2019年07月06日

よく出来たバッドエンドは、ハッピーエンドと製法は同じ

ただ真逆のことをしてるだけで。


バッドエンドもハッピーエンドも、
矛盾があってはならない。

全ては必然で、最善手をして、
馬鹿がミスすることなく、
偶然というご都合なしで、
論理的な最終結論が出て、
それが覆らないことが必要だ。

つまり、論理的正しさに貫かれていなければならない。

全ての登場人物が、
なんとなくではなく明確な目的を持ち、
同じではなく異なるために競合が起こり、
自らの目的を貫き通すか、
または変更していく過程において、
論理的正しさに貫かれていなければならない。

全員は平均的なIQかそれ以上であり、
凡ミスをせず、偶然に頼らず、
すぐバレるようなつまらない嘘はつかず、
やるならば徹底的に、命や名誉をかけてやる。
動機と目的はあり、モチベーションは高い。


これらはバッドエンドでもハッピーエンドでも同じだ。
ただ真逆の結論になるだけだ。

関わった全員が、ストーリーが起こる前より幸福になるか、
関わった全員が、ストーリーが起こる前より不幸になるか、
その違いだけだ。
(悪役を除く)


つまり、完璧なハッピーエンドを書ける人は、
完璧なバッドエンドを書ける。
逆も同じだ。

ハッピーエンドかバッドエンドかは、
嗜好の違いでしかなく、
手際や技術に関しては同等である。


完璧なハッピーエンドを書けないからといって、
そこそこの幸せの小さなストーリーで誤魔化したり、
中途半端なバッドエンドで世の中を皮肉った気になって、
マウントを取ろうとしてもムダだ。

本当にバッドエンドが書きたいのなら、
完璧なバッドエンドにするべきだ。

ただのバッドエンドにはなんの価値もない。
完璧なバッドエンドかどうかが関係がある。


「レクイエムフォードリーム」は最悪なバッドエンドだ。
「ミスト」はかなり酷いバッドエンドだ。
「ダンサーインザダーク」や「ドッグヴィル」は、
手法に頼っただけの中途半端なバッドエンドだ。

ただのバッドエンドで満足してる奴なんて、
中途半端なハッピーエンドで満足してる奴と同レベルだ。
もっと技術を磨くべきだ。


ただ詰まらないダメ映画に比べて、
本当によく出来たバッドエンド映画というものがある。
「we are little zombies」はクソ映画で、
「レクイエムフォードリーム」の美しいまでの完璧な構造から比べれば、
浅瀬でパチャパチャやってる児戯に等しい。


バッドエンドかハッピーエンドかは、
人生観という嗜好性で決まるだけかも知れない。
僕は、完璧なハッピーエンドを書くべきだと信じている。
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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