脚本添削スペシャル中の書き溜めを放出。
「キャプテンアメリカ」の完結編という言い方が紛らわしかった。
これはアベンジャーシリーズの第二ターニングポイントではないか。
「インフィニティウォー」「エンドゲーム」があまりにも完璧で、
それと同じ脚本家監督だと聞いて、
見ずにはおれなかった。
最高の仲間割れと友情の映画。
「キャプテンアメリカ対アイアンマン」とタイトルをつけ直すべきだ。
子供の頃、
「マジンガーZ対デビルマン」を見に行った。
「対」と言っているわりには、
クライマックスでマジンガーとデビルマンは戦わず、
共闘して終わりで、がっかりした記憶がある。
今考えると、
「二人が戦うだけの動機」を、作り込むことができなかったのだと、
はっきりとわかる。
しかしこの映画は違った。
きちんとキャプテンアメリカとアイアンマンのバトルを、
クライマックスに持ってきやがった。
見事だ。
物語のすべてのエンジンは動機だ。
完璧なクロスオーバーだった。
以下ネタバレ。
トニーの父があの研究所で働いていた、
というのを僕はエンドゲームで初めて知って驚いたのだが、
ここでのクロスオーバーのアイデアの結実だったとはなあ。
前振りがうまい。
「過去を追体験する装置」を持ってきて、
父に最後にうまく話せなかった場面で、
心を痛めさせる。
(この結実はエンドゲームにて行われるが)
今回の映画では、
1991年の両親の交通事故は、
交通事故ではなかったことが判明する。
洗脳されたバッキーの殺人であったのだと。
敵の描きかたがうまい。
必ず卑怯な手を使うことになっている。
拷問、バッキーへのミスリード、
変装しての潜入など、
正々堂々していないのがポイントだ。
しかしその真実は、
超人の力を持たない一市民であったことが、
「超人とはどうあるべきか」
というシリーズのセンタークエスチョンになっていて、
非常にうまい。
(この結実がエンドゲームにおける、
アイアンマンの最期のセリフとは恐れ入ったぜ)
これを見ていたら、
スパイダーマンもブラックパンサーも見にいったかもなあ。
やっぱウルトロンの出来が酷すぎたね。
ソコヴィアでの出来事のためだけの長い伏線だった。
ハルク出してブラックウィドウとホークアイとの、
三角関係やっときゃ良かったのに、
勿体ない。
物語とは、動機で決まるのだ。
ブラックウィドウもいいところで見せ場があったし、
本当にこの脚本家は、
全てをまとめる天才の所業だ。
2019年06月04日
この記事へのコメント
コメントを書く