2019年05月10日

あなたの個性はどこにあるか

そういうことを考える日は、毎日でもあるだろう。

そうやって「これこそが俺の個性で、売りなのだ」
などと発見し、
そこに全力を投入することもあるだろう。

ところが。
あなたの個性はそうだとは限らない、
ということも知っておこう。


なぜなら、
あなたの個性を判断するのは、他の人だからだ。

もしあなたが大阪人で、
大阪人の中ではたいして面白くなかったとしても、
東京に来れば確実に面白い人の枠内に入れる。

評価するのはあくまで、
あなたの周りの人である。

全国の評価と、あなたの周りの評価も、異なる。

あなたの周りは、自分の周りにないものを個性とする。
全国の人は、
全国の人が触れるものと、自分の周りにないものを、
個性とする。


あなたが自分の個性だと考えているそれは、
どのようなものだろうか?
(キャッチフレーズをつけている人もいるだろう)

それは、
「自分の周りにいないから」個性だと思っているか?
「全国レベルで」個性だと思っているか?
「自分史上うまくいったこと」を個性だと思っているか?

何を個性だと考えるかは、
その人の相対で決まる。
あなたが被っていると考えても、
他の人は被ってないと考えるかもしれない。

「全国レベルでは似たような個性はあるけれど、
発注できる範囲にはいないから、君に仕事を」
という発注は、
プロの現場で現実的にある。

それを自分の個性として舞い上がっていては未来がない。

あるいは、自分の個性だと思っていたことが、
井の中の蛙であり、
全国レベルや映画史レベルで見れば大したことないことと、
あとで気付いた時、
折れることもよくある。


あなたの個性はなんなのか?

逆に、自分の作品内で、個性はどうやって分けている?
「同作品内の、他との差別化」でやってるでしょ?
つまり、他人の「この人の個性はこう」は、
相対的にしか決まらないということだ。


もちろん、評論家は、相対でなく絶対で評価するべきだが、
科学論文でなく売文のときは、
客のレベルに合わせた相対で書くことも多いね。

受けることは重要か?
いいねを目的に個性を打ち出さなければならない、
それは現代人のある種の焦燥になっている。

そこと距離をおいて、
こういうものは価値がある、
って文脈の外からくるのが、
大抵は正解だ。

あなたの個性を、近視眼的に考えるべきではない。
オールタイムオールスペースで考えろ。
そうしたら突出なんて出来ないって、
なんとなくわかって来る。

あなたの個性を打っていくよりも、
あなたの作った内容を打っていくべきだ、
と長期的にはわかると思う。
(数年で売りぬける、という戦略もあるし、
そういうときは真逆だが)

だから、
あなたの思う自分の個性なんてちっぽけなもので、
誰かに発見してもらった個性も相対的なもので、
あなたの真実でもなんでもない。

舞い上がらず、自虐せず、
自分のなし得たことを広い目で眺められればよい。

それにも訓練がかかることを、
知っておくだけで今後の生き方は変わるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:18| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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