2019年05月08日

危険は成功のスパイスである

「負けても何もないが、勝てばツタヤポイントが1増えるじゃんけん
(チャレンジは一回のみ)」
と、
「負ければ1万円払う、勝てば3万円もらえるじゃんけん」
の、
どちらが面白いだろうか?

後者だ。


これは、自分ごとではなく、
他人のこととして考えてみよう。

そりゃ後者の方が面白いよね。
自分は1万円払わなくていいからね。

さらに、
「負けたら片腕を失うが、勝ったら都内一戸建をもらえるじゃんけん」
ならどうだろう?
「負けたら片腕を失い、腎臓もひとつ取られるが、
勝てば好きなアイドルを一晩自由に出来るじゃんけん」
なら?

人によっては挑むだろう。
どういう人か。
「そのことについて、動機が猛烈に強い人」
だろう。

もうここで物語になるわけだ。

会社が倒産して家族離散の目に遭い、
家さえあれば家族を呼び寄せて、
またあの新婚時代のような幸せが訪れると強く信じている、
人生に絶望するおじさんは片腕を賭けてじゃんけんするだろう。

40歳まで童貞で、
女と喋ったことがなく、
ついに見つけた1000年に一人の美少女を愛してきた男は、
片腕と腎臓を引き換えにチャレンジするだろう。

おじさんでなくおばさんでもいいぜ。
もっと絶望が深くなりそうだ。


自分だったらノーリスクツタヤポイント程度のじゃんけんを、
他人だったらいくらでも面白い状況に出来る。

それが三人称形の物語だ。


さて、難易度をあげよう。
じゃんけんでなく、
フルマラソンにしてみよう。
嫌いな人と協力するゲームにしてみよう。
自分の弱点を克服しないと勝てないゲームにしてみよう。

全く架空のゲームにしてもいいし(デスゲーム系)、
リアルな人生上の課題としてもいいし、
ちょっとファンタジーを入れてもいい。


じゃああとはどうやってそれに勝つ?
挫折や起伏があれば面白くなる。
どうやってそのゲームの開催を知る?
どうやって仲間を集める?
どうやってそのゲームに参加意思を表明する?

そして結果は?
さらに、それに挑み、勝つことにどんな意味があった?

それが出来たらもうほとんど物語だ。



危険と成功の面白いペアさえ考えられれば、
それはもう物語の種だ。

成功を考えよう。
それに危険のスパイスを振ろう。
その間にあるものが、物語だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:18| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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