2019年06月04日

見事な中興の祖(「シビルウォー」評)

脚本添削スペシャル中の書き溜めを放出。

「キャプテンアメリカ」の完結編という言い方が紛らわしかった。
これはアベンジャーシリーズの第二ターニングポイントではないか。

「インフィニティウォー」「エンドゲーム」があまりにも完璧で、
それと同じ脚本家監督だと聞いて、
見ずにはおれなかった。
最高の仲間割れと友情の映画。

「キャプテンアメリカ対アイアンマン」とタイトルをつけ直すべきだ。



子供の頃、
「マジンガーZ対デビルマン」を見に行った。
「対」と言っているわりには、
クライマックスでマジンガーとデビルマンは戦わず、
共闘して終わりで、がっかりした記憶がある。

今考えると、
「二人が戦うだけの動機」を、作り込むことができなかったのだと、
はっきりとわかる。

しかしこの映画は違った。
きちんとキャプテンアメリカとアイアンマンのバトルを、
クライマックスに持ってきやがった。
見事だ。

物語のすべてのエンジンは動機だ。
完璧なクロスオーバーだった。



以下ネタバレ。
















トニーの父があの研究所で働いていた、
というのを僕はエンドゲームで初めて知って驚いたのだが、
ここでのクロスオーバーのアイデアの結実だったとはなあ。

前振りがうまい。
「過去を追体験する装置」を持ってきて、
父に最後にうまく話せなかった場面で、
心を痛めさせる。
(この結実はエンドゲームにて行われるが)
今回の映画では、
1991年の両親の交通事故は、
交通事故ではなかったことが判明する。
洗脳されたバッキーの殺人であったのだと。



敵の描きかたがうまい。
必ず卑怯な手を使うことになっている。
拷問、バッキーへのミスリード、
変装しての潜入など、
正々堂々していないのがポイントだ。

しかしその真実は、
超人の力を持たない一市民であったことが、
「超人とはどうあるべきか」
というシリーズのセンタークエスチョンになっていて、
非常にうまい。

(この結実がエンドゲームにおける、
アイアンマンの最期のセリフとは恐れ入ったぜ)


これを見ていたら、
スパイダーマンもブラックパンサーも見にいったかもなあ。

やっぱウルトロンの出来が酷すぎたね。
ソコヴィアでの出来事のためだけの長い伏線だった。

ハルク出してブラックウィドウとホークアイとの、
三角関係やっときゃ良かったのに、
勿体ない。



物語とは、動機で決まるのだ。
ブラックウィドウもいいところで見せ場があったし、
本当にこの脚本家は、
全てをまとめる天才の所業だ。
posted by おおおかとしひこ at 11:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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