これを一度でもきちんと考えて、
通した作品はあったかなあ。
全然ないように思えましたね。
テーマとは何か。
なかなか難しく、僕も一言で言い表すことが出来ていないかも知れません。
テーマは間接的です。
作品に一度も登場していない言葉にも拘わらず、
作品を見終えたら残る言葉(概念)という定義が出来ると思います。
あるいは、「この作品が世の中に存在する意味」といっても過言ではありません。
もっと縮めると、その作品の存在意義かもですね。
僕は「作者のいいたいこと」はテーマではないと考えます。
いいたいことがあるならSNSなどで発信すればいいだけで、
ストーリーを書くべきではありません。
同様に、 SNSで言っていることが過激だから、
作品も敬遠される、ということの意味もわかりません。
これは「作者のいいたいことが作品にある」という、
ストーリーを理解していない誤解に基づく考え方です。
作者の言いたいことと、作品は、分離しています。
言いたいことがないとしたら、
作品には何があるというのでしょうか。
作品は、何によって立っているのでしょうか。
それがテーマだと僕はかんがえています。
難しいことは考えなくてよくて、
その作品を見終えたときに、
「結局これは何だったのだろう」と思って、
あとに残る何かのことだと思います。
各作品のテーマはどのようなものだったでしょうか。
僕は、テーマといえるほどの、
明確な方向性を感じませんでした。
それは、各作品のログラインをみれば明確です。
よくできた作品にはテーマが明確で、
それは構造に反映されていて、
ログラインに反映されているもので、
ログラインから読み取れない作品は、
それらが明確でない証拠です。
(まれに、ログラインを書くのが下手なだけで、
作品はしっかりしたものがあることもありますが、
それはめったにないでしょう)
ということで、
各作品のログラインを再録して議論しましょう。
「大事な人を、二駅先に置いてきた」
夢をあきらめかけた漫画家が立ち上がる話
ここから想像されるのは、
「夢を見ることは大切だ」?
「夢をあきらめるべきではない」?
だとしたら、
「夢なんて見ていてもよくないのである」
という悪役がいて、それを倒すことでテーマが構造的になるはず。
しかし本編はそうではなかった。
ということは、ログラインの暗示するテーマと、
ストーリーが解離しているということです。
さらにいうと、
テーマを表す構造に、ストーリーがなっていない。
本編の、
「ただ時系列を追っただけで、
何か芯のあるものをみた気がしない」
という感想は、これが原因です。
この特徴は、他の作品でも同様でした。
「総員、乗艦セヨ。」
職務に忠実な中年軍人が若き医者と共に荷物整理して
島から脱出する話
「職務に忠実な」はどこに掛かっているのでしょう。
職務に忠実ゆえに、正義とは何かがわかっていなくて、
それを若き医者と共に行動することで知ることが出来たので、
「職務が全てではない、自分の判断で進むべきである」
という話でもありませんでした。
だとしたら、タイトルは「総員、乗艦セヨ。」ではなく、
「総員、それぞれの道へ進め」になったはず。
そういう構造でもありませんでした。
つまり、テーマと構造が一致していない。
そもそもテーマが何かも良く分らない。
職務に忠実なのは日本国の常識だから、それが悪でも正義でもない。
「渡された情報を鵜呑みにせず、自分の目で見たことを信じるべきだ」
という話でもありませんでした。
で、結局この話はなんなん?
その疑問が、このストーリーが腹落ちしない理由です。
「絶望の仮想夢」
愛する妻との生活を守りたい男が、
眠ると夢では悲惨な中学生になってしまい、
そこから逃れようとするが、
やがてどちらが現実かわからなっていく奇妙なお話
バッドエンドのどんでんは面白かったのですが、
だからこの話の意味ってなに?
