最近気づいたのだが、
タイプウェルを打つときのスプリントの打ち方と、
長文を打つときの打鍵法が随分違うことだ。
キースイッチを何度も調整しているのは、
両方に対応出来るといいなあと考えているからだ。
僕だけかも知れないが、
やっぱりタイプウェルを打つときは、
底打ちを力強くやってしまいがち。
打つというより叩くくらいの感じになる。
メカニカルスイッチの、
底打ちストロークの半分でオンを検知することを、
殆ど使わなくなって、
「確実にミスしない打ち方」を優先してしまう。
あと、呼吸を殆どしない。
100メートル走では呼吸をしないらしいが、
それに近い。
だから新記録出すとハアハア言う。
物凄く指に神経が行く。
10本の指、32キーの全てに神経が通い、
運指の組み立てを先行してしながら、
組み立てた運動を一気に吐き出す感じ。
(慣用句が難しいのは言葉が長く、
一気の組み立てが文節単位になりがちだから)
一方、長文は半ばで次のキーへ行く、
キースイッチの設計通りの撫で打ちになる。
垂直の運動より水平の運動の方が10倍くらい大きい感覚。
(スプリントの時は垂直と水平が同じくらい)
呼吸は普通にしている。
吐くときに打つとか吸うときに打鍵準備するとか、
ありそうだけど無意識なので意識してない。
運指組み立て→吐き出しなどやらない。
無意識に打っていくだけだ。
ていうか、書く文章の内容に100%意識を使っていて、
指はそれに合わせて無意識に動くのみ。
「こう書こう」という内容が100で、
「こう指を動かそう」は0だ。
これは、タイプウェルがコピー打鍵で、
長文が創作打鍵であることと関係するかも知れない。
短文の創作打鍵(俳句とか?)は、後者のものになるし、
長文のコピー打鍵も、前者と後者の半々くらいになる予想がつく。
タイムを計られているか、内容を精査されるか、
ということと関係しているかも知れない。
「速さ」というときに、
何を指すか、どうやって計測するかは難しい。
タイプウェルは一つの指標に過ぎず、
その配列のほんとうの速さを示しているかは分からない。
(比例してない。相関はある、くらい。
人によってパラメータも異なるし)
タイプウェルの打ち方が、
本来の用途である長文の打ち方と違う以上、
そのタイムに意味があるかもわからない。
タイプウェルで計測できるのは、
その配列でその人がスプリントで打ったときのタイムだ。
もっとも、長文用の打ち方で計測すればいいのだが、
そこは意識の切り替えが難しいところだなあ。
(小説の初見コピー打鍵タイムを計測すれば、
まだ目的に近いだろうか?)
「指がもつれず、思うようにスラスラ書けること」
が主観的な速さだと思う。
その思ったことを同時に複数の配列で書けないから、
客観的比較は出来ないのが難しい。
高速打鍵、超高速打鍵などとタイパーが言うとき、
たとえば秒10打とかそういう世界のことを言っている。
それが速さだとしたら、
僕の求めている速さではないような気がする。
そのペースなら一時間で36000字書ける計算になるが、
人が一日かけて書ける量はやっと2万字が限界だ。
一方、楽さという指標もある。
打鍵数が減ることや、
良運指が増えることや、
悪運指が減ることは、
客観的に楽さを上げることになる。
あるいは、1モーラを1アクションで打てることは、
主観的なブレーキがなく気持ちいい。
清濁同置も楽さの指標かも知れない。
清音と濁音で運指を変えなくていいのは楽だ。
連濁で運指が変わらないのは楽だ。
薙刀式では、半濁音も小書きも、拗音も外来音も同置なので、
運指は楽だ。
「同じところに同じ音がいて、
打ち方(何かと同時押し)で変形する」
という意識で良いので、
意識の負担が小さいと思う。
もちろん清濁別置系も、
慣れれば同じ境地に行くかも知れない。
しかし僕は結局それをマスターしきれなかったので、
「慣れれば同じだよ」と、
実感を持って保証できないのが議論の片手落ち。
(慣れるまでに支払うコストは全然違うことしか分からない)
打鍵範囲も小さい方が楽だと思う。
僕は指が短いし小指も弱いから、
4段目や小指伸ばしがある配列は非常に疲れる。
こないだ久し振りにカタナ式を打って思ったが、
左小指薬指、右小指を使わないから、
手がすごい楽だった。
ただ打鍵数がローマ字だから、
打鍵数の多さに疲れた。
薙刀式ならもっと楽してアルペジオで打てるのに、
ってポイントがいくつもあった。
同時打鍵の方が僕には逐次打鍵より楽で、
だから月系の前置シフトは僕にとって楽ではない。
単打でたくさん打ちたいし、
しかし範囲は狭い方がいいという矛盾はある。
つまり楽さというのは、
人によってバランスが異なる可能性が高い。
楽だから速くなるのかというと、
長文に関してはそうだろう。
短文のコピー打鍵でタイム計測すると、
それ用の配列の方が好タイムが出るかも知れない。
たとえば、
小指や薬指をフルに使ってアルペジオ領域を伸ばし、
スピードは出るけど指に負担がかかるような配列は、
作れるかも知れない。
qwertyのA位置(出現率12%)は、これに該当すると思う。
僕には長文でA左小指は辛過ぎる。
短文スプリント前提ならば、
他の指と被らない左小指はロールオーバー形成しやすい。
しかし世の中の人でqwertyで左小指を痛める人が、
大量にいないのは、
僕より指が強い人がいる証拠で、
僕の楽さとその人の楽さは異なるということだ。
僕にとっては、
qwertyは苦痛で遅い。
カタナ式は楽でまあ速い。
薙刀式はカタナ式より楽ではないがもっと速く、
快適の範囲内で最速。
新下駄や飛鳥は、僕の手に余った。
親指シフトは、薬指小指が苦痛。
下駄配列は、一部の運指が苦痛だった。
しかしタイプウェルにおいては、
僕が困難な新下駄で、僕の快適な薙刀式より速い人は沢山いる。
新下駄が速いのか薙刀式が遅いのか、
その人が才能があって僕が才能がないのか、
分からないところだ。
複合的な要因を、タイムというスカラー値で見ると、
見逃すことになるのは確実だ。
僕個人は、
長文においては、
薙刀式でqwertyの3倍の速度になり、
タイプウェルでは、
薙刀式でqwertyの1.5倍の速度になった。
体感的には5倍以上楽になっている。
個人を固定して配列を変えるとこんな感じだから、
ほんとうはこれが指標になると思う。
ただみんなそこまで記録を取ってないんだよね。
親指シフトは楽に速くなるそうだ。
その効果は、少なくとも僕にとっては、
薙刀式の方が効果が大きかった。
誰にとっても、どんな場合でも、
楽になり速くなる、
優れた配列はあるだろうか?
そう問えば、人や場合による、と答えられるかもなあ。
2019年07月13日
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