2019年07月09日

最近の若者は失敗を極端に恐れるらしい

失敗なんて若者の特権だというのにねえ。
「自分が失敗している間、
SNSなどネットは進むから、置いてけぼりになるのではないか」
という感覚が強いのだろうか?


僕が若い頃はネットなんかなかったし、
「流行を追う奴」はカッコ悪かった。
流行はそこそこ抑えた上で、
どれだけ違うことを自分で出来るかが、
尖り方だった。
コピーはダサくて、アレンジやオリジナルがセンスだった。
凄くカッコ良くても、パクリとバレれば信用は地に落ちた。

今はそうではない気がする。
情報のキャッチアップをしてなければ、
脱落とみなされるのではないか。
その脱落は即孤立に繋がり、
セーフティネットの支援を受けられなくなる焦りが、
若者には蔓延していると思う。
スマホの充電が切れそうになったり、
スマホを家に一日忘れたりしたら、
生きて行けなくなるのではないかな。
「キャッチアップしてます」が最低限のポーズになり、
それ以上は余計なことと思われているかも知れない。


僕はそれでも、
ネットやスマホを遠ざける時間を作ろう、
と呼びかける。
半日ぐらい何も見なくたって大丈夫にしよう。
一日はちょっと怖いからね。
そのうち、一日二日ネットから離れても、
世の中は大して進まないことに気づくよ。


後輩と話してて衝撃的だったのは、
ツタヤから映画を5本借りた時、
全部当たりじゃないと嫌なのだそうだ。

僕の感覚だと1/5で当たりがあれば万々歳で、
全部ハズレのときだってあるだろう、
と構えている。

失敗が怖い。ハズレを掴みたくない。
それはもはや強迫観念なのではないか。

だとしたら、新しいものを生み出すことなんて一生できない。
クリエイティブとは、
1回の当たりを引くまで、
99回のハズレを創り出すことをいう。

ハズレを引くには、莫大に時間がかかる。
ツイ廃やってる場合じゃないと思うんだ。


新しいものを産むには、
大外れが必要だ。
これは外れ、これは当たりという感覚は、
膨大な試行錯誤からしか生まれない。
AIのディープラーニングも、同じアルゴリズムを使っている。

外れ、当たりの感覚が出来ると、
「次に考えることが当たりか」
が感覚としてわかるようになる。
「外れそう」「五分五分」
「外れかも知れないが、やってみたら化けるかも」
もわかるようになる。
「この時この脇の部分まで考えると何かあるかも」とかの、
微妙な感覚も。
勿論「どこかで見たことなので、これ以上の追求は無駄」も。

「センス」一言で言いあらわせる何かは、
このような、膨大な外れ/当たりの学習から得られる。


沢山ハズレなさい。
怖くもなんともないよ。
若いうちに、転び方や起き上がり方を学ばないと、
大人になってから骨折して、もっと恐怖になる。

24歳ぐらいまでは、失敗は成功を遥かに上回る。
長い人生それくらいでいい。
トーナメント全勝を求めてたら、
いつまでたっても冒険できない。

冒険そのものの物語を、書けるわけないじゃんね。

男ならまず風俗行って大失敗してみな。
話はそれからだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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