前記事の続き。
世界がとても広くなってしまったから。
中世までのストーリーならば、
「国を二分して争う兄弟」
などと、人間関係と世界のスケールのバランスが良かった。
近代国家誕生後は、
国家と個人を描けばまだ良かった。
戦争の行方を左右する重要人物もいたし。
少し前までは、
世界を破滅させる超能力、
世界を守る軍隊、
などのように、スーパーパワー前提ならば、
世界と人間関係のバランスが取れた。
しかし特撮の枯渇(CGに飽きた)
によって、このジャンルは発展が難しくなっている。
(この中で傑作をものにしたのがマーベルだが、
それはあとで議論しよう)
ネットが出来、世界がグローブ球になってしまうと、
世界が広過ぎて、人間関係を重ねる場がなくなってしまった。
だから最近のストーリーは、
「個人とその周り」、中世以前に戻ってしまった気がする。
世界を巻き込む話ではなく、
世界にバレないように何かが進行する話が多い。
ネットにバレたらおしまいみたいな。
だから、ストーリーの規模が小さく見えてしまう。
世界と関係ないところで起こっているように。
前記事で議論したが、
実際のところの中身は人間関係だが、
それが世界スケール規模で起こっているようにガワを作るのが、
よく出来たストーリーである。
その「世界」が、
時代を追うごとに広くなり過ぎ、
ストーリーの住む余地が減ってきたように、
僕は感じている。
境目はどこかな。セカイ系かな。
セカイ系が「世界とぼくときみ」の、
極大と極小を扱って、
人間関係は世界から放り出されたのかもしれない。
一方、世界とどう四つに組むかを実行したものに、
マーベルがある。
ひとつひとつのヒーローもので、
「それぞれの世界と人間関係」を描いていたはずが、
クロスオーバーによって全員を集め、
ひとつの世界にしてしまうという。
勿論地球規模で収まらず、
別惑星との戦いとなる。
初期は「地球滅亡」をかけて戦うが、
そのうち「宇宙滅亡」をかけて戦うことになる。
地球滅亡という世界スケール規模が、
最初のアベンジャーズで、
それから宇宙滅亡のインフィニティウォーの、
間が詰まらないのは、
世界を賭けていないからだ。
世界を賭けた人間関係は面白い。
問題は、世界を賭けるほどの、
面白い人間関係が、リアリティを持って出てこないことだ。
マーベルシリーズは、
その世界スケール規模と人間関係の両方が、
噛み合って面白い、
つまりは中世から続く、
世界と人間関係の物語の、直系だから面白いのだ。
これに比べたら、
スペースオペラの元祖、
スターウォーズは見劣りする。
456は時代の「世界の狭さ」に合っていた。
123は1はオープニングだから置いといても、
世界の規模感と人間関係の矮小さのバランスが取れていなかった。
78は何が面白いのかわからない。
レイやカイロがいつまでたっても魅力的に見えないし、
人間関係と世界の規模が合っていない。
これらを完結編9で修正してくる期待はできない。
世界はどんどん広くなった。
そうして、月や火星にはいかず、
どん詰まりにきた。
この世界の感覚と、
私たちの人間関係が、
どんどんずれていっている。
だからか、
最近のストーリーは、70年代や80年代を舞台にし、
「まだ世界が狭かった頃」を描こうという傾向がある。
ビジュアル上面白いという以外の理由に、
「世界を狭くできる」
という利点が脚本上あるわけだ。
つまり時代劇だ。70年代や80年代を時代劇として使うわけだ。
子供の頃の「世界」を想像しよう。
世界の支配者は、リーダー的なやつがいた。
お母さんや先生に見つからないように、
子供達だけの世界が全てで、
簡単に世界滅亡の危機があった。
そのように、人間関係と世界が同等であるときが、
一番面白いと思う。
マーベルはそのスケール感でつくられたから、
とても面白かったのだ。
で、
我々はどうすればいいのかというと、
「人間関係と世界の距離感」がちょうど良い、
新しい組み合わせを発見すれば、
名作を作れる可能性があるということだ。
2019年07月13日
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