2019年07月13日

最近のストーリーが面白くなくなった理由

前記事の続き。
世界がとても広くなってしまったから。


中世までのストーリーならば、
「国を二分して争う兄弟」
などと、人間関係と世界のスケールのバランスが良かった。

近代国家誕生後は、
国家と個人を描けばまだ良かった。
戦争の行方を左右する重要人物もいたし。

少し前までは、
世界を破滅させる超能力、
世界を守る軍隊、
などのように、スーパーパワー前提ならば、
世界と人間関係のバランスが取れた。
しかし特撮の枯渇(CGに飽きた)
によって、このジャンルは発展が難しくなっている。
(この中で傑作をものにしたのがマーベルだが、
それはあとで議論しよう)


ネットが出来、世界がグローブ球になってしまうと、
世界が広過ぎて、人間関係を重ねる場がなくなってしまった。
だから最近のストーリーは、
「個人とその周り」、中世以前に戻ってしまった気がする。

世界を巻き込む話ではなく、
世界にバレないように何かが進行する話が多い。
ネットにバレたらおしまいみたいな。

だから、ストーリーの規模が小さく見えてしまう。
世界と関係ないところで起こっているように。

前記事で議論したが、
実際のところの中身は人間関係だが、
それが世界スケール規模で起こっているようにガワを作るのが、
よく出来たストーリーである。

その「世界」が、
時代を追うごとに広くなり過ぎ、
ストーリーの住む余地が減ってきたように、
僕は感じている。

境目はどこかな。セカイ系かな。
セカイ系が「世界とぼくときみ」の、
極大と極小を扱って、
人間関係は世界から放り出されたのかもしれない。


一方、世界とどう四つに組むかを実行したものに、
マーベルがある。
ひとつひとつのヒーローもので、
「それぞれの世界と人間関係」を描いていたはずが、
クロスオーバーによって全員を集め、
ひとつの世界にしてしまうという。

勿論地球規模で収まらず、
別惑星との戦いとなる。
初期は「地球滅亡」をかけて戦うが、
そのうち「宇宙滅亡」をかけて戦うことになる。

地球滅亡という世界スケール規模が、
最初のアベンジャーズで、
それから宇宙滅亡のインフィニティウォーの、
間が詰まらないのは、
世界を賭けていないからだ。


世界を賭けた人間関係は面白い。

問題は、世界を賭けるほどの、
面白い人間関係が、リアリティを持って出てこないことだ。
マーベルシリーズは、
その世界スケール規模と人間関係の両方が、
噛み合って面白い、
つまりは中世から続く、
世界と人間関係の物語の、直系だから面白いのだ。

これに比べたら、
スペースオペラの元祖、
スターウォーズは見劣りする。

456は時代の「世界の狭さ」に合っていた。
123は1はオープニングだから置いといても、
世界の規模感と人間関係の矮小さのバランスが取れていなかった。
78は何が面白いのかわからない。
レイやカイロがいつまでたっても魅力的に見えないし、
人間関係と世界の規模が合っていない。

これらを完結編9で修正してくる期待はできない。


世界はどんどん広くなった。
そうして、月や火星にはいかず、
どん詰まりにきた。

この世界の感覚と、
私たちの人間関係が、
どんどんずれていっている。


だからか、
最近のストーリーは、70年代や80年代を舞台にし、
「まだ世界が狭かった頃」を描こうという傾向がある。
ビジュアル上面白いという以外の理由に、
「世界を狭くできる」
という利点が脚本上あるわけだ。

つまり時代劇だ。70年代や80年代を時代劇として使うわけだ。


子供の頃の「世界」を想像しよう。
世界の支配者は、リーダー的なやつがいた。
お母さんや先生に見つからないように、
子供達だけの世界が全てで、
簡単に世界滅亡の危機があった。

そのように、人間関係と世界が同等であるときが、
一番面白いと思う。

マーベルはそのスケール感でつくられたから、
とても面白かったのだ。


で、
我々はどうすればいいのかというと、
「人間関係と世界の距離感」がちょうど良い、
新しい組み合わせを発見すれば、
名作を作れる可能性があるということだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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