経験則だけど。
ということは、逆に、前半は、
キャラクターが勝手にしゃべりだすまでの準備だとも言える。
キャラクターが作者の想定してなかったことを発言したり、
プロット(計画)になかった行動をしたり、
想定になかった設定を口走ったり、
最初に想定していなかった以上の何かをすることは、
稀によくある。
それは長いものを書くほどに、体験したことがあるはずだ。
もし一度もこれを経験していなければ、
まだほんとうにはキャラクターが書けていないかもしれない。
大体、キャラクターというのは勝手に作者の手を離れるものだ。
主人公がメアリースーになっていなければ、
他人の他人キャラになっているはずだから、
メインキャラともども、
勝手に動き始めることだろう。
そうすると、作者のやることは、
幼稚園の先生のようなことになる。
はい、整列してー、はい発言は一人に絞ってー、
などのような司会者の役割になってくる。
何日か、あるいは一か月程度かけて、長いものを書けば、
多分ほとんど経験できるだろう。
「キャラクターは作者が動かしている」
なんていう解釈者は素人だ。
実際の所、
作ったのは最初だけで、
あとは勝手に動き出すのを、
まとめているだけなのである。
で、本題。
この現象が起こるのは、
大体後半が多いということ。
ミッドポイントを経てなおそうなっていないのは、
多分何かが間違っている。
それまでに、
大体作者の思惑を超えて、
勝手にしゃべりだすものだからだ。
逆にいうと、前半戦とは、
キャラクターに命が灯るまで、
周辺を整えていくことに近いと考えることが出来る。
その名前、職業、年齢。
過去、現在物足りないと思っていること。
性格、人間関係。
癖、好み、嫌いなこと。
動機や目的。
これだけが初期設定で与えられても、
じつは勝手に動き出すことはない。
物語を書いたことがない人は、
これを設定しただけで勝手に動きだすだろうと、
粘土でできたゴーレムの前で待つだろうが、
こういったレシピだけでは魂は入らない。
いつ入るだろうか。
僕は、ある目的に従って行動を始め、
他人と喋り、
そのあと、後戻りできない選択をしたとき、
だと思う。
その人の責任において決定的なことをしたあと、
ようやく戻れなくなって、
そこでそのキャラクターに魂が入るのではないか、
と考えている。
役割ゲームなどでは、
初期設定を与えただけで、
そのキャラクターの考えるようにしゃべり、
行動することを求められることもあるだろう。
とくに役者のエチュードではそういった傾向がある。
しかし、実のところそれはあくまで「形にはめている」
だけのことしかしていないと思うのだ。
その人間が設定を離れて、
ほんとうらしい人間になるのは、
つまり、「途中」になったときだと思う。
初期設定だけではまだ人生の途中になっていない。
まだ始まってもいないからだ。
何かを始め、
もう後戻りできない、何かの状態になったとき、
人生の途中になったとき、
はじめて、人間らしい魂が入るようにおもわれる。
つまり、人生とは、人間とは、
「途中の状態」ではないだろうか、
というのが僕の意見だ。
いくつもの途中の状態の人が、
集まって何かをしなければならない(目的)。
その状態が、
ストーリーが動いている状態で、
それが落ち着く終着点までの途中が、
後半の状態ということになる。
前半では逆に、
そのキャラクターが生き生きと勝手に動き出すまで、
周辺の設定を詰めたり、
後戻りできない選択肢を選択させて、
何かの途中の状態に持って行くとよい。
その、「終わらせなければ」というそのキャラクターの焦燥感が、
勝手に行動する原動力となるに違いない。
単にキャラクターを設定したって、
勝手に動かないよ。
動かして、次に動かして、回転を始めたはずみ車のようになって、
はじめてキャラクターは動くのだ。
2019年06月20日
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