僕の理想は、「1概念1アクション」だ。
僕の手書きは、汚いけれど続け字になっている。
で、昨日書きながら気づいたのだが、
1概念を1アクションで書いている。
1概念の単位は、
名詞副詞形容詞くらいの、構成単位品詞レベルのときもあれば、
熟語くらいのさらに小さくなるときもあれば、
句読点までの長さのときもあれば、
一文のときもあれば、
数文に渡る場合もある。
つまり、一気に吐き出すなにかを、
僕は続け字で書く。
スラスラ書くときは、
脳の中にバッファがあるときか、
書く速度と湧いている速度が釣り合ってるときで、
ポツポツ書くときは、
湧く速度の方がゆっくりなときで、
止まるときは湧いて来ないときだ。
(僕はこういうとき腕組みして考えたり、
箇条書きに別紙で書いてみたり、
スマホで別の情報を見たり、
歩いたりする)
にしても、
僕は、「1文字を書く」ということをしない。
当たり前だけど、言葉は数文字で出来ている。
「愛」は1文字だけど、
実際の文章では「愛が」「愛は」「愛を」「愛の」
などが貼りついて1概念になり、
そのあとそれをどうするのかが貼りついて、
ひとつの続け字になって行く。
「1文字を書く」ときは、書道で集中するときぐらいじゃない?
いや、上手な書道というのは続け字であるべきだ。
物理的に墨が繋がってなくても、
筆の動きは繋がるべきで、
前の文字の終画は次の文字の始画に動きが繋がるのが、
よい書道というものだ。
その筆の切れ目は、やっぱり概念の切れ目になると思う。
さて本題。
という言葉の扱いにも関わらず、
なぜ配列は「1文字1アクション」で止まってるんだろう?
「1概念1プッシュ」とステノみたいなことは言わないから、
「1概念一続きアクション」の話を、
なぜ皆しないのだろう?
僕のqwertyローマ字では、
せいぜい1文字1アクションが精一杯で、
一つの名詞を1アクションで打てることは稀だ。
薙刀式なら、ほとんど1概念一続きの運指で打っている。
手書きの続け字のように、
数文ひと続きに出来ないのは、
間に変換行為があるからだ。
薙刀式の限界は、逆にいうと、
一文一続きアクションまでだ。
数文ひと続きでカナを並べることは可能だが、
変換行為で中断されるギクシャク感が、
思考を寸断する。
薙刀式の前バージョンでは「。」を未確定状態にして、
数文打って一気変換出来るようにしていたが、
この思考の寸断がいやで、
さっさと確定出来るように「。確定」とした。
つまり薙刀式の一続きの射程は一文単位だ。
変換行為の寸断を避けるためにライブ変換を試してみたが、
漢字変換が次々変わっていく感じが気持ち悪く、
画面を見なければ許容できるかも、
くらいの拒否感があった。
となると、
漢直しかないのかなあ。
(音声入力は論外。どこででも使えるのがベスト)
でも漢直の運指が流れるようになり、
一続きの思考が滑らかな一連の運指になる、
などという話は聞いたことがない。
たとえば「熟語の滑らかな運指」が考えられている、
という話は聞かない。
熟のあとには語とか女とかに繋ぎやすいとか。
つまり、漢字カナを含んで続け字のように書いていけて、
1概念1アクション(アクションは長くて構わない)になる、
デジタル日本語入力システムは存在しない。
(あったら教えてください。
タッチペン入力だったりして)
先日外国人がqwertyで英語を打っている様を生で見れた。
センテンス単位、ブロック単位で一気に打っていた。
スペースで区切られた1ワードが1アクションの範囲ではなかったし、
ましてや1キャラクターが、1アクションでもなかった。
その一続きの運指がやりやすいかどうかは置いといて、
母国語でこう打てる外人は羨ましいと思った。
日本人の生産性が悪いとか、日本に漂う停滞感は、
母国語をPCにうまく乗せられなかったことと、
関係してるかもしれない。
僕は、一続きの概念を一続きの運指で、一息で打ちたい。
外人のように。
親指シフトは、1文字を1アクションで打てるんです!
(拗音外来音をのぞく)
飛鳥は拗音外来音を倍速打鍵できるから、
1モーラがほぼ1アクションです!
下駄配列は1モーラ1アクションの初のカナ配列!
(ただし運指は新JISベースだから左右交互多目)
新下駄配列はさらに運指を徹底に練りこんだ!
アルペジオもいっぱいある!
歴史順に見ていくと、だいたいこういう流れになっている。
薙刀式は、1モーラ1アクションは最低限の条件として、
運指を片手アルペジオ優先で組んだものだ。
速度的には新下駄に劣るものの、
一続きの言葉を1アクションで打てるような、
続け字のような長いアクションを意識したのだと、
今は考えている。
その先の、漢字も含めた、
1概念1アクション(一続きの長いものでよい)になる、
そういう日が来るかはしらない。
IMEからの設計になる気がする…
ということで、
僕は今日も続け字の手書きで、
一番大事な原稿を書き、
それを薙刀式で清書する、二度手間を良しとしている。
1カナが1アクションとか言ってる人は、
そんなに日本語を書かない人なのかもね。
1万字書くのに12500アクションぐらいしないといけない。
(漢字変換のぞく。漢字含有率25%とした)
1万字書くのに、2000アクションより少ない工数で、
言葉は成り立っていると思うよ。
この場合の1アクションとは、
同時打鍵のようなシンプルなものから、
始画から終画までの続け字(最長数文)まで含むのだが。
「1文字」は、言葉の構成最小単位だけど、
私たちの思考は、概念が最小単位だ。
思考を表す筆記用具は、そうなってるべきだと思う。
筆を忘れた日本人は、
1文字1アクションレベルまで落とされ、
漢字変換や予測変換も1アクション
(文節伸長や誤変換訂正もあればさらに伸びる)に数えられ、
140字までしか考えられなくなってしまって、
劣等民族に落ちるかもしれない。
僕は自分の原稿を書くための、
いいデジタルの道具が欲しい。
飛鳥や新下駄がそれかと思ったけれど、
残念ながら僕には難易度が高かった。
今のところ僕の指は薙刀式で精一杯かもしれない。
漢直は夢幻のレベルだなあ。
速記は流派が多すぎてよくわからない。
速記で小説書く人とかいるのかね。
(結局復号の手間がいる、と聞いて真面目に調べていない)
2019年05月09日
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