って考えると、なんなのか分らなくなります。
何か悪いことをやってひどい目にあったから、
これは因果応報なのだ、というわけでもなさそうだし、
「世の中は不条理である」以上のことを言っていないかもしれない。
だとすると、このログラインと齟齬をきたすし、
そういうことでぎゃふんというストーリーでもなかった。
そもそもバッドエンドというのは、
何かの皮肉である必要があります。
世の中のよいと言われている価値観のもと行動して、
悲惨な落ちになれば、その価値観は間違っている、
というようなブラックユーモアになるはず。
そうなっていなかったのが、
このバッドエンドの意味がわからなくなった原因と言えるでしょう。
つまり、「バッドエンドでびっくりしたやろ?」
以上の何かになっていないのが問題です。
夢(寝ているときにみるもの)と夢(目標)を、
掛詞にしてはいますが、
それはテクニック上(言葉遊び)でしかなく、
テーマと関係あるわけでもない。
「現実とは何か」を扱った作品に、
「マトリックス」や「胡蝶の夢」があります。
前者は「夢に逃げるのではなく目覚めて現実を知れ」
と明確にテーマ性があります。(2以降は無視)
後者は「今この現実は夢かも知れないが、
ここで生きるしかない」という覚悟がテーマだと僕は考えます。
これらと、対比されて鑑賞されることを予想できていたでしょうか。
「世にも奇妙な物語」は、
短編バッドエンドが新しかった時代のものです、
短編バッドエンド以上のテーマ性が欲しかったところ。
「夢はいつか覚める」という皮肉なテーマもあると思います。
少年が夢を諦めたとき、
夢に住む主人公が死ぬとか。
だとすると、夢の掛詞が生きてくるかもです。
「たなぼた」
家族をハワイに連れていくために残業代を稼ごうとした男が、
働き方改革を機に残業禁止となり、
悪戦苦闘した末に別の家族の幸せを知るお話
幸せを知るのがたなぼたであることから、
「人生万事塞翁が馬」ということがテーマとなるのでしょうか。
そうとも言えませんね。
努力の結果そうなったわけでもないし、
間違った方向の努力は意味がない、
でもない。
この主人公は「何を」乗り越えたのでしょうか。
ただ協力してもらっただけで、何かを克服したわけでもない。
短編だからそんなには気になりませんが、
これは「デウスエクスマキナ」落ちです。
夢落ち同様、あまり推奨されない落ち方ですね。
青い鳥は最初からいたのだ、という意外性もないし。
「友の歌」
友達に引け目を感じていた洋一が対等になれた話
なぜ対等になれたのか、
何を克服して対等になれたのかが、
ログラインに書かれていません。
ログラインに書かれていないだけで、
本編にあるのかとおもいきや、
そうでもないですね。
これもたなぼたと似た構造です。
なんとなく解決してしまうので、
結局このストーリーがなぜ存在しているのか、
よくわからなくなるのです。
今回の作品群は、
まとめると、「テーマ性が希薄な作品」ばかりであったといえます。
で、なんなんこれ?
に明快にこうだ、と言えないものばかりです。
もちろん、「テーマが必ず必要?」というのはあります。
しかし、どの作品もエッジがぼやけているような印象があります。
これはテーマが明快でないから、といえます。
テーマがなくてもエッジの立った作品は、
とくに短編なら書けます。
「絶望の仮想夢」はそれに近いですが、
テーマが明確ならばさらにエッジが立ちます。
「夢はいつか覚める」で書き直せば、
腹に落ちた感じになる予想ができます。
逆に、テーマとは、
「その作品を、どのように腹に落とすのか」
ということだといえましょうか。
これはタイトルとも関係してきます。
タイトルは、見る前はヒキのある言葉であって、
見終えたあとは、テーマを暗示していた言葉だったのだ、
となるのが理想です。
残念ながら、それを考えている作品はなかったと言えるでしょう。
なぜそのような、ぼんやりしたものを書いてしまうのか。
答えは非常に簡単です。
口に出してはいけないあの人、「メアリースー」のせいなのです。
次回に続く。
全く上手く表すことができませんでしたが、元々想定していたテーマは『労働至上主義は人を殺す。生き残るには自分を持て』で、転じて『生きるとは、自分の頭で考えること』でした。少なくともA4見開き一杯の制作ノートを見る限りは。
「事件」 ボートに乗らなければならない←なんで?脱出のため。脱出ということはそこは地獄。現代は忙しすぎる地獄。地獄から抜けるには?自分の頭で考えて上の言い分がおかしいならおかしいということ。
「解決」 地獄からの脱出←どうやって?船はダメ。なんで?与えられたものだから。他の手で島から出る?島に残る?人生の船頭は自分自身。→主人公だけでなく皆にも言えること?『生きるとは、自分の頭で考えること』
から最終的に「会社を退職して個人のスキルで納得できる生き方をすること」をゴールとして設定しました。
でそのオチの為に、彼らの本当に望む生き方(風見、若菜の夢対話)。戦争の中での自己判断(風見、一森の機雷掃海)を作品に入れました。
ウソです。尺の都合で後者は全カットしました。
二隻の間に渡したワイヤーカッターで機雷を切ってく→最後の機雷で刃がヘタレて切れない→二隻の漁船が機雷を起点に弧を描く。マニュアル通りにしようとした一森の判断が遅れて二隻が衝突→船が使えない。どうする?→風見がワイヤーを辿って海中の機雷にたどり着き人力解体。
という件の中で「自己判断」を表現しようとしていたのですが、カット。
問題は、なぜこれが不要と判断したか? (尺か?否。それが本質なら別の所を無理矢理切るはず)
部下でなく自分が参加する→機雷処理の方法→脱出の却下。の流れを「自己判断」と認識。
真ん中切っても「自己判断」は残る。積み込みの子爵定規は失敗、夢対話はオチへの前振りで抜けない。で完成しました。
それを入れて問題は改善されるのか?にも今一自身が持てませんが。
>職務に忠実なのは日本国の常識だから、それが悪でも正義でもない。
これがポイントになる気がします。私はその常識を『悪』と規定したかったはずだ。
何故ならそれが為に今が生きづらくなっていると思うから。「一億総火の玉」の標語はまだ生きている。
男女共働きで超過労働しても個人の状況が改善しないのは、そもそも真に職務に忠実な人間がいないから。使用者に盲目的に従って無為に時間を使わされているだけだから。
労働は義務とか家庭の為とか外側に理由を求めて無理矢理働き、精神を病んでいき戦死する。その状況が脱出すべき地獄だと考えました。
ではその「悪」、つまり敵対者が弱すぎて限定に失敗したのも問題点の一つに思えます。
礒岩は本土の家族の為に戦っている件もカット。そして一森は礒岩の先兵のはずだったのに、完成品では明らかに風見の強行人格になっている。
完成品は『悪』が明確ではない。主人公風見とヒーロー若菜の2人芝居に全体としてもなってしまったのも客観的にテーマが消えた要因なのかなと思いました。
こうして分析すると、前項で指摘された題材が大きすぎるというのを無意識の言い訳にしていた。
そして能力不足から脚本自体が楽に流れたのが敵の簡易化に繋がったようにも見えます。カットしたシーンはほぼ敵対者に関わるものですし。
ログラインの「若き医者と共に荷物整理して」を書くときに何か違和感があった。そこに目を瞑ったのがまずかったのかもしれません。若菜はメンターに過ぎず中心じゃなかった。
礒岩をログラインに書ける話にしていたらどうなったろうか?と思います。
たとえば機雷除去のみで15分を書くとしたら?
