本質的な部分を変えずに、
モチーフやキャラや設定や台詞や言い方などを、
少し変えるだけで、
なんだかうまく行く時がある。
それが何故かを考えるに、
「存在は微分を含む」というようなことがあると思う。
どういうことかというと、
あるガワは、
「今何もしてなくても、○○をやりそうだ」
という存在ってあると思うのだ。
「怖そうな先輩
(実際に暴力振るわないし、暴力的でもない)」
には、
何もしないのに恐怖属性がついてまわる。
「人懐こい美人」には、
彼女がそう思ってなくても、
勝手にこっちが恋をしてしまう。
つまり、
プロット=行動やその結果に責任を持つ
以外に影響がないくせに、
「○○しそうだぞ」
という空気を足す(引く、変更する)
ことが可能だということだ。
普通の女子のキャラを、
「人懐こい美人」に変えるだけで、
空気が変わる。恋しちゃうかも、って空気が支配するようになる。
逆にいうと、
プロットが物足りないときは、
このような空気成分、期待成分を混ぜればいいということになる。
それだけで進行しているのが、
FSSだと言えるだろう。
ストーリー自体は何も面白くないが、
「これはこれをやりそう」という期待値だけでもっている。
GMは知らないが、
実はMHが一番美しいのは立ち姿だと思うんだよね。
つまり「まだ何もしてない」のが一番いいという。
対比的に、ガンダムのズゴックは、
立ち姿だとたいして面白くないが、
潜航中、ガンキャノンの両手を掴むとき、
ジムの腹を貫いたとき、
などの「動き」の途中に魅力がある。
MHはガワ、ズゴックは中身の面白さだと、
僕は考えている。
ちなみにモビルスーツで一番好きなのがズゴック。
ズゴックは別のデザインでも動きがカッコいいと想像できる。
(同系統のカプールがイマイチなのも、
動きという中身がないからだ。デザインはいいのに)
つまりは、MHはただのデザイン。
デザインはガワ。
同じ物語でも、
キャラデザや設定を変えるだけで、
全く別の空気をまとうことが出来る。
監督の仕事は主にこの空気を作り出すことだが、
脚本段階でもそれをコントロールすることは可能だ。
逆にいうと、
中身を考えなければいけない時に、
ガワばかり考えてしまい、
中身が疎かになることについて、
僕は常に警鐘を鳴らしている。
今回はその逆から見たものだ。
以前も紹介したけど、
名前を変えるのは使えるテクニックだ。
今書いてる話は、
ヒロインの姓を島村から二階堂にかえただけで、
なんだかミステリアスな雰囲気が出てきた。
謎めきや高貴の度合いが違う感じ。
ファッションも変わるだろうね。
名前は呪いでもあるから、
その名前の運命を生きるわけである。
同様に、ガワで呪いをかけ、
その指し示す方向に話をコントロールしていけるわけだ。
2019年06月12日
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