ただ真逆のことをしてるだけで。
バッドエンドもハッピーエンドも、
矛盾があってはならない。
全ては必然で、最善手をして、
馬鹿がミスすることなく、
偶然というご都合なしで、
論理的な最終結論が出て、
それが覆らないことが必要だ。
つまり、論理的正しさに貫かれていなければならない。
全ての登場人物が、
なんとなくではなく明確な目的を持ち、
同じではなく異なるために競合が起こり、
自らの目的を貫き通すか、
または変更していく過程において、
論理的正しさに貫かれていなければならない。
全員は平均的なIQかそれ以上であり、
凡ミスをせず、偶然に頼らず、
すぐバレるようなつまらない嘘はつかず、
やるならば徹底的に、命や名誉をかけてやる。
動機と目的はあり、モチベーションは高い。
これらはバッドエンドでもハッピーエンドでも同じだ。
ただ真逆の結論になるだけだ。
関わった全員が、ストーリーが起こる前より幸福になるか、
関わった全員が、ストーリーが起こる前より不幸になるか、
その違いだけだ。
(悪役を除く)
つまり、完璧なハッピーエンドを書ける人は、
完璧なバッドエンドを書ける。
逆も同じだ。
ハッピーエンドかバッドエンドかは、
嗜好の違いでしかなく、
手際や技術に関しては同等である。
完璧なハッピーエンドを書けないからといって、
そこそこの幸せの小さなストーリーで誤魔化したり、
中途半端なバッドエンドで世の中を皮肉った気になって、
マウントを取ろうとしてもムダだ。
本当にバッドエンドが書きたいのなら、
完璧なバッドエンドにするべきだ。
ただのバッドエンドにはなんの価値もない。
完璧なバッドエンドかどうかが関係がある。
「レクイエムフォードリーム」は最悪なバッドエンドだ。
「ミスト」はかなり酷いバッドエンドだ。
「ダンサーインザダーク」や「ドッグヴィル」は、
手法に頼っただけの中途半端なバッドエンドだ。
ただのバッドエンドで満足してる奴なんて、
中途半端なハッピーエンドで満足してる奴と同レベルだ。
もっと技術を磨くべきだ。
ただ詰まらないダメ映画に比べて、
本当によく出来たバッドエンド映画というものがある。
「we are little zombies」はクソ映画で、
「レクイエムフォードリーム」の美しいまでの完璧な構造から比べれば、
浅瀬でパチャパチャやってる児戯に等しい。
バッドエンドかハッピーエンドかは、
人生観という嗜好性で決まるだけかも知れない。
僕は、完璧なハッピーエンドを書くべきだと信じている。
2019年07月06日
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