普段僕は脚本論を書いている時、
絵に関する言及は少ないと思います。
絵は具体を前に議論することが必要で、
共通する絵がなかなかないためです。
今回は、絵の話を共通して可能なので、絵に関してやってみます。
初心者が難しいのが、絵による表現かもしれません。
みんな絵で表現するのが下手だと思いました。
たとえば状況を示すのは、絵で一発で表現できます。
気持を示すのも、セリフより絵のほうが強い場合があります。
また、平凡な絵は平凡なセリフと同様、
記憶に残るものではありません。
なるべく平凡でない絵にすると、心に残ります。
絵描きではないのだから、ほんとうに絵を描く必要はないのです。
しかし脚本には絵を描けます。
「こういう状況で、こういうことをする」
という絵を、ト書きで描けばよいのです。
最上のセリフとは、無言のことでした。
ただ無言で強い表現になるわけではありません。
そこには、強い絵があるものです。
セットアップを例に、添削してみましょう。
絵の添削.pdf
(アップロードの都合上、1ファイルにまとめました)
「総員、乗艦セヨ。」の冒頭部
現代ものではない場合、とくに特殊な状況を上手に説明することが要求されます。
戦争ものであること、たとえばこの場合、
太平洋戦争もののような南海の基地のような状況を想像させなければなりません。
戦争に負けそうなこと、しかし戦線を支えないといけない状況があります。
かつそれを、「観客の感情を伴って」表現するのが理想です。
風見と鈴木の挨拶が面白くないので、書き直してみました。
鈴木の若者らしい軽口が、余計辛くなるようにしてあります。
また、状況説明は絵で一発で表現してあります。
もと原稿にある「岸壁を波が洗う」という一文は、
何かを示しているでしょうか。気分で書いただけではないでしょうか。
そんなものは観客の感情に何も影響しません。
上手な絵は、状況を分からせて、
かつ感情を揺さぶり、ついでにドラマを進めます。
絵とセリフのバランスを観察してみてください。
絵で伝えられないことをセリフで伝えるべきで、
絵で伝えたほうがぐっとくるものは、
絵で(無言で)伝えたほうがよいのです。
風見の悲しみや後悔ややるせなさは、
煙草で弔うさまでわかると思われます。
(元原稿では口癖を設定していますが、
これが全体に効果的に効いているとは思えませんでした)
「大事な人を、二駅先に置いてきた」の冒頭部
最初の電話はたいした情報量がないので切りました。
大事なことは、漫画家で売れないことと、
もうやめようかと思っていることです。
これは友人の出産でなくても表現できます。
次の朝、「〇〇、男の子生まれたんだってさ。みんな先に行く感じがするよ」
と話題を振ってもいいくらいの情報です。
これが話全体の枕になるのなら是非とも残すべきですが、
なくても成立するので、切ってもよいでしょう。
リライトした冒頭部は、
いっさいセリフを使っていないパターンにしてみました。
原稿を丸めて捨てるのがちょっと昭和っぽいので、
パターンBとして、
黒く塗りつぶされていく原稿としてみました。
パターンCとして、
「iPadで絵を描いていて、アンドゥして、
線をどんどん消して初期状態にしてしまう」などもあるでしょう。
いずれも、主人公の気持ちを表現し、
その空気に同調していけばこの話はいいのだ、と分かるはずです。
「今回も没か」なんてセリフで説明するのは野暮です。
封筒の小道具で全然表現できます。
(IT時代で厄介なのは、こういう小道具が減ったことですね。
メールサーバに「今回も没です」というのが沢山たまっている、
とかじゃ絵として強くないし)
気になったのは「眠りについた」という一文。
悩んでいるときに眠れないほうが普通でしょう。
ストーリーはフィクションです。
リアリティの範囲なら、嘘をついて架空のものを構築してよいのです。
叫んで窓から身を投げようとしてもいいし、
壁に頭をぶつけ続けてもいいのです。
極端な表現のほうが強くなります。
綾を起こしてはいけないと気を使いつつ、
頭を壁にエアでぶつけ続けるとか、
そういう新しい見せ方を考えてもよいのです。
「たなぼた」冒頭部
「ハワイに家族で行きたい」という夢は、
簡単に表現できます。セリフで説明しなくてもよいのです。
残業で遅く帰って来る父を子供が待っているかと思うと、
たぶん寝てるんじゃないかと思い、
「六歳まで会えない」というセリフで、父の悲しみを表現してみました。
このように、セリフとは、
