2019年05月09日

【薙刀式】1文字単位で配列を考えてもしょうがない

僕の理想は、「1概念1アクション」だ。


僕の手書きは、汚いけれど続け字になっている。

で、昨日書きながら気づいたのだが、
1概念を1アクションで書いている。


1概念の単位は、
名詞副詞形容詞くらいの、構成単位品詞レベルのときもあれば、
熟語くらいのさらに小さくなるときもあれば、
句読点までの長さのときもあれば、
一文のときもあれば、
数文に渡る場合もある。

つまり、一気に吐き出すなにかを、
僕は続け字で書く。


スラスラ書くときは、
脳の中にバッファがあるときか、
書く速度と湧いている速度が釣り合ってるときで、
ポツポツ書くときは、
湧く速度の方がゆっくりなときで、
止まるときは湧いて来ないときだ。
(僕はこういうとき腕組みして考えたり、
箇条書きに別紙で書いてみたり、
スマホで別の情報を見たり、
歩いたりする)

にしても、
僕は、「1文字を書く」ということをしない。
当たり前だけど、言葉は数文字で出来ている。

「愛」は1文字だけど、
実際の文章では「愛が」「愛は」「愛を」「愛の」
などが貼りついて1概念になり、
そのあとそれをどうするのかが貼りついて、
ひとつの続け字になって行く。


「1文字を書く」ときは、書道で集中するときぐらいじゃない?
いや、上手な書道というのは続け字であるべきだ。
物理的に墨が繋がってなくても、
筆の動きは繋がるべきで、
前の文字の終画は次の文字の始画に動きが繋がるのが、
よい書道というものだ。

その筆の切れ目は、やっぱり概念の切れ目になると思う。



さて本題。

という言葉の扱いにも関わらず、
なぜ配列は「1文字1アクション」で止まってるんだろう?

「1概念1プッシュ」とステノみたいなことは言わないから、
「1概念一続きアクション」の話を、
なぜ皆しないのだろう?

僕のqwertyローマ字では、
せいぜい1文字1アクションが精一杯で、
一つの名詞を1アクションで打てることは稀だ。

薙刀式なら、ほとんど1概念一続きの運指で打っている。

手書きの続け字のように、
数文ひと続きに出来ないのは、
間に変換行為があるからだ。

薙刀式の限界は、逆にいうと、
一文一続きアクションまでだ。

数文ひと続きでカナを並べることは可能だが、
変換行為で中断されるギクシャク感が、
思考を寸断する。

薙刀式の前バージョンでは「。」を未確定状態にして、
数文打って一気変換出来るようにしていたが、
この思考の寸断がいやで、
さっさと確定出来るように「。確定」とした。
つまり薙刀式の一続きの射程は一文単位だ。

変換行為の寸断を避けるためにライブ変換を試してみたが、
漢字変換が次々変わっていく感じが気持ち悪く、
画面を見なければ許容できるかも、
くらいの拒否感があった。


となると、
漢直しかないのかなあ。
(音声入力は論外。どこででも使えるのがベスト)

でも漢直の運指が流れるようになり、
一続きの思考が滑らかな一連の運指になる、
などという話は聞いたことがない。

たとえば「熟語の滑らかな運指」が考えられている、
という話は聞かない。
熟のあとには語とか女とかに繋ぎやすいとか。

つまり、漢字カナを含んで続け字のように書いていけて、
1概念1アクション(アクションは長くて構わない)になる、
デジタル日本語入力システムは存在しない。
(あったら教えてください。
タッチペン入力だったりして)


先日外国人がqwertyで英語を打っている様を生で見れた。
センテンス単位、ブロック単位で一気に打っていた。
スペースで区切られた1ワードが1アクションの範囲ではなかったし、
ましてや1キャラクターが、1アクションでもなかった。

その一続きの運指がやりやすいかどうかは置いといて、
母国語でこう打てる外人は羨ましいと思った。

日本人の生産性が悪いとか、日本に漂う停滞感は、
母国語をPCにうまく乗せられなかったことと、
関係してるかもしれない。

僕は、一続きの概念を一続きの運指で、一息で打ちたい。
外人のように。


親指シフトは、1文字を1アクションで打てるんです!
(拗音外来音をのぞく)
飛鳥は拗音外来音を倍速打鍵できるから、
1モーラがほぼ1アクションです!
下駄配列は1モーラ1アクションの初のカナ配列!
(ただし運指は新JISベースだから左右交互多目)
新下駄配列はさらに運指を徹底に練りこんだ!
アルペジオもいっぱいある!

歴史順に見ていくと、だいたいこういう流れになっている。

薙刀式は、1モーラ1アクションは最低限の条件として、
運指を片手アルペジオ優先で組んだものだ。
速度的には新下駄に劣るものの、
一続きの言葉を1アクションで打てるような、
続け字のような長いアクションを意識したのだと、
今は考えている。

その先の、漢字も含めた、
1概念1アクション(一続きの長いものでよい)になる、
そういう日が来るかはしらない。
IMEからの設計になる気がする…


ということで、
僕は今日も続け字の手書きで、
一番大事な原稿を書き、
それを薙刀式で清書する、二度手間を良しとしている。


1カナが1アクションとか言ってる人は、
そんなに日本語を書かない人なのかもね。
1万字書くのに12500アクションぐらいしないといけない。
(漢字変換のぞく。漢字含有率25%とした)
1万字書くのに、2000アクションより少ない工数で、
言葉は成り立っていると思うよ。

この場合の1アクションとは、
同時打鍵のようなシンプルなものから、
始画から終画までの続け字(最長数文)まで含むのだが。


「1文字」は、言葉の構成最小単位だけど、
私たちの思考は、概念が最小単位だ。

思考を表す筆記用具は、そうなってるべきだと思う。


筆を忘れた日本人は、
1文字1アクションレベルまで落とされ、
漢字変換や予測変換も1アクション
(文節伸長や誤変換訂正もあればさらに伸びる)に数えられ、
140字までしか考えられなくなってしまって、
劣等民族に落ちるかもしれない。

僕は自分の原稿を書くための、
いいデジタルの道具が欲しい。

飛鳥や新下駄がそれかと思ったけれど、
残念ながら僕には難易度が高かった。
今のところ僕の指は薙刀式で精一杯かもしれない。
漢直は夢幻のレベルだなあ。

速記は流派が多すぎてよくわからない。
速記で小説書く人とかいるのかね。
(結局復号の手間がいる、と聞いて真面目に調べていない)
posted by おおおかとしひこ at 13:21| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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