動機が不安なのだとしたら、
敵は不安を増大させるためにある。
つまり、意図的に敵は主人公サイドの不安を煽るのだ。
悪意があってもいいし、無くてもいい。
たとえば主人公が何かを勇気を出してやろうとするときに、
「失敗したらどうするんだ」
という人は、
たとえ本心から心配していたとしても、
主人公の敵である。
親は、独立しようとする子の、敵になる。
(反抗期は独立までの必要な期間だ)
「怖いからやめて」という有象無象も敵である。
「どうなるか分からないし、
責任を取れないから」と消極的な上司も敵である。
悪意の有無は関係ない。
主人公の実行にたいして、
ブレーキや障害となるものはすべて敵だ。
わかりやすく敵と書いているが、
別にショッカーみたいな倒し方をする必要はなく、
上手に説得したり、
やんわり回避してもいいのだ。
殴り合うだけが映画ではないし、人生ではない。
主人公の実行に障害になればよいだけだ。
悪意があるよりも、善意があるほうが厄介だ。
もちろん、
悪意がある場合もある。
その時は、意図的に主人公の不安を増大させるとよい。
不安とは「知らないもの」に起こる。
主人公が未経験のものに対して、
「お前は知らないから不安に感じないのだ」
とうまく「知らない領域を意識させる」ことで、
不安を増大させるように誘導すれば、
それは精神攻撃として有効だ。
そこに崖があることを示すのに、
崖全体を示す必要はない。
小石を落とすだけで表現できる。
崖全体を見せないことで不安を増大させるとよい。
危険は、物理的危険であるとは限らない。
心にもある。
2019年05月15日
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