2019年06月21日

悲しみ

ストーリー展開上、
悲しみに覆われるときがある。

どれくらいの長さが適切か。


悲しいときが起こった時は、
そこから逃避せずに、
その悲しみに深くのめり込むべきだ。

振られた時に、
明るい歌を聴くのではなく、
悲しい歌を聴いた方がいいらしい。
理性で感情を制御しようとしても感情は抵抗するので、
だったら感情に任せた方が感情を放電させられるらしい。

ストーリーの設計上、
悲しみがあるならば、
そのあとの立ち上がりがあるはずで、
その起伏の谷は大きいほど盛り上がる。
谷は深く、山は高くが原則だ。

問題はその間もちゃんと描けるかで、
深い谷からの立ち上がりをきちんと描けるかで、
そのストーリーの質が決まってくる。

実はそのプレッシャーから逃げようとして、
悲しみを浅めにして、
立ち上がりを早くしようなどと、
無意識に書いてしまうことが多いのだ。


その悲しみに浸ろう。
浸りすぎても停滞する。
しかしその悲しみは大いに味わおう。
底までたどり着いた時、
感情は反転し、
この状況を打開しなければならないという、
力強い感情へと転換するはずだ。
その転換点を描くための、
悲しみは前菜でしかないと考えるべきだ。


先日、仲間を一人失うシーンを書いた。
覚悟していたが、
感情を制御することは難しい。
しばらくは黙祷し、悲しみに浸るべきだと思ったので、
このように整理している。

整理すれば、そのあとを書きやすい。
悲しみは停滞だ。停滞は、そのあとの展開とセットである。
posted by おおおかとしひこ at 07:31| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。