失敗なんて若者の特権だというのにねえ。
「自分が失敗している間、
SNSなどネットは進むから、置いてけぼりになるのではないか」
という感覚が強いのだろうか?
僕が若い頃はネットなんかなかったし、
「流行を追う奴」はカッコ悪かった。
流行はそこそこ抑えた上で、
どれだけ違うことを自分で出来るかが、
尖り方だった。
コピーはダサくて、アレンジやオリジナルがセンスだった。
凄くカッコ良くても、パクリとバレれば信用は地に落ちた。
今はそうではない気がする。
情報のキャッチアップをしてなければ、
脱落とみなされるのではないか。
その脱落は即孤立に繋がり、
セーフティネットの支援を受けられなくなる焦りが、
若者には蔓延していると思う。
スマホの充電が切れそうになったり、
スマホを家に一日忘れたりしたら、
生きて行けなくなるのではないかな。
「キャッチアップしてます」が最低限のポーズになり、
それ以上は余計なことと思われているかも知れない。
僕はそれでも、
ネットやスマホを遠ざける時間を作ろう、
と呼びかける。
半日ぐらい何も見なくたって大丈夫にしよう。
一日はちょっと怖いからね。
そのうち、一日二日ネットから離れても、
世の中は大して進まないことに気づくよ。
後輩と話してて衝撃的だったのは、
ツタヤから映画を5本借りた時、
全部当たりじゃないと嫌なのだそうだ。
僕の感覚だと1/5で当たりがあれば万々歳で、
全部ハズレのときだってあるだろう、
と構えている。
失敗が怖い。ハズレを掴みたくない。
それはもはや強迫観念なのではないか。
だとしたら、新しいものを生み出すことなんて一生できない。
クリエイティブとは、
1回の当たりを引くまで、
99回のハズレを創り出すことをいう。
ハズレを引くには、莫大に時間がかかる。
ツイ廃やってる場合じゃないと思うんだ。
新しいものを産むには、
大外れが必要だ。
これは外れ、これは当たりという感覚は、
膨大な試行錯誤からしか生まれない。
AIのディープラーニングも、同じアルゴリズムを使っている。
外れ、当たりの感覚が出来ると、
「次に考えることが当たりか」
が感覚としてわかるようになる。
「外れそう」「五分五分」
「外れかも知れないが、やってみたら化けるかも」
もわかるようになる。
「この時この脇の部分まで考えると何かあるかも」とかの、
微妙な感覚も。
勿論「どこかで見たことなので、これ以上の追求は無駄」も。
「センス」一言で言いあらわせる何かは、
このような、膨大な外れ/当たりの学習から得られる。
沢山ハズレなさい。
怖くもなんともないよ。
若いうちに、転び方や起き上がり方を学ばないと、
大人になってから骨折して、もっと恐怖になる。
24歳ぐらいまでは、失敗は成功を遥かに上回る。
長い人生それくらいでいい。
トーナメント全勝を求めてたら、
いつまでたっても冒険できない。
冒険そのものの物語を、書けるわけないじゃんね。
男ならまず風俗行って大失敗してみな。
話はそれからだ。
2019年07月09日
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