長編連載になればなるほど、
引き伸ばされてダラダラする日本の漫画に慣れている我々にとって、
清々しい「真の完結」であった。
しばらくネタバレなしで書く。
物語とは何か?
僕は人類最高の娯楽はフィクションのストーリーだと思っていて、
その中で映画が最高のパフォーマンスだと思っている。
だからここまで執念深く、
物語とは何かを言葉で分解して、
自作に生かし、またわかったことをここに還元し、
などということを続けているわけだ。
前記事でもっとも大事なものは動機だと書いた。
それは、物語を進める駆動力だ。
障害が小さいと簡単に突破できてしまうから、
障害の大きさも大事だ。
だから、障害と動機はペアで大事だ。
ひとつを突破したらまた次の…
の連鎖を、展開という。
それをひとつの動機が貫くわけだから、
ひとつの障害よりも動機の方が相対的に重要になるけれど。
ところで、
その先はどうなるのか?
その動機を基にした目的が達成した
(ハッピーエンド)か、
または達成しなかった(バッドエンド、ビターエンド)
になるものである。
「どうもならなかった、途中」
は物語ではない。
物語は「おわり」まで書いて物語だ。
なぜだろう?
人生を長く生きていると、
色々な人の死に遭うことがある。
老人まで生きての大往生ならまあいいけど、
若くして、中年で、
志半ばで死ぬ身近な人に遭うことがある。
そのときに強く思う。
「この人たちの人生はなんだったんだろう?」と。
ついでに、
「自分の人生ってなんなんだろう?」と。
現実はシビアだ。
僕たちは人生に意味を見出したいが、
意味を見出せないまま終わることもある。
物語とは、
ともすれば「人生は無意味なんじゃないか?」
と薄々気づいている我々に、
「いや、人生にはこういう意味がある。
たとえばその意味をなした○○の話をしよう」
とすることだと、
僕は考えるようになった。
物語のもっとも大事なものは動機だ。
「なぜそれをすることに至ったか」だ。
動機に必要なものは、凹だ。
何かが欠けていたり、失われていたり、
足りなかったり、欠点があったり、死ぬほど求めていたり、
心の不安だったり、自覚していない何かだったり。
それを凸に出来ると思うから、
その人はたとえ危険があったとしても、
その障害を乗り越えようとするのだ(展開)。
勿論最初から「よし、やろう」なんて出来たら、
物語がはじまる前からやってるわけで、
きっかけがなかったからこれまで凹を放置してきたのだ。
だから、物語のスタートは、
凹でかつ悶々としている。
それが、ある事件をきっかけに動くのである。
巻き込まれ型でもいいし、
転校生がやってきたでもいいし、
誰かに間違えられたでもいいし、
宇宙から最強の帝王がきたでもいい。
とにかくそれを進めるにあたって、
自分の中の動機を確認することが、
その事件にエンゲージする理由になる。
つまり、事件に関わり、
自力解決することを決定する第一ターニングポイントにおいて、
凹を凸に出来るかもしれないと、
その人は意識的にか無意識的にか思うはずだ。
そうでなければ、
映画的障害、身の危険があり、
死ぬかも知れないものを、乗り越える動機になるはずがない。
主人公は、100%他人のために動くのではない。
外面的には他人のために動くが、
内面的には自分の凹の為に動くのだ。
その谷底が深ければ深いほど、
その障害の山が高ければ高いほど、
動機は強くなり、
ストーリーは力強くなる。
「100円欲しい人が皿洗いをする」
というストーリーと、
「父の意思を継ぎ、世界平和に貢献したいが、
武器を作ることでしかそれを表現できず、
それはときに悲劇を生み、
あらゆる人から嫌われる変人が、
世界の半分を消した最強の帝王に敗れ、
5年間隠遁生活をしたが、
タイムマシンでそれ以前に戻れる理論がわかる。
しかしそれは物凄く危険」
というストーリーでは、
後者の方が力強い。
これはアイアンマンの1から連綿と続いてきたストーリーだ。
トニースタークは、
この凹を抱えたままずっと生きている。
その象徴は胸の光るエンジン。
自分の作った武器がテロに使われ、
その破片が心臓に刺さっていて、
それを止める為のエンジンがアイアンマンの原動力。
トニーは武器を作ることでしか世界平和を実現できず、
その武器のせいで死にそうになっている、
矛盾を抱えた男である。
この凹をどう凸にするのか?
