2019年07月10日

XにYを足さないことだ

ストーリーというのはABCという、
少なくとも3要素が必要であることについては以前書いた。
この1セットをXとする。

このXは一度固定したらぐらつかせないこと。
「面白くないかも」と不安になって、
XにYを足してしまうことは、
よくある間違いだ。


Xが一度出来上がったら、
それは「軸」というものだ。
背骨がABCで構成されたら、
それをぶらせてはいけない。

ABDにするとか、EBCにするとか、
そうしたら面白くなるのかと不安になってはいけない。
それは面白くなくなると相場が決まっている。

なぜなら、
一度できたX前提での評価をしてしまいがちだからで、
「初見の人がどう思うか」を考慮に入れなくなるからだ。

Xだけでは不安になるので、
Xより面白くなりたいという目測の誤りが、
すべての原因である。

一旦出来上がったXを、改良できる、
という思い込みが間違いだ。

僕はABCが出来たら崩すべきではないと思う。
それが面白くないのはそれまでだと思う。
その面白さはABCのセットの限界だと思う。

だから、「そのABCの面白さ」をより増すように工夫すべきであって、
Xを否定する方向で改造するべきではないのだ。

これは化粧や整形に似ているかもしれない。
素材の良さを煮込めるかどうかが勝負であり、
新しい要素を足したら嘘が二重三重になっていく。


出来上がったXからCを引いて、
新しいY(たとえばDEという要素)を足して、
別物にしようとしてもムダだ。

それはキメラになるだけで、
完全体をなさない。


ストーリーとして出来ているかどうかは、
ABCという整った背骨の3要素が必要で、
背骨を二つ入れてはいけない。

あなたがやるべき「改良」は、
内臓やガワを足すことであり、
背骨を二つにしたり三つにしたりすることではない。


改良には深層から表層まで、
色々なレベルがあることを知ろう。

背骨レベルでの直しや、
内臓レベルでの直しや、
皮膚レベルの直しがあることを知ろう。

内臓の位置を変えただけで背骨の面白さが輝いたり、
皮膚レベルを整えるだけで背骨がまっすぐになり、
内臓が機能することだってある。


プロットを考えている時、
とくにXにYを足そうという誤りが起こりやすい。
背骨レベルの思考だからだろう。

Xが出来たら、
それ以上の改良は、一段表層のレベルでやることだ。

「根本的に間違っていたのではないか」
という不安が、
Xを歪めてしまいがちということ。


自信を持て、というのが正解なのだが、
それが出来ないからそうしてしまうループになる。

実際のところ、
自信とは覚悟だ。

仮に面白くないかもという不安に囚われたとしたら、
「そこはそれまで」と割り切ろう。
せっかく生まれたXに、
受肉させて完成させなさい。
受肉で面白くすることを勉強すれば良い。

ディテールは神に宿る。
凄く興味深いディテールを思いつけば良い。

ディテールから作った詰まらないプロットより面白いから、
安心しなさい。


最終的に、
ディテールがよく出来ていて、
しかし背骨Xは普通だな、という作品になるかもしれない。
しかし、
背骨が歪んでいて何がいいたいか意味不明な作品よりも、
数段レベルが上だということは言える。

また新しい背骨を考えればいいだけだ。


Xに受肉させるのだ。
YやZを継ぎ足してはいけない。

たとえば、表面的なセリフで面白くすることはできる。
シチュエーションで魅力的にすることはできる。
冗談を足したり、仕草を面白くすることはできる。
それが、Xを魅力的にするように作ると良い。

実は、プロットだけ、ディテールだけを思いつくよりも数段難しい。
コントロールの必要なクリエイティブだ。


だから初心者は不安になり、
(自分の支配が及ぶ)同じ層のものだけで、
コントロールしたくなるのだろう。



後輩の失敗例を。

「病室で死んだヘビメタのボーカル。
集まった仲間が死ぬなあああと言って演奏をする。
と、止まったはずの心電図が、
ドラムのリズムに合わせて動き出す。
ボーカルが生き返った!」

というプロットXが先にあった。
これをもう少し膨らませようというときに、
「医者が歌い出し、ボーカルとヘドバンを始め、
『これがデスメタルの誕生である』と落ちる」とか、
「メンバーが頭に装置をつけて、
死後の空間で再開してそこでバンドをする」とかの、
Xを歪めてYやZにしていた。

やるべきはXをそのままにして、
次の層を改良することだ。

つまり、たとえば、
「病室で死んだヘビメタのボーカル。
集まった仲間のうち、
ドラムが、ドン、ドン、ドン、と始める。
ベースもそれに乗り、演奏を始める。
心電図は止まったままだ。
しかしドラムは更に激しくし、
ベースもメロディを奏で出す。
ギターがリフを奏で出す。
そうすると、止まったはずの心電図が、
リズムに合わせて動き出す。
メンバーは顔を見合わせて、更に演奏を激しくする。
それに合わせて心電図が再開。
奇跡か、となった瞬間、
おっさんの医者がリズムを取り出し、
心電図は一回止まる。
メンバーが睨み、最初から演奏を始め、
心電図が動き出し、ついにボーカルは目を開けて歌い出す」
のようにするべきなのだ。

Xの背骨をあくまで固定したまま、
ディテールで(演奏の成功失敗や医者のくだりなど)、
膨らませていけばいいのだ。

これはXの背骨を維持したままの、
コントロール力が要求される。
Xを不安に思ってYやZに行くと、
もはや何が何だかわからなくなる。

「このストーリーはこうやって楽しむ」は、
強い一つしかない。
posted by おおおかとしひこ at 10:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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