説明以上の何かを表現するときに使うべきです。
ただ説明するだけのセリフは、すべて無駄です。
どういう感情でそのセリフを言うかで、
意味はどんどん変わってきます。
その感情の流れこそがストーリーです。
また、「知らない人に説明する」
ということで説明台詞を使うのは比較的定番ですが、
妻がハワイに行くことをここで初めて思い立つのは不自然かと思いました。
すでにその体で始めたほうが、話が早くなります。
「絶望の仮想夢」冒頭部
遺影は一瞬過ぎて効いていないので、
タイトルカットに下げました。
死に落ちのネタバレかもしれないけど、
多分初見では何のことかわからないでしょう。
これも、登場人物たちは、
異常な状況(中学生の夢を見る為恐怖で不眠症に陥っている)
に放り込まれたあとから、
話を始めてみました。
そうなったら何をするだろう、
異常な対応をするだろう、と想像して、
「25秒だけ寝る」なんて冒頭にしてみました。
元原稿の「またその話?」は不自然すぎます。
夫のそのような状況を知らないわけはないでしょうから、
「寝れたの?」と聞くか、「睡眠薬なら夢を見ないって聞いたわよ」というか、
などを考えたほうがよいでしょう。
そのうえで、
観客にこの状況に巻き込ませるにはどうしたらいいか、
考えるべきです。
つまり、進行している事態が同じでも、
絵で状況をいかようにも演出して見せていくことが出来ます。
「友の歌」冒頭部
音楽ものは難しいのです。何を音楽で語るのか、考えて置かないといけない。
少なくとも長谷部の才能はここで見せておくべきです。
バンドが売れないのは長谷部のせいではない、
ということは前提にすべき。
曲がマズイ、ということはなかなか表現できないことだから、
「客の反応が悪い」ということで間接的に表現することは可能でしょう。
ついでに、ピックにクローズアップしておきました。
回想パート
あまりにも平凡なので、変えてみました。
二人の出会いのシーンなのにまったく印象的じゃないです。
印象的にするには、平凡を避けることです。
出会い方が斬新で記憶に残ればベストですが、
そうじゃない場合、新しい絵で記憶に残すことが可能です。
ピックを忘れて、貸してもらえなかった場合、
どうするか、を考えていない感じがしました。
バンドエイドを巻いて弾こうとしている、
ということで、新しい絵を作ってみました。
これなら「見たことのない絵」になります。
「変わったスタイルだね」なんて新しい声のかけ方が可能となるでしょう。
平凡なシーンは、このように、
セリフを極力排除し、絵だけで表現することで、
感情を表現することが可能になります。
もちろん状況も示せるでしょう。
百聞は一見に如かず。
百のセリフより一枚の絵です。
冒頭部の場合、とくに問題の枠組みを示し、
センタークエスチョンやゴールを想起させることも可能になります。
さらに、感情が伴えば両輪が揃うでしょう。
添削例では、
小道具を使っているところに気をつけてみてください。
夕日、消えた潜水艦、煙草、ぼろぼろの軍旗。
くしゃくしゃの原稿、没の封筒、黒く潰された原稿。
セロテープで貼ったハワイの写真、短冊の文字。
時計、フラッシュの光。
ピック、バンドエイド。
これらの小道具は、置いてあるだけの場合もあれば、
それにアクションをすることで、何かの意味を象徴することが可能です。
煙草をそっと置くのは弔いの意味だし、
原稿を塗りつぶしていくのは絶望の意味だし、
写真を置いてあったり短冊に書くのは、夢や目標だし、
不眠症にフラッシュは逆境になります。
(リアクションを引き出しやすくなる)
小道具をうまく使うことで、
絵で語ることが可能になります。
「アベンジャーズエンドゲーム」では、
指パッチンを上手に小道具として使っています。
まさか21世紀に指パッチンが肝になる映画があるとは、
想像だにしませんでした。
これらに共通することは、
「平凡な絵で語らない」ようにすることでしょう。
オリジナルな絵で語ることを考えるべきです。
ストーリーが平凡でも、見せ方が新しいと、
新しい話に見えます。イコンが変わるからです。
指パッチンが、ポール牧ではなくなり、
アイアンマンに上書きされることになるとは。
そのようなものをいつも考えておくべきです。
平凡な絵を書かないぞ、
と思うべきであって、
出来合いの絵でストーリーを表現するぞ、
と思うべきではないでしょう。
あなたはオリジナルのストーリーをつくりたいんでしょう?
