2019年06月20日

キャラクターが勝手にしゃべりだすのは、後半

経験則だけど。
ということは、逆に、前半は、
キャラクターが勝手にしゃべりだすまでの準備だとも言える。


キャラクターが作者の想定してなかったことを発言したり、
プロット(計画)になかった行動をしたり、
想定になかった設定を口走ったり、
最初に想定していなかった以上の何かをすることは、
稀によくある。

それは長いものを書くほどに、体験したことがあるはずだ。
もし一度もこれを経験していなければ、
まだほんとうにはキャラクターが書けていないかもしれない。

大体、キャラクターというのは勝手に作者の手を離れるものだ。
主人公がメアリースーになっていなければ、
他人の他人キャラになっているはずだから、
メインキャラともども、
勝手に動き始めることだろう。
そうすると、作者のやることは、
幼稚園の先生のようなことになる。
はい、整列してー、はい発言は一人に絞ってー、
などのような司会者の役割になってくる。

何日か、あるいは一か月程度かけて、長いものを書けば、
多分ほとんど経験できるだろう。

「キャラクターは作者が動かしている」
なんていう解釈者は素人だ。
実際の所、
作ったのは最初だけで、
あとは勝手に動き出すのを、
まとめているだけなのである。


で、本題。

この現象が起こるのは、
大体後半が多いということ。

ミッドポイントを経てなおそうなっていないのは、
多分何かが間違っている。
それまでに、
大体作者の思惑を超えて、
勝手にしゃべりだすものだからだ。

逆にいうと、前半戦とは、
キャラクターに命が灯るまで、
周辺を整えていくことに近いと考えることが出来る。


その名前、職業、年齢。
過去、現在物足りないと思っていること。
性格、人間関係。
癖、好み、嫌いなこと。
動機や目的。
これだけが初期設定で与えられても、
じつは勝手に動き出すことはない。

物語を書いたことがない人は、
これを設定しただけで勝手に動きだすだろうと、
粘土でできたゴーレムの前で待つだろうが、
こういったレシピだけでは魂は入らない。

いつ入るだろうか。
僕は、ある目的に従って行動を始め、
他人と喋り、
そのあと、後戻りできない選択をしたとき、
だと思う。
その人の責任において決定的なことをしたあと、
ようやく戻れなくなって、
そこでそのキャラクターに魂が入るのではないか、
と考えている。

役割ゲームなどでは、
初期設定を与えただけで、
そのキャラクターの考えるようにしゃべり、
行動することを求められることもあるだろう。
とくに役者のエチュードではそういった傾向がある。
しかし、実のところそれはあくまで「形にはめている」
だけのことしかしていないと思うのだ。

その人間が設定を離れて、
ほんとうらしい人間になるのは、
つまり、「途中」になったときだと思う。

初期設定だけではまだ人生の途中になっていない。
まだ始まってもいないからだ。
何かを始め、
もう後戻りできない、何かの状態になったとき、
人生の途中になったとき、
はじめて、人間らしい魂が入るようにおもわれる。

つまり、人生とは、人間とは、
「途中の状態」ではないだろうか、
というのが僕の意見だ。

いくつもの途中の状態の人が、
集まって何かをしなければならない(目的)。
その状態が、
ストーリーが動いている状態で、
それが落ち着く終着点までの途中が、
後半の状態ということになる。

前半では逆に、
そのキャラクターが生き生きと勝手に動き出すまで、
周辺の設定を詰めたり、
後戻りできない選択肢を選択させて、
何かの途中の状態に持って行くとよい。
その、「終わらせなければ」というそのキャラクターの焦燥感が、
勝手に行動する原動力となるに違いない。


単にキャラクターを設定したって、
勝手に動かないよ。
動かして、次に動かして、回転を始めたはずみ車のようになって、
はじめてキャラクターは動くのだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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