脚本論の途中ですが、酷い広告を見たので晒す。
プロの文章とは思えない。
これを書いたコピーライターは、若者に道を譲れ。
グレーバックに黒文字だけの、
シンプルな(つまり最低限の費用の)電車内貼りだった。
以下引用
時代は、動いている。
毎日を、自分らしく、輝くものにするために。
今、生きかたを、問われているのだと思う。
私たちは、自分にまっすぐでありたい。
変わらぬ美意識で、ものづくりをしてゆく。
この想いに賛同してくれるひとたちとともに、毎日を、光り輝く、美しいものにしたい。
MAZDAは、そう思います。
美しく走る。
Be a driver.
MAZDA
引用ここまで
は?
何言ってんの?
結局、わしらは(旧態依然とした価値観で)ものづくりをするので、
それを買ってください、
としか言ってないよね?
上三行は何にもかかってないので、
必要ないよね?
どういうことが「美しく走る」ことなのか、
どういうことが美意識の中身なのか、
何一つ言ってないので、
スカスカの内容だ。
たとえば、
「どんなことを言われても、
正しいことと信じたら最後まで貫く」を美しいとしても良いし、
「臨機応変」を美しいとしてもよい。
あるいは、
新しい価値観を提示して、それを「美しい」と表現してもよい。
絵に描いた餅を美しいと規定するべきで、
描いてもない餅を美しいと書いている。
中身のなさに、MAZDAの脳味噌のなさを見た。
これは企業広告だ。
MAZDAの社としての考えは、
脳が空だということだ。
僕はMAZDAというメーカーは好きな方だ。
だがこのコピーライターの文章が中身がなさすぎて、
僕のMAZDAへの信用は地に落ちた。
広告は人格である。
この人格は中身がない。
つまり、MAZDAには中身がない。
中身のありそうな言葉を並べてただのポーズを取っている、
バカだ。
結論であるところの、
「Be a driver.」ってどういうこと?
免許とって車買えば誰でも(ひとりの、名もなき)ドライバーやんけ。
前段でMAZDAの考える美しさを定義して、
その上での結論の、
「Be a beautiful driver.」ならわかる。
MAZDAってアホなの?死ぬの?
この時代に、どう切りこもうとしてるの?
なんもいってないよね?
(「いいちこ」は変わらないことをいいことだと、
広告人格を一定し続けている)
ただでさえ、
「カワイイは正義」で「カワイイはつくれる」で、
自撮り盛り盛りで、
美しさなんて人工だってバレてる時代だぞ?
美意識なんてただのナルシズムだって時代だぞ?
この広告の存在意義がわからない。
自らの脳味噌の無さを広告してなんになるの?
もうすぐ潰れる予告なの?
2019年05月25日
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