僕の添削がベストとも限りません。
自分だったらどうするか、
他人の原稿をリライトしてみるのも勉強になります。
もちろん、
オリジナルなエピソード、
オリジナルなキャラクターを作ること、
も重要です。
次回はそこを掘っていくことにしましょうか。
リライトされた冒頭の効果が絶大なのがよくわかります。
現在の脚本ストックを全て見直します(汗)!
次も楽しみです。よろしくお願いします。
指摘が図星すぎて恐ろしくあります。自分は抽象概念を具体化させるのが下手なのだろう、と自己分析しているのですが(そしてそれは三人称として致命傷では?)、まさにそうだと。
大岡さん版を私が書くと仮定して、そのプロセスは、
〇 まずシーンとして必要な要素を洗い出す(@舞台、A劣勢の戦況、Bボロボロの隊、C風見の後悔、D脱出手段の確保情報)
△ それの具体は何が相応しいか連想(@太平洋の島の軍港、A軍港は急ごしらえ、損失艦、ボロ軍旗B小人員、疲労困憊の表情、損失艦、ボロ軍旗C鈴木とのやり取り、損失艦、タバコの弔い、Dセリフと駆逐艦)
□ △を含んだシーンを執筆していく。
で、問題ないのでしょうか?具体化への手筋で何か抜けている気がするのは、杞憂でしょうか?
また、これは初稿でなくリライトでやるべきことなのでしょうか?
初稿はアイデア出しとプロットの結果を元にはするが、深くは考えずに速度重視で適当に書く。
完成してから何が必要か客観視して修正稿をさらに書くもの?
正直に告白すると、『乗艦セヨ』は初稿を投降しています。それが最大の悪手とは感づいていて改訂して出すつもりでしたが、時間が足りませんでした。
一応は、柱の場所指定と重要なアクション、状況、セリフだけ描いて、シーン順に並べた仮脚本(ボードと脚本の間のようなもの)を頭から最後まで書く。
そして完全完成品としての初稿というステップを踏んではいるのですが、指摘から客観を見るには足らなかったのは見えます。
(そもそもシーンとシーンの接続に思った以上に手間取って時間を大幅にロスして力尽きた感があります。頭からケツと思ったら関節が無かったと)
おそらくだから「弔う」という発想は指摘されるまで無く、「後悔」で思考が止まっていた。Dを司令部シーンより前に持ってくる発想も無かったのだろうと思います。
そして大岡さん版とケン版の違いとして、情景描写(と言っていいのかわかりませんが)にもアクションの有無があるのだなと。
A大「急ごしらえで造った軍港」 ケ「簡素な泊地」B大「人員、疲れていて暗い」 ケ「鈴木only」
大版全てに動きの連想が埋め込まれている。イメージされる背景が大きく変わっている要因はソレでしょうか?
