2019年06月15日

話はちょうど広がるように

ストーリー進行していくうえで、
新たな設定が加わったり、
新たな事実が分かったりするときがある。

この時、加わった設定の「大きさ」に気をつけよう。


今感覚として認識している、
「その世界の大きさ」があるものだ。

新しい事実がそれを、
「一気に拡大し過ぎないように」
と注意すべきだ。

逆にいうと、
「世界の認識が、
心地よく拡大していくように、
新しい事実の量をコントロールする」
ことが肝要だということ。


新事実の発覚によって、
観客が付いていけない量を提示するべきではない。
たとえば理解するのが難しい、
ガンダムの「ニュータイプ」は、
小出しにしていくわけで、一気出しをしない。

また、世界の認識が拡大しない程度の新事実は、
わざわざ提示するほどの手間を割くべきではない。

大袈裟なことのように思えて大したことがないとき、
人は失望する。


どんでん返しは、
その世界の認識が180度ひっくり返されるから面白い。

たとえば、車田正美はすぐ「な、なにい?!」
と世界をひっくり返す達人である。
今までこうだと思っていたことが、
実はこうだったのさーッ!
というドライブ感こそが、
車田正美のストーリーテリングだと、僕は思っている。

これは(後先考えない)週刊連載には丁度いいかもしれないが、
全部を完璧な世界として整える、
映画には相性が悪いと感じる。


あなたの情報は、
どれだけコントロールされて小出しになっているか。
どれだけコントロールされて一気出しになっているか。
何を言わないで、何だけ言うか。
それを決めてないから、
話が前後したり、
オーバーフローしたり、
ショートだったりするのだ。

説明が上手な人は、
「世界が拡大していくことが快感になるように、
事実を加えていく」
ことが上手である。
posted by おおおかとしひこ at 14:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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