ストーリー展開上、
悲しみに覆われるときがある。
どれくらいの長さが適切か。
悲しいときが起こった時は、
そこから逃避せずに、
その悲しみに深くのめり込むべきだ。
振られた時に、
明るい歌を聴くのではなく、
悲しい歌を聴いた方がいいらしい。
理性で感情を制御しようとしても感情は抵抗するので、
だったら感情に任せた方が感情を放電させられるらしい。
ストーリーの設計上、
悲しみがあるならば、
そのあとの立ち上がりがあるはずで、
その起伏の谷は大きいほど盛り上がる。
谷は深く、山は高くが原則だ。
問題はその間もちゃんと描けるかで、
深い谷からの立ち上がりをきちんと描けるかで、
そのストーリーの質が決まってくる。
実はそのプレッシャーから逃げようとして、
悲しみを浅めにして、
立ち上がりを早くしようなどと、
無意識に書いてしまうことが多いのだ。
その悲しみに浸ろう。
浸りすぎても停滞する。
しかしその悲しみは大いに味わおう。
底までたどり着いた時、
感情は反転し、
この状況を打開しなければならないという、
力強い感情へと転換するはずだ。
その転換点を描くための、
悲しみは前菜でしかないと考えるべきだ。
先日、仲間を一人失うシーンを書いた。
覚悟していたが、
感情を制御することは難しい。
しばらくは黙祷し、悲しみに浸るべきだと思ったので、
このように整理している。
整理すれば、そのあとを書きやすい。
悲しみは停滞だ。停滞は、そのあとの展開とセットである。
2019年06月21日
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