そしてCが一番大きく、風見のアクション(この場合はリ・アクションかな?)を考えているから「弔い」が出たのだろうと。
私は「後悔」という状態、つまり心象の停止状態だったからモノローグになった。
大岡さんは「知り合いが死んだ」→「弔うだろ普通」
その具体として、「弔いと言えば線香」→「線香がある戦場ってなんや?」→「線香は長細く煙が出る棒」→「タバコを線香代りにする人はいる」
で1分物語のオチ絵を考えついた。
実際は弔いから線香代りのタバコを一発で出したのかもしれませんが、私の人生経験上では恐らく出ないので、いけそうな手として連想ゲームを挟んだと仮定させて頂きました
以上、反省と改善できそうな手筋を自分なりに考えてみました。超長文失礼しました。
料理にたとえると、
咀嚼し、味わえ、消化できる状態で出すのが理想です。
まだ素材が煮込まれきってない感じなんですね。
思いついたものを全部出した状態に過ぎず、
それを他人がどう味わうのかまで考えが及んでいないと。
書き慣れてないから、すぐに力尽きるのです。
初稿で大岡版にたどり着く場合も、手慣れていれば出来ます。
「○分の話なら、事前に思う量、準備しておく量はこれだけ」
と見積もれるようになります。
今回の話は下手したら長編小説一本に膨らませられる題材で、
15分の準備量にしては多すぎます。
少なく準備して多く煮込むことが必要です。
そういったことに慣れるまで、書くという行為を続けられるか、
それまで物語というものに興味が尽きないか、
ということも関係あるかもですね。
さらに半分の長さの話とか、
あるいは15秒CMを100本作ってみるとか、
もっと短編を数多く回すと、
経験の量(落ちや展開のバリエーションや多角的見方)が稼げます。
5分以内のシナリオを書くというのはわかっているのですが、どういうわけか上手く行かないのです。なぜかこの長大な話が出来上がるのが毎回プロット上でも見える。書いてみたら案の上。
>少なく準備して多く煮込むことが必要
この言葉に惹かれるものがあります。
おそらく、自分は「オチ」の概念を大げさに考えているから、つまりオチと言える範囲がよくわからないから際限なく話が広がっているのかもしれません。
テーマに落とすからオチ、というより結末に落とすからオチと考えた方が、こと短編を作ることにおいては作りやすい理解なのかなと今回で思いました。
私はファーストシーンを「オチてない話」と認識していました。何故なら話として特に語ることがないから。ところが改訂版を見たら「オチのある話」と認識した。
恐らく、最初の認識が誤解で私のでも鈴木の死というオチは付いていた(ただし下手糞すぎた)。
しかしこの程度の「やりとり」が1分程度の「オチの付いた話」の一例であり、それを可能な限り上手く見せろ!というのが多く煮込むということでしょうか?
現状の私は、「数を作りたいが、どの程度のものを完成品と判断していいのかがわからない」と言った感じです。
「毎日うちのお昼じゃ飽きちゃうでしょう?」
「弁当だけじゃ、ないから」
恋は、遠い日の花火ではない。OLD is NEW
この会話2行で毎日を起点にした過去からの恋慕が伝わった。だからこれはオチのある物語だ。
CMの「完成」はそういうものですか?
そしてまだよく言語化できないのが、「少なく準備」の準備物、つまり尺を決定する核は何になるのか?ということです。
仮説としては「動詞」?
思えばファーストシーンが私のは20秒、大岡さんのは1分。これは「見送る」に「弔う」が増えた結果である。だから結末に対しての動詞数をコントロールしたら5分以内のシナリオが出来る?
説明としての精度が何か足りない気がします。
>>少なく準備して
この塩梅は、たとえば他の応募者の原稿を、
「まるまる手書きで写してみる」
をやってみるとよくわかります。
タイピングせずに、手書きでやるのがコツです。
結構な分量ですが、修行としては楽な部類。
同じ条件下で準備されたものたちなので、
比較しやすいでしょう。
(そのために全員のものをオープンにしています)
書く前にどれくらいの分量を用意した(と思われる)か、
レシピのように書き出してみるとさらにわかるかもです。
実際のところは、
「頭の中に準備する量」なので、
「誰にとっても明らかな量(客観量)」では測れず、
自分の頭との関係(主観量)ゆえに、
自分の頭でやってみるしか、その感覚を把握できません。
僕は「車幅感覚」だといつも言っています。
ぶつけたり足りなかったりしながら、
自分の感覚を磨いて行くのが、
最も手間がかかって最も近道だと思います。
なるほど。確かにそれはやっていませんでした。
写経(というか映像音声からの脚本化?)はやってたのですが、2時間映画全部か最短でも30分アニメで射程が長すぎたように思えます。
5分程度のプロの作品の例があまり浮かばなかったからそうなってたのですが、灯台元暮らしだったと。
そしてCMについてひたすらググってたら、いわゆるWEB CMがジャンルとして5分程度シナリオの塊なんですね。
過去も含めた添削スペシャルの写経と15秒〜10分CMの脚本化。それらの分析でやってみます。