デジタルの功罪は沢山あると思うが、
僕は罪の方に興味がある。
スパイダーマン/ファーフロムホームを見ているときに感じたことは、
箸休めや隙間が少ないことだ。
以下ネタバレなしで。
普通箸休めは、
コメディリリーフなどによって行われる。
件の映画で言えば、
デブな友達のアレコレである。
しかしスパイダーマンの、前回も今回も、
そこにも綿密なプロットがあって、
出来過ぎじゃないかと少し思った部分がある。
前作のホームカミングでいえば、
廊下で隠れろ、と言ったところ、
隠れた所に窓があり、
じっと見られている、
というのをワンカットで処理したところがある。
ただ隠れて次に進めばいいものを、
まだそこに窓を足して成立させてくる感じ。
ギャグとしての完成度としては高いかもしれないが、
リリーフとして機能しているだろうか?
と息がつまる感じがした。
僕はデジタルの黒味も、実は嫌い。
「はい、隅から隅まで、リッチな黒0%を再現!」
と言われているようで気がつまる。
「なにもない」ではなくて、「黒0がある」
ような気がしてしまう。
黒味が箸休めにならず、
緊張持続装置になってしまっている感覚である。
映画とは、
見るべきところと、集中して見なくてもいいところがあり、
その視線の集中と解放は計算されるべきだ。
ところがデジタル時代から、
全瞬間集中しないといけない、
みたいな感覚が増えてきたように思う。
それはシナリオにおいても、
絵作り(カラコレ含め)においても、
編集においても、
音楽においても感じる。
もう今はそれほど流行っていないが、
僕は野球が好きで、
何がいいかというと、
野球は隙間が多い展開だからだ。
ピッチャーが投げるときだけ見てればよくて、
球を受けてから次投げるまでは気を抜いてられる。
ビールを飲んで集中力が下がり、
誰かとだらだらどうでもいい話をしながら見るのに丁度いい。
ある種の緩いテンポだから、
緊張と弛緩を繰り返していればいいわけだ。
対比的なものに、サッカーが挙げられる。
僕はいまだにサッカーをどう見ていいか、
よくわかっていない。
ずっと緊張してると疲れるし、
いつゴール前が来るのかよくわからないし、
セットプレイだけは分かりやすいけど、
セットプレイにセットする時間は退屈だったりする。
つまり、緊張と弛緩がランダムすぎて、
箸を休めるタイミングがつかめない。
(慣れた人はゴール前だけ見るのかも知れない)
だから僕にとっては、
サッカーは野球と違って、
デジタルで作られたものに近い。
休み所が分からなくて、ずっと緊張している感じ。
ギャグパートで弛緩できないのは、
「面白いギャグでなければならない」という、
製作者側の緊張が伝わってくるからかも知れない。
いいコメディリリーフは、
ギャグが面白くなくてもいいんだよ。
緊張をほぐそうぜ、というレベルが最高なのさ。
つまり抜く技がなくて、みんな詰めている感じがある。
これまた日本画でよく例えられる、
空白の使い方がみんな下手になっていて、
なんでもかんでも空白をディテールで埋めようとしている。
空白恐怖症なのかもしれない。
空間も、時間も。
そういえばデジタル時代に、
ライフハックなんて言葉も生まれた。
少しでも無駄な時間を削ぎ落とそうなんて考え方は、
何もない時間を楽しもうなんて発想とは真逆の、
時間の空白を何かで埋めないと気が済まない、
空白恐怖症の一種かもしれない。
スマホをいじるようになって、
僕たちは待つのが下手になった。
ケータイのない時代、
僕らは何もせずぼーっと待ってたよね?
人間にはそのぼーっとした時間は重要で、
「時間」を扱う映画にそれが必要ないわけがない。
今回のスパイダーマンシリーズは、
空白が埋まりすぎてて息が詰まった感じがする。
インド映画の密度と何が違うのか考えると、
インド映画は濃い大物でみちみちに詰めてくるが、
隙間自体はある感じ。
デジタルのスパイダーマンは、
適切なものでまず全体を固めて、
隙間の空いたところにそれより小さなものをきちきちに詰めて、
まだ空いたところにそれより小さなものを詰めて、
まだ空いたところにそれより小さなものを詰めて…
と、フラクタルにモノが詰まっている感じがした。
デジタルはいくらでも拡大縮小が効くからだろうか。
作品と作者の距離感を、
作者が動くのではなく、ツールで動かしてしまうからかもしれない。
デジタルは変な全能感がある。
隅から隅まで把握しないと気が済まない感じ。
闇を残せない感じ。
箸を休めたいのに、
何分何秒から何分何秒まで箸を休めている、
と計測されているような感覚。
これらを払拭する、
もっとも簡単な方法は、
「何も見ずに一気書きすること」である。
人間の注意力はたかが知れていて、
もっとも大事なところに集中している間、
他は捨てていたりするものだ。
書くことが困難であれば、
二時間かけて喋りを録音して、
文字起こしをすればよい。
一度も停止せずに喋ること。
一時停止をして休んではいけない。
その休む感覚すら作品内容に含むべきだ、
というのが今回のテーマだからだ。
「ここでギャグでも言って休みたい」
という感覚はとても大事で、
それは観客の気持ちと同じだからだ。
つまり、ざっくりいうとスパイダーマンは情報が多いのかも知れない。
デジタル時代に、情報の引き算をすることは、
とても大事だ。
何故なら我々はデジタル生命体ではなく、
アナログ生命体だからだ。
引き算をするということは、
煮詰めたなにかの、たったひとつで勝負するということで、
情報量が多いのは、
そのひとつに自信がないから付け足していくのだ。
今回のスパイダーマンシリーズで、
ひとつだけ気になっていることがあって、
サム・ライミ版に柱としてあった、
「大いなる力は、大いなる責任を伴う」
という太い言葉がないことだ。
どこを切っても出来がいいけれど、
最後に残るのは何もない。
緊張したり箸休めしたりして、
それでも最後に太い言葉を残す、
サム・ライミ版とは、
何かの格が違うとは考えている。
とはいえ、
「そんなものすっ飛ばしてぶっ飛びたい」
というティーンエイジャーの感覚がすごく出ているので、
3で完結または節目になるだろうから、
3本で一つのストーリーと考えるのはあるかも知れない。
結局、ピーターパーカーとは誰か?
