「元原稿が頭の片隅にあるから」だ。
どういうことかというと。
第一稿は、
「それを知らない人に向けて書いたもの」である。
だから、
説明は「知らない人」前提だし、
展開は「初めての人」前提だし、
結末やテーマ性も「初めて見終わった人」へのものだ。
全ての作品はこうあるべきで、
その出来不出来を勝負しているわけだ。
ところが。
リライトをすると、
全体的、または部分的にそうでなくなることが、
頻発してしまう。
自分一人でやったとしても、
複数の人で打ち合わせした時もだ。
「最新の原稿を、
第一稿から一回前までの全ての原稿と比較する」
ことをやりがちだからである。
これは、「初めてそれを受け取る」ではないため、
評価基準がズレがちなのだ。
僕はリライトを、
「前の稿より良くなった」で比較してはならないと戒める。
「初めて受け取る人向けに、
どうあるべきか」だけを考えるべきだと思う。
やりがちなこと。
・前の稿がわかっている人向けに改良してしまう。
つまり、ルールが複雑化する。
たとえるなら、
「じゃんけんに4番目の手を入れましょう」になってしまい、
「じゃんけんという4つの手があるゲームがある」
から始めない原稿になりがち。
・話し合われた改良点が中心になってしまい、
本来中心になるべき部分への重心が損なわれる。
「前の稿に比べて良くなった」と、
改良点だけ見てチェックするとこのミスを犯す。
元々の中心の部分はよくて、端の○○だけ修正すれば良くなる、
という話し合いに対して、
「○○を中心にしてしまう」というミスは良くある。
本来の中心は中心にいなければならないのに、
アドバイスに対して中心をぶらして悪くなった例だ。
・「第○稿が良かった。しかし第△稿も良かった。
両方の合わせ技はあるか」
などの場合、○と△のAND(共通部)やOR(両方の入れ込み)が、
正解とは限らないのに、そう書いてしまう。
で、矛盾が起きたり、「初めての人に分かりやすい」
という観点が抜け落ちる。
リライトは長くかかる。
だから、「その作品に携わった時間」が、
そこに乗ってしまう危険がある。
いつだって、「初見で最高になる」を忘れないことだ。
ていうか、
「○より良くなった」は、シリーズ物の見方だろう。
そんな評価の仕方が間違っている。
理想は、第○稿を、初見の人に読んでもらうことだ。
しかしその人はまたこれまでと違うことを言い出すだろう。
つまり、
あなた自身が、
「これまでのリライトシリーズを全て把握した上で、
初見の人になる」
ことができない限り、
リライト沼から正しく脱出することはできない。
(初見の人になる最も簡単な方法は、
沢山寝て3ヶ月放置すること)
つまり、「わかってる人向け」の原稿に価値はない。
「わからない人向け」の原稿に価値がある。
2019年07月12日
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