2019年05月18日

なるほど

伏線の話、続き。


伏線は、読まれては弱くなる。
解消が来ても、「それは分かってたし」と冷めてしまう。
逆に、読まれなさすぎても弱くなる。
「実はこうだったのだ!」とドヤ顔で解消しても、
そこで「なるほど!」と腹落ちしないと、
よく分からない伏線になるだけだ。

これは、謎とその解明の関係と同じだ。

謎を前振っておいて、
それを謎解きして「なるほど!」と唸らせたいならば、
その謎が簡単すぎても面白くないし、
解明が難しすぎても面白くない。

平均的なIQで最も楽しめるようにするべきだし、
バカでもわかるようにするべきだし、
賢い人に馬鹿にされるようなヘマをしてはいけない。

クイズ本を作る難しさと同じであろう。


伏線と解消は、
ちょうどよく「なるほど!」となるべきだ。
独りよがりではダメだし、
簡単すぎても難しすぎてもダメだ。

それを自分で判断するにはどうすればいいだろうか。

結局、数をやって判断できるようになり、
数を見て、上手い人のそれを観察し、
数を見て、下手な人のそれを見て反省するしか、
ないと思う。
それは塩梅のようなものだから、
感覚としてマスターするしかない。

つまり、
伏線は謎解きだ。
「?」を上手に提出して、
それを焦点とし
(一回忘れさせても忘れさせなくても)、
それが「!」に変わる瞬間を、
どう上手く組み立てるか、
というゲームだと思えば良い。

なんだか変だぞ?
そういうことだったのか!

これを上手く出来るようになったら、
段階的に繰り返せば、
どんどん人を惹きつけられるようになっていくだろう。
posted by おおおかとしひこ at 03:26| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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