僕が「文字に色が見える」タイプの共感覚を持っていることは、
以前に詳しく書き、ついでに五十音に見える音一覧も作った。
これって、
黙読時に脳内発声がないことと、わりと関係しているなあ、
と思ったので、
関連付けて考えてみたい。
コギーさんのコメント返しをしてて、ふと思い立った。
「どうしたら脳内発声なしに黙読が可能になるのか」という問いだ。
たとえば、「あくまで」という言葉を、
僕はひとつの言葉として認識している。
「あ」「く」「ま」「で」
という4つの音の集合体としては認識していない。
4つの音の集合体として認識しているということは、
時間がかかるということだ。
恐らくだが、途中で中断されることもあると予測される。
僕は、「あくまで」という一連をひとつの言葉として、
視覚的に認識しているので、タイムラグは発生していない。
(絵や模様のように認識している)
速読はこれを利用している。
僕はそんなに読むほうは速くないが、
それでもふつうの人よりは速い。
とくに訓練していないが、それはこうした読み方だからだろう。
(もちろん、意図的に脳内で音を出して読むことも出来る。
その人のイメージの声でセリフを言わせたり、
作者のイメージの声で地の文を言わせることはできる)
で、文字に色が見える共感覚は、
この能力と親和性がいいということに気づいた、
というのが本題。
僕にとっては、
「あ」は赤、
「く」はくすんだ茶緑、
「ま」は濃い赤紫、
「で」はくすんだオレンジか茶色、
にそれぞれ見えている。
「あくまで」は「4色の模様」に見えるわけだ。
だから、この4色の色の組合せを覚えているだけで、
文字を音変換する必要がなく、
一瞬で概念に変換できる、というわけなのだ。
青、白、赤を見ればフランスだと認識するようにだ。
そこに音は介在しない。
もっとも毎回同じ色が見えるわけでもないし、
似たような色が混ざることもある。
(困ったことに、フォントが変わると色が変わる。
僕にとって手書きが大事なのも、
筆跡を変えると色を変えて書けるからなのだ)
色の組合せと概念の対応が、
僕にとっての文字(セット)ということになるわけ。
トリコロールを見てフランスだと変換できるように、
音の4つ分の時間はかからない。
だから速いのだろう。
人の短期記憶は7前後と言われている。
だからたぶん僕が一気に読み、認識できる文字は、
7文字前後だと思われる。
速読の人がいうように、
一行を一気に認識するとか、ページ全体を見るとかは出来ない。
そのかわり、最大7文字ずつ概念に変換していくから速いと思われる。
似た色の組合せは似た概念だと間違えることもある。
ぜんぜん違う漢字を取り違えることも昔はあった。
色が似ているやつを間違えることもある。
たとえば「み」「め」はひらがなだと明らかに違う色dが、
「ミ」「メ」は、僕にとって良く似た緑色なので、
タイプウェルのカタカナで良く間違うことがある。
聞き間違いではありえない間違い方だろう。
薙刀式はそういう僕が作った配列で、
僕のそうした癖が色濃く出ている可能性がある。
今の僕の打鍵スタイルだと、
多分7文字前後おきに、変換をかけている感じ。
昔は一文書いて変換かければ効率がよい、と想像してやってみたが、
どうしても途中で変換をかけてしまう癖が抜けなかった。
今思うと、それは7文字以内の1ブロックを区切りに、
変換をかけているような感覚だということがわかる。
いまちなみに、
「変換を」「かけているような」「感覚だと」「いうことがわかる。」
の4つの区切りで打った。
一回目の終わりはスペースで変換、確定は次のを書きだすことで自動確定、
二回目の終わりは無変換確定なのでエンター、
三回目の終わりはスペースで変換、次のを書きだすことで確定、
四回目の終わりは無変換なので、「。確定」でエンター代わりに確定。
だいたいこういう感じで僕には認識の区切りがあり、
それに近い形で、
薙刀式は言葉を繋いでいけるようになっている感覚だと思う。
こうじゃない人たちにとっては、薙刀式のスタイルがよくわからない可能性もあるが、
「そういうやり方もあるのか」と思い、
やってみようという人には、薙刀式は答えてくれると思う。
(もちろん、このスタイルでない人にも役立つかもしれない)
逆にいうと、
こうした言葉の認識をしている僕にとって、
qwertyローマ字がいかに苦痛だったか、ってことだ。
で、さらにいうと、ひらがなだけでなく、
漢字についても同様で、
だから僕はカナ漢字変換は苦痛であったりする。
論理的帰結は漢直しかなくて、
いま色々調べているところ。
しかし漢字テーブルを見る度に、
これを極めようとするくらいなら、
かな配列のままでいいかな、と弱気になってしまうのだ……。
共感覚は、違う人は違う色だということがわかってきている。
色がポピュラーだが、音や手触りなどの別の感覚になる人もいるという。
脳内発声がない人の、少なくとも僕の脳の中では、
このように文字ブロックから意味への変換が起こっていて、
それに色の組合せが処理の簡便さに活かされている、
って感じかもしれない。
逆に文字を書くときは、
同様に概念→色→指、となっているだろうなあ。
でも中間状態の色は介在していないかも。
手書きだと色に微妙にニュアンスを付けられるけど、
タイピングの文字はいつも同じ色でつまらない。
わからない人には、ほんまかいな、というレベルの与太話。
しかし人の脳がどうやって思考しているかは、
まだ誰も明らかにしていないし、
どれだけ人によって差があるのか、
定式化もなされていない、未開拓の分野である。
2019年07月20日
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