伏線の話、続き。
伏線は、読まれては弱くなる。
解消が来ても、「それは分かってたし」と冷めてしまう。
逆に、読まれなさすぎても弱くなる。
「実はこうだったのだ!」とドヤ顔で解消しても、
そこで「なるほど!」と腹落ちしないと、
よく分からない伏線になるだけだ。
これは、謎とその解明の関係と同じだ。
謎を前振っておいて、
それを謎解きして「なるほど!」と唸らせたいならば、
その謎が簡単すぎても面白くないし、
解明が難しすぎても面白くない。
平均的なIQで最も楽しめるようにするべきだし、
バカでもわかるようにするべきだし、
賢い人に馬鹿にされるようなヘマをしてはいけない。
クイズ本を作る難しさと同じであろう。
伏線と解消は、
ちょうどよく「なるほど!」となるべきだ。
独りよがりではダメだし、
簡単すぎても難しすぎてもダメだ。
それを自分で判断するにはどうすればいいだろうか。
結局、数をやって判断できるようになり、
数を見て、上手い人のそれを観察し、
数を見て、下手な人のそれを見て反省するしか、
ないと思う。
それは塩梅のようなものだから、
感覚としてマスターするしかない。
つまり、
伏線は謎解きだ。
「?」を上手に提出して、
それを焦点とし
(一回忘れさせても忘れさせなくても)、
それが「!」に変わる瞬間を、
どう上手く組み立てるか、
というゲームだと思えば良い。
なんだか変だぞ?
そういうことだったのか!
これを上手く出来るようになったら、
段階的に繰り返せば、
どんどん人を惹きつけられるようになっていくだろう。
2019年05月18日
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