2019年05月05日

ストーリーを作ることは、設定を作ること

これはある場合には真であり、
ある場合には偽である。


設定だけ作って、何もストーリーを作らないなら、
それはストーリーではなく出オチだ。
設定をいくら作ってもストーリーにはならない。
どう展開するのか、誰がどういう決断をして、
どういう結果になり、状況がどう変化していくのか、
という「時間変化」がストーリーであり、
ストーリーは設定(時間が停止したもの)ではない。

しかし、ストーリーが行われる舞台は、
必ず設定を伴う。
場所や時代、特定のルール、
人物、人物関係、
事件の概要、どういう設定のもとのものか、
という、「ストーリーが広げられる基本的世界」
を持たないストーリーはない。

だから、ストーリーを書こうとするとき、
設定がないと何もできないわけだ。

ストーリーを書いているとき、
ときに設定してないことに突き当り、
展開に困ることがある。

そういうときは、追加で設定するしかないのだ。
新しい場所、新しい人物、
新しい関係性、新しい道具、
新しい事実関係、新しい過去の因縁、
などなど、追加で設定されると、
ようやくそこからの展開が可能になったりする。

つまり、途中で展開に困る場合、
追加の燃料である、設定が足りていない場合がある。
すなわち、最初のあたり、
第一幕で行った設定が切れたと考えられる。

そういうときは、追加設定で燃料を足すしかないだろう。

逆にいえば、
どこで最初に説明した部分以外のところに展開するか、
考えれているだろうか、ってことだ。
ここで新たな局面になるのだから、
ここでいったん仕切り直して、
再設定する場面があるぞ、
なんて事前に計画出来ていたら最高だ。

なかなかそうはいかないから、
途中途中で、設定を継ぎ足していく必要が出てくるかもしれない。

で、最初に敷いた設定と矛盾をきたしていたり、
最初に敷いた設定を以後まったく使わなくなったりして、
最初の設定を見直す羽目になったりするのは、
よくあることである。
つまり、一幕でぜんぶを説明する必要なんてなくて、
あとあと出てくることはそのときに説明したらいいのだから、
一幕を展開できるだけの設定だけに最小限にとどめればいいのだ。
そのようにして、一幕の説明部分を切ることが出来ると、
一幕は切れのよいテンポになると思うよ。

これはあとあと使うかもしれないから、なんていらない設定を置いておくと、一幕はテンポが落ちてしまう。
二幕で使う設定は、二幕で設定してもよいだろう。

つまり、ストーリーというのは、
最初に設定しただけでは材料が足りなくて、
ちょいちょい追加で設定が足されることがある。

こういうときに、
「設定を作ることが、ストーリーを作ること」
という感覚になるだろう。
いかんいかん、次やることの設定をいま作っておかないと、
なんて急場になることは、
稀によくあることだ。

こういった不備があるのはしょうがないので、
それらをリライトで整理すればいいと思う。


これから進むべきルートに、
ざっくりと光を照らすこと。
それが追加設定のやるべきことだ。
この舞台で、どういう展開や結果や変化があるのかが、
ほんとうのストーリー部分だけど。
posted by おおおかとしひこ at 22:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。