2019年07月02日

ストーリーとは基本謎解きなのだ

謎解きというと、ミステリー系を想像してしまうかもしれない。

犯人やアリバイの謎解き、
あるいは隠された秘密を暴露して世界の見方が変わること、
彼や彼女の真意が明らかになる瞬間。
ミスリードとどんでん返し、
伏線と解消も、謎と謎解きともいえる。

しかしこれは根本ではなく、枝葉である。
ストーリーはもっと根源的なところに謎解きを持つ。


ストーリーとはなんだろう?
最も短くいえる方法は?
僕は長らくこの問いにうまく答える方法を考えているが、
いまのところ、
「問題を解決する」だと考えている。

すなわち、
一幕で困ったことが起こったり、
とんでもない事件が起こったりして、
それを解決する必要に迫られ、
二幕でそれを解決しようとしてすったもんだがあり、
三幕でそれを見事に解決すれば、
ストーリーはおしまいだ。

一幕は事件発生と主人公の参加パート、
三幕は解決パート、
二幕はその間にあること、
と考えるとわかりやすいかもしれない。


で。

問題があまりにも簡単だと、観客は無視する。
子供でも解決できたり、
ある商品を買えば解決することは、
映画にはならない。
二時間かけて付き合う娯楽ではない。

仮に問題が「1+1はいくつだ?」だとして、
二時間後に「2だったのだ!」で終わるとしよう。
そんな話オモロイかね。
(これ縛りで面白い話をメタ的に考えることは面白そうだが)

簡単に解ける問題には、誰も興味がない。

一方、難しすぎる問題の答えを、
二時間の娯楽で出すのも無理がある。

「人生の答えとは?」
「なぜ人は生きるのか?」
「いじめをなくす方法」
「愛を得る方法」
「神はいるのか」
「ビッグバンの前には何があったのか」

なとなどだ。
仮に「○○○だったのだ!」
とこれが二時間で解決したら、
いやいやそんなことはないやろ、と誰もが突っ込むだろう。

初心者がやりがちなことで、
つい大きな問題に取り組んでしまい、
答えがうまく出せなくて詰まらなくなってしまう
(あるいは途中で放棄してしまう)
ということは、稀によくある。

そういうときは、
結論を一般論ではなく、個別論に落とし込むといい。

「人生の答えとは?」は、
「この主人公の人生の意味を、主人公自身はどう結論づけるのか?」に。

「なぜ人は生きるのか?」は、
「この主人公がなんとしてでも生きようとする意味」に。

「いじめをなくす方法」は、
「このクラスでのこの人間関係で、いじめをなくせば良い」に。

「愛を得る方法」は、
「この特別な女と、この特別な文脈で、思いが通ずる」に。

「神はいるのか」は、
「このストーリー内での神はあり得るか」に。

「ビッグバンの前には何があったのか」は、
「このストーリー内で、この宇宙が出来た方法」に。

このように「このストーリー内でのこの特別な文脈で」
という付帯条件をつければ、
「一般論としてはこうかもしれないが、
このストーリーでは特例でこうだ」
と、問題をすり替えることが出来ることに注意されたい。

これこそがフィクションという架空世界の醍醐味だ。

原発をどうするか、
リアルワールドでは答えが出ないが、
「ミノフスキー粒子を放出することがわかった」
という仮の世界では、必需品が答えである。

簡単に想像できるように、
SFやファンタジーは、
このような架空の道具を、ストーリーや結論に対して、
うまく使うように「わざわざ設定されている」
のである。

勿論これはリアル世界寄りでも使えて、
「金曜日は終電がもう一本増える」
という架空世界をつくり、
そこでの駆け引きのドラマを作ることなんか、
わりと簡単に出来るんじゃないか。


さて、ようやく本題だ。


ストーリーとは、基本謎解きだ。

どういうことかというと、
「問題を一幕で設定したとき、
人は疑問に思う」ということ。
すなわち、
「どうやってこれを解決するのだろう?」と。

QにはAがある。

疑問が生まれれば答えを知ってスッキリしたくなる。
それが人間だ。

バッドエンドで「解決しませんでした」とか、
「作者の実力不足で、
『ビッグバン以前のこと』に答えは見つかりませんでした」
となることは想定されていない。

疑問が生まれれば、二時間後にはスッキリ解決することを期待して、
人は映画を見る。


そして、
1秒で解決するような簡単な謎解きは興味ないし、
一生かけて答えが出るようなものも、
二時間の娯楽ではないということ。

つまり、
「すぐには答えが出ないが、
主人公とああでもないこうでもないと、
一緒に考えているうちに、
二時間後にうまく答えが出る」
ことが、
映画ストーリーにおける、
根本的な謎解きなのだ。


そう。

困ったことが起こる。
Q: どうやって解決するの?
A: (二時間の試行錯誤の末)こうやってだ!

が、ストーリーだということだ。

この謎解きが、
他に似ていたら詰まらないし、
パクリなら最悪だし、
解けてなかったり不備があれば悪問だ。

つまりあなたは、
簡単には予想できず、
二時間ちょうどで解ける、
今まで見なかった新しいタイプの、
解けたときに「なるほどそうだったのか!」と膝を打つ、
一般的な答えではなく、
この特別な文脈で解ける、
「ある問題とその解法」
を考え出さなければならず、
実はそれがストーリーの最も根本にいるのだ。


単細胞から発生した生物は、
細胞分裂を繰り返して、まず平面になるらしい。
そして端と端をくるんとくっつけて、
円筒をつくるのだそうだ。

この一方の端が口になり、反対が肛門になる。
生物の根本は、
脳でも心臓でも骨でもなく、
口と肛門という「管」である。


ストーリーは、
三幕構成や複数のストーリーラインや、
登場人物や変化や目的や、
人間関係や世界設定や、
行動やターニングポイントや焦点や、
中身とガワや、
テーマやサブテーマなどで構成されているが、
それらは全て管のあとに発生した、
内臓や骨や皮や目や脳にすぎない。

根本は、
「問題と解法」なのだ。



たとえば「ロッキー」の口と肛門を見てみよう。

Q: 自信のない男が自信を得るためにはどうすればいいか?
A: 自分の設定した課題(最後まで立つ)をクリアして、
試合に勝てずしても勝負に勝ち、
好きな女の前で勝利宣言すること

これは一般的な「自信のない男の解決法」ではないことに注意されたい。
文学は科学ではないから、
一般的な解決策を探求するものではない。
「ロッキーという男においての解決策」を、
ロッキー自身が見出したストーリーだ。
一般法則として見たら、
「女に甘えるイタリア男のマザコンぷり」
と批判されるかもしれない。
しかしこのストーリー内という文脈においては、
見事な解決だと言えるだろう。

つまりストーリー、問題、解決、文脈は、
すべてが一体化していて分離できない。

(話は逸れるが、集合知でストーリーが作れない理由がこれだ。
ここまで有機的につながったものは、
一人で作るしかないのだ)


もう一例、ドラマ「風魔の小次郎」の口と肛門を。
Q: 忍びとして生きるべきか?
A: 人として懐に飛び込み、忍びとして解決する、
新しい形の忍びが答え。それはつまり新しい暖かい風だ。

これも一般論ではなく、
竜魔に反発し、姫子に惚れ、壬生や武蔵と戦い、
絵里奈を失った、
小次郎ならではの解答だ。

posted by おおおかとしひこ at 20:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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