アクションというときに、何を想像するだろう。
格闘か。銃か。チェイスか。爆発か。
アクションは映画の華であり、
行動という意味の脚本上の専門用語のアクションより、
ずっと派手な印象がある。
さて。そういったアクションを描くとき、
気を付けることはなんだろう。
僕は、テンポと導線だと考えている。
アクションとは、非常に短い時間で、
大きくことが動くことだと思う。
怪我したり死んだりするだけでなく、
事態を左右する何かが奪われるとか、
それを取り戻すとか、
防衛線を突破されるとか、
逃げ切って行方不明になるとか、
そういったストーリー上のプロットが、
わずかな時間で大きく動くことがアクションの真骨頂だと思う。
つまり、ただ格闘したりチェイスするのは、
何も面白くない。
YouTubeでアクションシーンだけを15分とか連続で見てみるとわかる。
「この人たち、なに必死になっているんだろう」
と逆に冷めてくるはずだ。
つまり、アクションは必死で行われる何かだが、
結局ストーリー上の大事なポイント、
「なんのために必死なのか」が大事なのだ。
あるいは、
「これに失敗したらどういうことになるのか」
「これに成功したらどういうことになるのか」
が重要で、
それが大きな転換点になることが予測されればされるほど、
ストーリー上大事な緊張感が高まる部分だということだ。
それがテンポよく、派手な絵で行われるから、
アクションというのは面白いのである。
文脈から切り離されたアクションなんか、
ただの大道芸である。
大道芸がもつのは、せいぜい15分だ。
短めに、しかも次々繰り出さないと、飽きられてしまう。
大道芸は、逆にどういう台本でやられているか、
自分で脚本を書いてみるといいだろう。
いくつのネタがあるのか、
大体何分で何をしているのか、
そういったことを意識して台本を書いてみると、
どういう興味の誘導をしているか、把握できると思う。
で、大道芸はアクションそのものを楽しむものだが、
それは脚本家の仕事ではなく、
監督やアクション監督の人の仕事だ。
脚本家が与えるのはストーリー上の文脈、
すなわち、
目的や動機や成功や失敗の見通しや、感情移入である。
それを、速いテンポで行うから、
強いターニングポイントになり、
効果が強いのである。
第二に注意することは、
各人物の導線だろう。
二人でのアクションならそんなに問題ないが、
実際のところ、
そんなに重大なことが起こる場所には、
もっと多くの登場人物が、多くのそれぞれの目的をもって集まっているはずだ。
それが一瞬にして結果が決まるのだから、
咄嗟に行動を起こすだろう、
ということは予測される。
だから、各登場人物が、
何をその時思い、自分の目的に対して最大の利益を取るように動いているか、
チェックしなければならない。
多ければ多いほど、整理するのが難しくなる。
「いるけどただ驚いているだけ」のキャラが出て来てしまうだろう。
全員が妥当なアクションをするためには、
(逃げることも含む)
全員が今どこにいて、どういう軌跡を動くのか、
という動線の整理が出来ていなければならない。
警察や事件の整理の仕方で、
事件発生〇時〇分、
なになにが起こる〇時〇分……
のようにタイムテーブルを書き、
登場人物Aは最初ここにいて、
次にこう思ってこういうことをして……
などのようにその時間軸で動線を書く。
そのときBはここにいて、こういう行動を取り……
などのように図でも書いて整理しておくと、
迷わずに書けることと思われる。
それが複雑であればあるほど面白いし、
それが整理されていなくてややこしいほど面白く無いだろう。
優れた書き手は、7人でも8人でも、10人でも、
どういうアクションをどこでしているか、
うまく整理して見せられるはずで、
何もしていない待っている状態がない、
矛盾していない動線を持っているはずである。
アクションを書くのは、
とても楽しいが、とても難しい。
ピタゴラスイッチのように、
パズルを組むようなイメージだと思う。
で、結局それって、
テンポと規模は違うものの、
ふつうにストーリーを書くことと、
同じだということに気づくはずだ。
タイムテーブルや図をかくことで、
それらが整理出来るなら、
ふつうのストーリーでも同じことが出来るはずである。
アクションを書きなれている人は、
結局ストーリーを書きなれている人だ。
だから、アクションは、脚本の華でもあるわけだ。
2019年06月18日
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