2019年06月07日

フェイルセーフ設計

工学の基本的な考え方のひとつ。
人は必ず間違う。
同じ人がどこかで間違うこともあれば、
同じ工程でも100人やらせれば1人間違うこともある。
(修学旅行では、名前の書いてないパンツが放置される)

文章は誤解される。
同じ反応は得られない。

フェイルセーフを実現するには、
複数の情報ルートをつくり、
表面的情報の裏にある構造を感じさせることが重要だ。


プリウスのアクセルが戻らない検証動画。
https://mobile.twitter.com/KuzuharaHideo/status/1136230550425833474

これを見て、
僕はアクセルが床から生えていないことを初めて知った。
アクセルは上から吊られていて、
端をテコで踏む構造になっているのだと。

フェイルセーフ設計が行き届いていない。

「踏む」ものは踏まれるようにあるべきで、
だとしたら「吊られている」ことを足が感じる構造にするべきである。

吊られている構造だと分かれば、
マットを挟まないようにするべきだと理解できるからだ。


面白いのは、
「純正マットにしない方が悪い」と、
いろんな人が騒いでいることだ。

純正と非純正は何が違うのか、
間違えたときにどう間違いを知り、
どう正解に導くかまで、
モノの設計はされるべきだ、
という議論をしている人が皆無で、
知性というのは殆どの人にないことが分かる。

人は間違うことを前提にするのは、
知性がないと出来ないのかもしれない。

知性がないと、「間違えるのが悪い」と、
短絡で考えるのかもしれない。


間違えるのは悪くない。
なぜなら人は間違うからだ。
全テスト100点の人はいない。

間違いに気づけなかったり、
気づいても放置したり、
間違いがなぜか分からなかったり、
間違いを即正せない構造になっていたり、
薄々間違いだと気付きながら戻らなかったり、
間違いだと分かっていながら合ってると強弁することが、
悪いことだと思う。


興味深いのは、
「デマを拡散したとしてトヨタに訴えられる」
と脅迫する人である。
デマではない。非純正品による検証だ。
それをデマと短絡する知性のなさ、
訴える/訴えられるに短絡する知性のなさが、
僕には恐ろしい。
ざっくりいえば、「気に入らない奴は死ね」と言っているからだ。


マツダはオルガン型(床から生えてる)ペダル採用だそうだ。
エンジニアの誇りだね。
先日批判した通り、企業広告はクソクソのクソだけど。

問題は、エンジニアの仕事を理解してない広報の、
法人格の統一の取れてなさだと思う。


フェイルセーフの問題は、
情報伝達の問題である。

また、「○○を伝えれば○○に100%なる」
という伝える側の誤解を崩す行為だ。

人は、誰しも他人の話を100%理解しない、
という立脚点に立ち、
複数の情報ルートから複合的立体的に想像させることが、
大事な哲学だと考える。


で、
脚本論に戻ってくると、
フェイルセーフを考えて、書いてる?ってこと。

観客は間違う、誤読する、大事なセリフを聞いてない。

それでも何が起こってるかわからせるために、
複数の情報ルートを常に複線で描いているか、
ってことさ。

これが、一方的な押し付けを避け、
豊かで人間らしい表現になるのだ。


純粋に純粋に抽出することも重要だが、
雑味を加えてまろやかにすることも重要だ。

プリウスのアクセルは、
何も考えられていない。
たかがゴム一枚挟まっただけで殺人兵器になるんだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 11:21| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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