感情移入について再び考えます。
漫画家やその他、夢を目指す人の話に、
そうでない人でも感情移入することが出来るかどうかを、
さらに深めて考えます。
単純に、夢を目指す人が挫折しようとしていて、
一端は敗北宣言を出すが、再び立ち上がる。
そうした構造において、
何が感情移入の柱になるか。
自分には居場所があるということか。
自分の原点を知るということか。
他人に必要とされているということか。
よく見たパターンで、そんなに興味が惹かれません。
まだ感情移入というには遠い気がします。
「自分が認められる」というメアリースーの匂いもします。
で、こういうときのテクニックを考えます。
敵をつくるのです。
敵は、具体的な人物を伴うべきですが、
このストーリーの場合、
「漫画家デビューを妨害する人」はいないので、
具体的人物の形をとるわけにはいかないですね。
有望な新人漫画家と競争させるのも話が違いすぎます。
無能な編集者に理解されていないだけ、
という漫画家対編集者にするのも話が変わってしまいます。
こういうときのコツです。
「もし、目的を達成させられないとすると、
どういう考え方を受け入れないといけないのか」
と考えるのです。
敵は自分の中の「考え方」です。
悪に負けると、死ぬから嫌なのではなく、
「到底同意できない考え方の、勝利を認めることになる」
ことが、闘う動機だったりします。
たとえばゲイフォビアの人たちは、
ゲイという生き方が嫌なのではなく、
「それを認めたら負け」という心理に陥っている様な気がします。
一回生理的に嫌悪感を覚えたから、
それを認めたら、その生理的嫌悪感を認めることになる。
それは嫌だ、という心理です。
それを凌駕する考え方、多様性を説いても、生理的嫌悪感のほうが強いため、
考え方を変えないのですね。
「それを認めたら負け」というのは、
理性ではなく、感覚に根差した、原始的な深い感情です。
悪役が、たいてい正々堂々と戦わず汚い手を使うのも、
「フェアプレー前提の戦いで、
それを認めるわけにはいかない。
悪役の勝利は、フェアプレー精神を汚すことになる」
という怒りを覚えさせるためです。
こうした場合、主人公サイドにたいした魅力がなくても、
「こいつらを許すな」という心理に観客がなってくれるので、
感情移入がしやすく、
また主人公サイドの勝利によろこびがあるものです。
「あいつをやっつけた」と留飲が下がることも、感情移入の結果です。
具体的悪役を出さなくてもよいのです。
「敗北した場合、その考え方を認めたことになる」
という状況を作ればよいのです。
このストーリーの場合、
「漫画家になれなかったら、どういう考え方を受け入れないといけないか」
を考えればいいわけです。
そもそも漫画家になりたかったのはどうしてか。
たとえば自由や変化や冒険を求めたからとしましょう。
その場合、
「同じことを毎日して、同じ場所に座り続ける詰まらない人生」
が反対の概念になるでしょうか。
もっとよくない感じにしましょう。
「自分でつくらない人生」としましょうか。
実家のまんじゅうは、誰かから仕入れて、それを並べて売っているだけ、
という設定にします。
あるいは、「誰もファンがいない人生」と考える手もあります。
まんじゅうが売れるわけでもないし、
実家が稼いでいるのは、引き出物が主な収入とします。
量が出るからOKだけど、
進物のまんじゅうなんて誰も美味しいと思ってないだろ、
という否定することになる。
誰の為にもなっていない人生に意味なんてあるのか、
と主人公は考えているとしましょうか。
漫画家の夢に破れて実家を継ぐことは、
「誰からも好きと言われない人生」を生きることになる。
これが誤解だと分かることも足しておきましょうか。
まんじゅうはまんじゅうで、ファンがこつこつ買いにきていて、
しかも父はただの売り子ではなくて、職人に弟子入りして、
新作をつくろうとしている、というネタバレにしますか。
(漫画を書き始めた、ということの翻案)
となると、大体が一本に繋がってきます。
「何も作らない、ファンのいない詰まらない人生」を嫌がる男が、
