2019年06月19日

真の目的

簡単には目的がわからないことが、
謎を増幅することがある。
「これが真の目的だったのか!」
という展開は、いつでも面白い。


もちろんそれを作るには、
謎めいた今までの行動と、
わかったときの、成程感があればよい。

矛盾していたり、それほど成程と思えなければ、
その謎解きの意味はない。

まずは謎めいた行動を考えてから、
その真の理由を考えるのだろうか。
それとも逆で考えるのだろうか。

第一印象がよいほうがよかったりするので、
大抵は謎から考えてしまうのがよくあることだ。
しかし、それをドンデンできるほどの種明かしが思いつかない場合、
竜頭蛇尾になることは明白だろう。

逆に理由を考えてから、
どういう印象的な謎にするのか、
考えられるようになれば、
どんなものが来ても対応できるようになるだろう。
伏線とその解消の関係と同じだ。
時系列で考えるのか、
思い付いた順で考えるのか、
という違いがある。
もし思いつかなかったら、
いつもと逆の順番で考える訓練をすると、
何か思いつくかもしれない。


なぜこういうことをやろうと思ったのか?
その理由だったら、これもするのではないか?
その理由でこれをするなら、あれをしない理由はなにか?
このへんがうまく詰められていないとき、
「詰められていない」という印象の謎解きになってしまうだろう。

印象的な謎をふりまき、
その理由が解けたとき、
なるほど、そういうことだったのか、となるものがよい。

次善は、そういうことだったのか、という深さがないにしても、
「で、これからどうするんだ?」と興味を持たせるものだろう。
次へ強力に興味がでれば、
その謎解きそのものよりも、ストーリーは進行する。

毎回うまく決まり手があるわけではない。
トータルで勝負しよう。
人物に興味があったり、別の伏線に興味があったり、
テーマがおもしろかったりすれば、
謎解きとその理由に対して、
そこまでネガティブな評価にはならないだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:54| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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