2019年05月15日

敵は不安を増大させる

動機が不安なのだとしたら、
敵は不安を増大させるためにある。


つまり、意図的に敵は主人公サイドの不安を煽るのだ。

悪意があってもいいし、無くてもいい。

たとえば主人公が何かを勇気を出してやろうとするときに、
「失敗したらどうするんだ」
という人は、
たとえ本心から心配していたとしても、
主人公の敵である。

親は、独立しようとする子の、敵になる。
(反抗期は独立までの必要な期間だ)

「怖いからやめて」という有象無象も敵である。

「どうなるか分からないし、
責任を取れないから」と消極的な上司も敵である。

悪意の有無は関係ない。

主人公の実行にたいして、
ブレーキや障害となるものはすべて敵だ。

わかりやすく敵と書いているが、
別にショッカーみたいな倒し方をする必要はなく、
上手に説得したり、
やんわり回避してもいいのだ。

殴り合うだけが映画ではないし、人生ではない。
主人公の実行に障害になればよいだけだ。
悪意があるよりも、善意があるほうが厄介だ。


もちろん、
悪意がある場合もある。
その時は、意図的に主人公の不安を増大させるとよい。
不安とは「知らないもの」に起こる。

主人公が未経験のものに対して、
「お前は知らないから不安に感じないのだ」
とうまく「知らない領域を意識させる」ことで、
不安を増大させるように誘導すれば、
それは精神攻撃として有効だ。

そこに崖があることを示すのに、
崖全体を示す必要はない。
小石を落とすだけで表現できる。
崖全体を見せないことで不安を増大させるとよい。


危険は、物理的危険であるとは限らない。
心にもある。
posted by おおおかとしひこ at 02:51| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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