が、アイアンマンという物語の動機であり、
それがどう結末を迎えるのかが、
「トニーの人生にどういう意味があったのか」
を描くことだ。
一方、
キャプテンアメリカになった男、
スティーブロジャースは、
弱い肉体を改造手術を受けて強くなった男だ。
はじめて自分を理解してくれた愛する女がいたが、
自分だけ70年の時を超えて目覚め、
現代に来てしまった男である。
「もう戻れない」こそが、
彼の凹だ。
彼は戻れないからこそ、アメリカの為に戦う。
アメリカの為に戦わなければ、
あの時彼女に誓ったことが嘘になるからだ。
彼は死ぬまで戦うだろう。
そして勝利して死ななければ彼の存在意味はない。
このスティーブの凹は、
どのように凸になったかが、
彼の人生にどのような意味があったのか描くことだ。
凹が凸になることを、
昇華という。
凹には意味があったんだ、
これを凸にすることこそが、
その人の人生の意味だったのだから。
最初から凸だったらこの人生はなかった。
凹から凸への飛翔こそ、
「その人の人生の意味」だ。
僕がハッピーエンドこそ物語だと思い、
バッドエンドやビターエンドなんて簡単にできるわ、
って下に見ているのは、
この昇華こそが、
物語の意味だと考えているからである。
バッドエンドは昇華がないからね。
皮肉でおわり。
ぼくは、
「暗いと不平をいうよりも、進んで灯りをつけましょう」
という標語が人生だと思っているので、
暗いと不平を言って終わりなんて、
なんの意味もないと思っている。
人生は暗いんだよ。それを暗いと皮肉っておしまいなんて、
底が浅すぎるぜ。
その暗い人生に灯りをつけて、
「ここに灯りをつけたやつがいるぞ」
と知らしめるのが、
物語だと思う。
こんな凹を、凸に昇華したやつがいるぞ、
というのが物語だと思う。
だから、正しい物語を見たら勇気が出る。
少なくとも成功したやつが一人いるんだ、
俺もできるかもしれないと。
物語は、
はるか先の未来にみんな出来ることになるようなことの、
「最初の一人」を描くことかもしれない。
さて。
長期シリーズになると、
スタート時にはあった凹が、
うやむやになることがある。
「えっと、あれはどうなったんだっけ」
が、たくさん放置されたままになることがある。
日本の漫画だと、
作者の迸る才能の時期にスタートした漫画が、
作者の才能の衰える前に完結する場合はとても少ない。
たいていは引き伸ばされ、
もうダメになってから終わるので、
昇華や意味の提示をして終わる長期漫画は皆無だ。
たとえば「はじめの一歩」は、
伊達戦まではパーフェクトな漫画だったが、
それ以降は下り坂で、今は見る影もない引き伸ばしだ。
「北斗の拳」も、ラオウ戦で終わっとけばよかった。
(カイオウを倒してからどれだけ長引いたか)
「あしたのジョー」「リングにかけろ」
は完璧なエンドだ。
凹が凸になって昇華して終わっている。
「アキラ」は意味不明エンドで、
凹も凸もあったものではない。
「ベルセルク」「ガラスの仮面」「バガボンド」「REAL」は、
作者が休むことでクオリティを保っているが、
「寿命との戦い」なんて揶揄される。
昇華しないかもしれない。
だから、
僕がエンドゲームを見たのは、
ダメエンドをこの目で最後まで見ようという動機だったに過ぎない。
ところがその前編、インフィニティウォーが完璧だったので、
期待値が上がってしまった。
で、その完璧な昇華を見れたので、
大変満足したわけだ。
ようやくネタバレ。
トニーと父の会話がほんとうに良かった。
あそこで父と真に和解したんだなあ、と思う。
胸に刺さっていた棘が、
うまく抜けたんだとわかる。
最後にかけた、ごく普通の言葉。
ごく普通の言葉を言うのに、トニーは震えながら言っていた。
「あなたの世界平和への貢献を、誇りに思う」
(意訳)
それがトニーの心に引っかかっていた凹だ。
この瞬間、彼の父へのわだかまりは成仏したのだ。
タイムマシン開発に至る一幕の暗さが最高だった。
誰もいない街。
ゆっくり廃墟になっていく街。
失った人たちの空虚。
それを知らないアントマン視点で描くのもうまい。
ソーのゲーム廃人ぶりも最高だ。
コメディリリーフが、
この完結編前後編で全て面白かったのがすごい。
僕はずっと爆笑したり泣いたりしていた。
トニーだけは幸せになっている、
ということの対比が面白かった。
キュートな自分の血を引く娘を、
あの変人トニーが愛している様はすごく良かった。
「俺だけは幸せでいたい」というトニーと、
失った人々。
一旦断るけれど、やっぱりタイムマシン理論を思いついてしまう感じ。
今回の脚本では、
「言葉ではAというけれど本心はBで、
やっぱりBを選択する」
「本心Bを言うために、Bという言葉を使わずに言う」
というとても上手いテクニックが多かった。
ホークアイとブラックウィドウの、
「自分が犠牲になろうと思っている」
という言葉を言わずに、
目だけで決意を表現した上で、
「俺と君の思っていることは違うようだな」
(=俺は俺が犠牲に、と思っているし、
君は君が犠牲に、と思っていると理解した)
なんてのは最高のセリフの一つ。
こうしてアイアンマンもキャプテンも、
闘いに身を投じる。
しかし僕らは覚えている。
アイアンマンの胸に開いた凹を。
キャプテンの過去に残してきた、
二度と会えない彼女を。
「過去へのタイムスリップもの」では、
必ず「もう会えない人に会える」シーンがある。
それは過去に戻りたい最大の理由で、
私たちはその人たちを失ったからだ。
そして過去を変えてはいけない、
という強烈な縛りが切ない。
たとえば「3.10にタイムスリップする」
という映画を作るとしたら、
誰がどこに会いに行くだろう?