それを諦めて受け入れることにして、
彼女との同棲を解消する。
しかしその旅路の途中、迷子の子供に作り話をたくさんすることで、
面白いものをつくることの原点を感じる。
実家に帰ると、父は新作を作ろうとしていたことを知る。
意外とファンがいるんだ、ってことを知って、
饅頭屋も悪くない、ということを初めて理解する。
原点の原点、自分のファン第一号と言った彼女と、
よりを戻してプロポーズをすることに。
こういう話にすると、すべてがうまく繋がりそうです。
大きく4ブロックに分かれることになりますか。
別れる、迷子の子供、実家、よりを戻す、
出会いの公園(回想)を足すと5ブロック。
15分に収めるには1ブロック3枚で書けばいい計算。
やってみますか。
こういう風に、悪役を作ることなく、
「敗北したらこの考え方を受け入れないといけない」
というのは使える手です。
こうすると具体的悪役は必要なく、
主人公(や周りの人全部)に、「恐怖」を作ることができます。
恐怖を作れば、それに闘うことが出来る。
乗り越える話を作ることが出来る。
それに感情移入させればよいと思います。
今回のリライトは、わりと色んな角度から見てみたつもりです。
つまり、「執筆するまえに何を考えておかないといけないのか」
をシミュレートしようとしているわけです。
ここまで書く前に考えられていないと、
「考えられていた」とはならないと思います。
動機、目的、達成とテーマ性、テーマと構造、
それらの有機的なつながりが、
あたまの中で「つながってひとつのものになり、
それらが全て機能する」と思えるまで、
ストーリーを色んな面に転がし、
構想することが大事です。
「こういうことが起こると面白い」だけでなく、
「それがこういうことにつながり、
こういうことになるから、
ストーリー全体から見ると、こういう役割がある」
ということを考えたり、
足りないパーツはないか、考えたりするとよいでしょう。
何が足りていて何が足りないか、
あるいは何が過剰か、
などの判断は、やはり書き慣れているかどうかが関係すると思います。
僕は「海外旅行にもっていくもの」でたとえます。
慣れた人は準備も速く、たいしたものを持って行きません。
慣れていない人はトランク一杯になってしまうか、
足りな過ぎて現地で困ることになるでしょう。
必要十分を見極めるには、
「俺にはこれくらい必要だ」という、慣れだということです。
つづく。
敵は自分の中=シャドウとして擬人化して外部に出す、と翻訳していましたがそうとは限らないんですね。
準備の話としては
中央の動詞 → ラストシーン(テーマ) → 事件 → 動機と敵
が実際の思考の主な時系列になるんでしょうか?(もちろんフェーズ中にも色々混ざり合ってるでしょうが、大体の指針として)
>思考の主な時系列
これは人によるし話にもよると思います。
慣れた方法をつくって、慣れた方法でやるといいと思います。
(時にはパターン崩しでつくってみて、
いつもと違うやり方の利点や欠点を分析するのも良いこと)
僕の場合ざっと作ってみて、
何かが足りないぞ?なんだ?
と分析をはじめて、「○○が足りないな」と言葉に出来たら、
それを作っていく感じです。
料理の味見に近いのかしら。
で、あとはこのバランスで煮込んで行こう、
と蓋を閉め、
鍋の中の世界でひたすらディテールを詰めていく感じですかね。
で、煮込めたぞ、と蓋をあけて、
最初から最後まで読んでみて…のループかなあ。
>敵は自分の中=シャドウとして擬人化して外部に出す
そうできればそれに越したことはないです。
今回の場合「漫画家なんて辞めちまえ」
と発言する悪役を作ることが困難
(それを倒したからといってゴールにならない)ので、
変則手を使ったかんじです。
「お前には才能がないぞ」と囁く、幽霊や宇宙人が出てくる話でもないし。
自分の心の中の葛藤が主な対立になる場合、
どう外に出すか、という一つの手であります。
「敵は世間」「敵は空気」なんていう場合も、
特に日本人の場合はありがちかと思います。