2019年07月12日

何故リライトしたものはもとより悪くなりがちなのか

「元原稿が頭の片隅にあるから」だ。


どういうことかというと。

第一稿は、
「それを知らない人に向けて書いたもの」である。

だから、
説明は「知らない人」前提だし、
展開は「初めての人」前提だし、
結末やテーマ性も「初めて見終わった人」へのものだ。

全ての作品はこうあるべきで、
その出来不出来を勝負しているわけだ。


ところが。
リライトをすると、
全体的、または部分的にそうでなくなることが、
頻発してしまう。

自分一人でやったとしても、
複数の人で打ち合わせした時もだ。

「最新の原稿を、
第一稿から一回前までの全ての原稿と比較する」
ことをやりがちだからである。

これは、「初めてそれを受け取る」ではないため、
評価基準がズレがちなのだ。

僕はリライトを、
「前の稿より良くなった」で比較してはならないと戒める。

「初めて受け取る人向けに、
どうあるべきか」だけを考えるべきだと思う。


やりがちなこと。

・前の稿がわかっている人向けに改良してしまう。
つまり、ルールが複雑化する。
たとえるなら、
「じゃんけんに4番目の手を入れましょう」になってしまい、
「じゃんけんという4つの手があるゲームがある」
から始めない原稿になりがち。

・話し合われた改良点が中心になってしまい、
本来中心になるべき部分への重心が損なわれる。
「前の稿に比べて良くなった」と、
改良点だけ見てチェックするとこのミスを犯す。
元々の中心の部分はよくて、端の○○だけ修正すれば良くなる、
という話し合いに対して、
「○○を中心にしてしまう」というミスは良くある。
本来の中心は中心にいなければならないのに、
アドバイスに対して中心をぶらして悪くなった例だ。

・「第○稿が良かった。しかし第△稿も良かった。
両方の合わせ技はあるか」
などの場合、○と△のAND(共通部)やOR(両方の入れ込み)が、
正解とは限らないのに、そう書いてしまう。
で、矛盾が起きたり、「初めての人に分かりやすい」
という観点が抜け落ちる。


リライトは長くかかる。
だから、「その作品に携わった時間」が、
そこに乗ってしまう危険がある。

いつだって、「初見で最高になる」を忘れないことだ。
ていうか、
「○より良くなった」は、シリーズ物の見方だろう。
そんな評価の仕方が間違っている。


理想は、第○稿を、初見の人に読んでもらうことだ。
しかしその人はまたこれまでと違うことを言い出すだろう。
つまり、
あなた自身が、
「これまでのリライトシリーズを全て把握した上で、
初見の人になる」
ことができない限り、
リライト沼から正しく脱出することはできない。

(初見の人になる最も簡単な方法は、
沢山寝て3ヶ月放置すること)


つまり、「わかってる人向け」の原稿に価値はない。
「わからない人向け」の原稿に価値がある。
posted by おおおかとしひこ at 12:01| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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