誰が明日死ぬかは分かっている。
過去を変えてはいけないから、逃げろというわけにはいかない。
私たちができることは、
「その人に言えなかった別れを告げる」ことだけなのだ。
突然現れた死という運命に対して抗えないのなら、
私たちは彼らに愛を示すことしか出来ないのである。
この過去へのタイムスリップシーンが最高で、
アイアンマンとキャプテンの、
二人が主役であることがわかる。
そしてこれは、
アベンジャーズを中心とした、
二本の柱があったということを思い出させるわけだ。
それがどう昇華したかは、
見た人にとってはいうまでもないだろう。
アイアンマンは最高のヒーローになった。
しかもアイアンマン1のラストの決め台詞、
「I am iron man」を持ってくるんだぜ?
アイアンマン1のラストは、
「はっちゃけたヒーロー俺参上!」
くらいのコメディ落ちだったのに対して、
「俺はそのように生きた」
という自分の人生の意味を、
確認したセリフであった。
何故世界を救うのか。
何故悲劇をなくしたいのか。
自分が鉄の装甲を開発し、まとい、戦う意味。
心臓に刺さったままの自社の武器。
それを自分開発で止めている矛盾。
それら全部がアイアンマンという人間で、
そのアイアンマンを生き切ったこと、
そして世界を救えたこと。
アメリカの脚本の上手なところは、
「たったひとつに絞る」の上手さである。
今回でいうと指パッチンだ。
ガントレットがスーパーパワーのCGで起動するんじゃなくて、
「芝居で出来るたったひとつのこと」
に集約させているのが上手い。
「I am iron man」からの指パッチンは、
これまでのすべての問題が一瞬で解決する場面であり、
彼の人生の意味が昇華する瞬間である。
完璧な「問題解決の瞬間」だと思った。
一方、スティーブの問題解決は、
ラストに用意されていた。
「のび太の魔界大冒険」の落ちは、
「未来から自分たちが助けに来る」であるが、
ラストに「過去の俺たちを助けに行かなくちゃ」
で終わるところがすごく好きなんだけど、
そういうオチになるのかなあ、
なんて予想したら、
まさかの帰ってこない落ち。
つまり過去に戻り、老人になって帰ってきた落ち。
アメリカの盾を譲った時に、
全てがわかるのが上手い。
結婚指輪。まさかと思わせる小道具の上手さよ。
ペギーと再会して結ばれたんだ、
という号泣するしかない落ちだ。
キャプテンアメリカは仕事人間である。
それは、人間としての部分を過去においてきたからだ。
過去を守るために仕事しているようなものだ。
彼が仕事人間なのは、彼が人間だからだ、
というその矛盾的存在を、
過去へのタイムスリップで全部解消してしまうとは。
あまりにも見事なストーリーの組み方で、
感動を覚えた。
アベンジャーズエンドゲームは、
「アイアンマン」からはじまった、
マーベルシネマティックユニバース(MCU)の、
複数の凹を複数の凸に変えて、
彼らの人生の意味を昇華した、
完璧なるエンドである。
何本もの最終回を同時に決着した、
すごいエンドだ。
エンドゲームの意味は不明だけれど、
「ストーリーというパズルを組む」
というゲームにおいて
(脚本を組むのはパズルに似ている)、
ようやく完璧なパズルが出来た、
という意味のエンドゲームだと思う。
10年以上追いかけてきて本当によかった。
追いかけきれていないシリーズもある。
キャプテンアメリカ3、
ソー2、3、
アントマン、スパイダーマンリブート、
ブラックパンサーあたりは未見だ。
これから見ないとなあ。
期待値最高、プロモーション物量も最高、
出来も最高、
まあタイタニックは抜くわなあ。
ハリウッドの力は凄い。
「Avengers assemble」を考える、
シナリオライターとそれを興行として成功させるプロデューサー。
一方日本では、
「人気芸能人 assemble」しかやってない、
宣伝費をどれだけ浮かすかしか考えてないプロデューサーと、
その御用聞きの脚本家がのさばっている。
サノスに半分減らしてもらえ。
2019年05月11日
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