2019年07月20日

【薙刀式】黙読と共感覚

僕が「文字に色が見える」タイプの共感覚を持っていることは、
以前に詳しく書き、ついでに五十音に見える音一覧も作った。

これって、
黙読時に脳内発声がないことと、わりと関係しているなあ、
と思ったので、
関連付けて考えてみたい。


コギーさんのコメント返しをしてて、ふと思い立った。
「どうしたら脳内発声なしに黙読が可能になるのか」という問いだ。

たとえば、「あくまで」という言葉を、
僕はひとつの言葉として認識している。
「あ」「く」「ま」「で」
という4つの音の集合体としては認識していない。

4つの音の集合体として認識しているということは、
時間がかかるということだ。
恐らくだが、途中で中断されることもあると予測される。

僕は、「あくまで」という一連をひとつの言葉として、
視覚的に認識しているので、タイムラグは発生していない。
(絵や模様のように認識している)

速読はこれを利用している。
僕はそんなに読むほうは速くないが、
それでもふつうの人よりは速い。
とくに訓練していないが、それはこうした読み方だからだろう。
(もちろん、意図的に脳内で音を出して読むことも出来る。
その人のイメージの声でセリフを言わせたり、
作者のイメージの声で地の文を言わせることはできる)

で、文字に色が見える共感覚は、
この能力と親和性がいいということに気づいた、
というのが本題。

僕にとっては、
「あ」は赤、
「く」はくすんだ茶緑、
「ま」は濃い赤紫、
「で」はくすんだオレンジか茶色、
にそれぞれ見えている。
「あくまで」は「4色の模様」に見えるわけだ。

だから、この4色の色の組合せを覚えているだけで、
文字を音変換する必要がなく、
一瞬で概念に変換できる、というわけなのだ。

青、白、赤を見ればフランスだと認識するようにだ。
そこに音は介在しない。


もっとも毎回同じ色が見えるわけでもないし、
似たような色が混ざることもある。
(困ったことに、フォントが変わると色が変わる。
僕にとって手書きが大事なのも、
筆跡を変えると色を変えて書けるからなのだ)


色の組合せと概念の対応が、
僕にとっての文字(セット)ということになるわけ。

トリコロールを見てフランスだと変換できるように、
音の4つ分の時間はかからない。
だから速いのだろう。


人の短期記憶は7前後と言われている。
だからたぶん僕が一気に読み、認識できる文字は、
7文字前後だと思われる。

速読の人がいうように、
一行を一気に認識するとか、ページ全体を見るとかは出来ない。
そのかわり、最大7文字ずつ概念に変換していくから速いと思われる。

似た色の組合せは似た概念だと間違えることもある。
ぜんぜん違う漢字を取り違えることも昔はあった。
色が似ているやつを間違えることもある。
たとえば「み」「め」はひらがなだと明らかに違う色dが、
「ミ」「メ」は、僕にとって良く似た緑色なので、
タイプウェルのカタカナで良く間違うことがある。

聞き間違いではありえない間違い方だろう。



薙刀式はそういう僕が作った配列で、
僕のそうした癖が色濃く出ている可能性がある。

今の僕の打鍵スタイルだと、
多分7文字前後おきに、変換をかけている感じ。
昔は一文書いて変換かければ効率がよい、と想像してやってみたが、
どうしても途中で変換をかけてしまう癖が抜けなかった。
今思うと、それは7文字以内の1ブロックを区切りに、
変換をかけているような感覚だということがわかる。

いまちなみに、
「変換を」「かけているような」「感覚だと」「いうことがわかる。」
の4つの区切りで打った。

一回目の終わりはスペースで変換、確定は次のを書きだすことで自動確定、
二回目の終わりは無変換確定なのでエンター、
三回目の終わりはスペースで変換、次のを書きだすことで確定、
四回目の終わりは無変換なので、「。確定」でエンター代わりに確定。

だいたいこういう感じで僕には認識の区切りがあり、
それに近い形で、
薙刀式は言葉を繋いでいけるようになっている感覚だと思う。

こうじゃない人たちにとっては、薙刀式のスタイルがよくわからない可能性もあるが、
「そういうやり方もあるのか」と思い、
やってみようという人には、薙刀式は答えてくれると思う。
(もちろん、このスタイルでない人にも役立つかもしれない)



逆にいうと、
こうした言葉の認識をしている僕にとって、
qwertyローマ字がいかに苦痛だったか、ってことだ。


で、さらにいうと、ひらがなだけでなく、
漢字についても同様で、
だから僕はカナ漢字変換は苦痛であったりする。

論理的帰結は漢直しかなくて、
いま色々調べているところ。
しかし漢字テーブルを見る度に、
これを極めようとするくらいなら、
かな配列のままでいいかな、と弱気になってしまうのだ……。


共感覚は、違う人は違う色だということがわかってきている。
色がポピュラーだが、音や手触りなどの別の感覚になる人もいるという。

脳内発声がない人の、少なくとも僕の脳の中では、
このように文字ブロックから意味への変換が起こっていて、
それに色の組合せが処理の簡便さに活かされている、
って感じかもしれない。

逆に文字を書くときは、
同様に概念→色→指、となっているだろうなあ。
でも中間状態の色は介在していないかも。
手書きだと色に微妙にニュアンスを付けられるけど、
タイピングの文字はいつも同じ色でつまらない。


わからない人には、ほんまかいな、というレベルの与太話。
しかし人の脳がどうやって思考しているかは、
まだ誰も明らかにしていないし、
どれだけ人によって差があるのか、
定式化もなされていない、未開拓の分野である。
posted by おおおかとしひこ at 15:50| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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