「島からボートで脱出する必要がある」をセンタークエスチョンとして早めに設定して、
「そのためには機雷を突破する必要がある」とすれば、
ボートを舞台にした「駅馬車」の構造が書けそうですね。
まったく違うけど、やりたいことはそういったことではなかったかと。
お話の要素をひとつに絞ることで、
そこに必要最低限のものだけを残すことができるかもです。
準備量が多すぎる、という言葉が染みます。
確かに機雷掃海だけの方がよほどスマートな話が出来そうです。
書いているときは一つの題材を扱ってるつもりでしたが、実際にはもっと細分化できると。
もう少し何を書くべきか(というか何を書いているのか)を冷静に分析するべきでした。
作品を作るべく、最も重要な所を切り出して、捨てた。
どうやら私には皮肉を生むの才能があるようです。
今回の内容もとても腑に落ちました。
とくに「作者」と「作品」は別物なところ。
少し違いますが、ある音楽アーティストのインタビュー記事を見て、人を小馬鹿にしたような態度があり「嫌いだ、この人の音楽は聴かないぞ」と思ったことがありました。(子どもですね……)
でも、実際にそのアーティストの音楽をラジオで聴いたとき、すばらしくて聴き惚れました。一瞬、心の中で「音楽はいいけど、コイツは嫌なヤツだぞ」と葛藤しましたが、冷静になると曲はいいものだし、それとこれは関係ないなと思えるようになりました。
その人はアーティストという曲を作って売る人で、人間性なんてどうでもいいんですよね。いい作品を届けることが仕事なんですから。
そうして自分の話に戻るのですが、いい作品を書くには、やっぱり数をこなすしかないですよね……。
私の作品も、ご指摘のとおり、不安を煽る敵がいて、主人公は葛藤するとか……そういう構図にすればよかったです。指摘されると、その通りだ! と思うのですが、書いているときにはやっぱり、俯瞰になれていないですね……。もうその時点で「作品」と「私」がくっついている気がします。
次回のメアリースー回は恐怖ですが、とても楽しみです。
現在、指摘されたところを意識しつつ、勉強のため簡単なプロットを切っているのですが、オリジナルのエピソードを書き、なおかつテーマをしっかりしたものにしようとするとブレます。
とくに、「オリジナル」=いままでないものを書こうとすると、とんでもギャグ風になってしまい、そもそもおもしろくないです。(例を出すと、夫婦仲が冷え切った二人が15分間をループするんですが、夫は焼きそばを食べ続け(夫にループしている意識はない)、妻はそのループを断ち切ろうとする話なんです……)あまり深く考えず、たくさん書いたほうがいいでしょうか?
それとも、テーマをしっかり決めた王道ものを一度書いて、慣れてからストーリーを自分流にアレンジしたほうがいいですか?
変な質問をしていたらすみません。
純愛
数を書くときは、〇日までに〇本書くぞ、
と数と締め切りを決めてかかるとよいです。
100でも10でも3でもよいので、
自分にいけそうで行けないくらいの数を設定すると、
何かがひらけるかもしれません。
作風をひとつにしないで、バリエーションを豊かにしたほうが、
数やる意味はあるかもです。
自分は〇〇風も行けるやん、という発見は以後使えます。
分析より直感が大事なときもありますよ。
理由はわからないけど、そのほうがいい、
ということが結果的によくあります。
理論より上がりがよいほうが勝ちなので。
ワンシチュエーションものの経験があれば、
思い付いたかもですね。
一度ワンシチュエーションしばりで何本か書いてみては。
やってみます。
駅馬車は見てましたからね。まんま船使うアフリカの女王や、最近のだとジェーンドゥの解剖も。
概念を知ってて「使えない」ということは、経験値と体感覚が足りないことが疑いないです。