでもないだろう。

人の相互理解というのはその程度にすぎない。
その人たちを愛し、大事にしていればそれでよい。

つまり、
あなたはすでに承認されている。

承認欲求の羽を伸ばしてもしょうがないのだ。

ツイッターやYouTubeは、
いいね乞食を量産している。
いいね芸人を沢山生んでいる。
彼らの承認欲求を見てみよう。

なんだか自己嫌悪に陥るではないか。
醜いよね。

作品が面白ければそれでよくて、
承認欲求を前面に出してくるやつは醜いよね。


そう、結局作品が面白いかどうか、
それだけであって、
承認欲求は関係ないのだ。

そこに至らないと、作品は面白くならないのだ。

じゃあ、
暗い人生の中で窓の外を眺めていた、
詰まらない私をどう慰めればいいのだろう?
あなたは後々認められたよ!と、
どうやって告げればいいのだろう?
「告げられない」と諦めることで、
それは逆説的に叶う。

面白い、面白くないの世界に来ることで、
一旦承認欲求を忘れること。
そして、最終的にとても面白いものを、
承認欲求を一ミリもいれずに作った時、
あなたの作品は賞賛される。

暗い人生の中窓の外を見ていたじめじめした自分よ、
私はあなたを忘れることで、
あなたの人生には意味があったと告げることができるのだ。


あなたは他人の作品を見るとき、
何を楽しみに見るのか?
面白そうなシチュエーションで、
面白そうな事件で、
面白そうな展開で、
面白そうなキャラで、
面白そうなテーマだから見るのであって、
「この作者のほんとうの自分を見せて、
その承認欲求を満たすための何かを見よう」
とは思わないだろう。

その作品が詰まらなければ、
「作者つまんねえ」と罵声を浴びせて、
面白ければ「神」と賞賛するだけで、
「この作品は作者のほんとうの自分が出ていて素晴らしい」
などと思わないだろう?

あなたの作品も、
そうなるべきなだけだ。


そして、他人に賞賛されたいからといって、
自分が面白くないものを受けるという理由で出してはならない。
いいねの奴隷になり、視聴率と寝ることになる。
それが好きならそんな人生もある。

自分が面白いものを、他人と共有することを考えなさい。
「これ面白いだろ?」「ほんとだ!」
子供の頃に、拾った綺麗な石を友達に見せたことと、
創作はそう変わらない。
今度は拾うのではなく、つくる側にまわっただけだ。


承認欲求は、
おっぱいに挟まれることで満たしなさい。
風俗で金払ってもよい。
作品とは別の場所に、承認はある。


「おれはこの作品で認められたい」と視野が狭くなっている時、
あなたは承認欲求のループに入っている。
「今年のボジョレーはねえ、天気に恵まれたので酸味が強くて美味しいですよ」
なんてニコニコしてるのが、正しい生産者のありかただ。
みんなに面白いものを勧めればよいだけだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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