2019年06月24日

書き慣れている人は、情報を制限するのがうまい

語るのが上手な人と下手な人の差はなんだろうか。
下手な人は、
「話術」「話題の豊富さ」「頭の回転」「横断的な思考」
などと考えるだろうか。

僕はどれも違うと思う。

上手い人は、話すべきことを制限して少なくしてから喋る。
下手な人はそれを決めずにはじめて、取っ散らかる。


どの辺をメインに語ろうか。
まずそれを考えているだろうか。

メインは○○だな、
そう決めたとき、
周囲の△△は必要だろうか、
あ、××は入れとくべきかな、
などの、付帯要素をピックアップするだろう。

この時全体像を把握するはずだ。

○○が中央にいて、
周囲に△△、××がいる感じを。

話が上手い人は、
これが「ひとかたまり」であるように語る。

もしこれがひとかたまりよりも大きいなら、
△△や××を削る。
量を減らす時もあるし、0にしてしまうこともある。

せっかく用意したのを削るのは不憫だが、
上手な人ほど捨てる決断力がある。
決断力とは責任力だ。
○○をメインにすると決断するのも、
そのことについて責任を持つと、
覚悟することである。


話が下手な人は、
その覚悟ができていないし、
責任を取ることも考えていない。

もっというと、自信もないし勇気もない。

だから、あとあと、
◇◇も入れなきゃ、
◎◎を忘れてた、
などのように足すことで、安心しようとする。
「僕は気づいて足しましたよ、
ケアしたでしょ?」などのように思っている。

それは間違いだ。

今○○を語り、
○○について責任を持とうとしている。

ならば、◇◇や◎◎を足すことが、
それを目立たないように埋もれさせてしまうと、
捨てる勇気を持たなければならないのだ。

なぜなら、
上手な語りとは、ひとかたまりになっているからだ。

3つも4つも5つも語られても、
ポロポロこぼれるし、
ガツンとひとつのなにかに感銘を受けないのだ。


語りの上手い人は、
その○○をひとかたまりにすることで、
わかりやすく、
ガツンと感銘を受けるようにする。

その自信と実力のない人が、
あれも入れなきゃこれも入れなきゃと、
ごちゃごちゃにして失敗する。

不安こそが失敗の原因だと、
誰も気づかない。


語りの上手い人は、
与えられた時間を思い浮かべて、
「この量で語るとしたら、
どのような手頃な大きさの○○をつくるか」を考える。

下手な人は、
「この量で語るなら、
○○と△△と××を用意して、
◎◎も◇◇も一応考えなきゃ」となる。

同じ時間練れるとしたら、
どちらがより深いものになるだろうか。
ひとつのことを練り上げた前者に決まってるよね。


上手い人は、ひとつのことをじっくりと練り、成功する。
下手な人は、八方美人でひとつも成功がない。
上手い人は深い。
下手な人は浅い。


その「ひとつのこと」を、
どうやったら思いつけるかは、
普段からその訓練をしてないと無理だ。

あるひとつのことについて掘り下げて考えて、
ある長さのことにまとめて、
しかも周辺の付帯的なことを適切な量に制限する。

これを「切り取る」などという。
そしてそのひとつのことを、コンセプトという。

語りとは、
あるコンセプトに基づいて、
適切に切り取られた範囲を、
深く掘ったもののことである。
posted by おおおかとしひこ at 09:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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