人間の感覚として当たり前だけど。
何かを経験した直後は、
まだ整理されてないが、生の感情を伴った何かがある。
それが時間が経つにつれて、
どんどんそれらが整理されてくる。
生々しい感情は奥底にしまわれ、
他の経験との差異や、相対化が行われるようになる。
さらに経つと、
「あれは○○だったのだ」
と、一言でラベリングした箱に入ると思う。
物語において、
テーマとはこの整理され尽くした○○のことである。
つまり、あなたは、
自分の書く物語について、
何年も時間が経ち、
「あれは結局こういうことだったんだよね」
という境地に立たなければならない。
そしてそれを紐解くとき、
まるで今経験した時のような、
生々しい感情で書かなければならない。
思いついた生々しい感情で書いていくと、
どこに向かうべきか分からなくなり、
ノーテーマの話で終わってしまう。
客観的で整理されたプロットに還元してしまうと、
砂かぶり席のような臨場感がなくなってしまう。
難しいけれど、
「次どうなるかわかってなくて、
次どうなるかわかっている」
という精神状態をキープし続けることが、
執筆という行為だ。
それはリライトをも含む。
「何回も書いてたら飽きちゃって、
何が面白いか分からなくなってきた」
なんてことは良くあるけれど、
それは精神状態のキープの仕方として未熟だからだ。
何度書き直したとしても、
「初めてそれを経験する生々しい感情」
でなければならないのだ。
不安や心配は、
次どうなるかわかってしまったら消失することを、
自分にも課さなければいけない。
同時に、何年も経ったあとのように凝縮した、
あれは結局○○ということだった、
のような俯瞰の境地にもいなければならない。
2019年05月20日
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