というアイデンティティの問題になりそうで、
ここで例の言葉に帰着させるのかも知れない。
僕がずっと気になっているのは、
「ヴィラン」と悪役が微妙に役割が異なることだ。
ヴィランがテーマの逆、つまりシャドウになっていないものが、
あるように思われる。
ヴィランが、自然界の嵐の代わりにしかなっていないのが、
マーベルシリーズの弱点かも知れない。
よく考えれば、サム・ライミ版1でも、
叔父を殺した強盗は、ヴィラングリーンゴブリンと、
関係なかったわ。
そういう意味では、バルチャーもミステリオも、
ドクターオクトパスもサンドマンもヴェノムも、
テーマの逆ではなかったね。
箸休めの部分を取り除くと、
重要な部分が浮き上がってくる。
デジタルの罪は、箸休めを分離しづらくなったことかもだ。
ところで全然違う話で恐縮ですが、このブログの素晴らしい有用さ故に、いつもまとめて読むことの困難さに悲しい思いをしています。
何度か全部読もうと挑戦したのですが、記事数の多さに挫折しました。
加えて近年では、キーボードのお話もなさり、ますます記事数が増えていますね。
書籍としてまとまった形で脚本論をだされるといいのではないかと愚行いたしますが、無理でしょうか。
私は知り合いの電子書籍出版社に、このブログをそれとなく推薦したこともあるのですが、反応は鈍かったです。
ご自身でも以前、どこか出してくれるところはないか? みたいなことをお書きになっていた記憶がありますが、やはりご自身が積極的に動かないと、出版は難しいのかもしれませんね。
とはいえこの膨大な記事を抽出、編纂するのも大きな苦労だということも理解しています。
ただ、大いに傾聴すべき大岡氏の脚本論が、まとまった形で読めないのは、なんとも残念な思いをしています。
まとめ読みの必要性は理解しています。
キーワード検索も限界だろうなあ、
という記事数でもありますねえ。
実際自分でも困っているところです。
一定した固定理論を紐解いて、わかりやすく順に書いているわけではなく、
複雑怪奇なストーリーの正体を、
わかったところから切り崩していく、
という日々のスタイルなもので、
「貴重な一連の思考」の断片ではあります。
全体像も日々変わっているようにも思えるし。
勿論依頼があれば、
噛み砕いて系統的に整理するのはやぶさかではないですが。
数記事これは、というものを編集者に見せて、
それでも芳しくないならしょうがないかもなあ。
過去記事をどういった目的で辿りたいのか、
具体的な例をいくつか教えてもらえないでしょうか。
(こっちからは検索ワードが見えてなくて、
大まかな需要が掴めない仕様に改悪されたので)
タグ付けの話もあったし、
何か手を思いつけるかもしれません。
検索で一通り読んだのですが、これは色々な作品批評の際に言及されることが多いので、読み漏らしもあったかと思い、残念に感じていました。
タグをもう少し、細かく付けていただくのもいいかもしれません。
「脚本論」の項目でありながら、演出論的なお話をなさっている場合もあるような気もします。
「映画批評」の項目でありながら脚本論として重要なことを語っている場合もしばしばあると感じます。
たとえば「シド・フィールド」「三幕理論」「映画批評」など一つの記事にタグを並記するだけでも、参照性は高まるかなあ?
ただブログ冒頭記事の「このブログについて(固定記事)」でも参照性を高めようとご努力なさっているので、あまり多くを望むのは、申し訳ないです。
金を払う価値のあるべき記事を無償でご提供いただき、いつもありがたく思っています。
この程度のことしか思いつかなくて、すいません。
とりあえず右側の部分の「過去ログ」を100ヶ月分表示できるように変えて、一番底まで行きやすいようにはしました。
あと一度に表示する記事数も30に上げときました。
ご利用ください。
スマホで見るときは、一番下に「PC版を見る」ボタンがあり、それだとPC版と同じ表示で見れます。
今回から広告ものを全部オフにしたので、画像読み込みもないはずです。
あとは脚本論自体をサブカテゴリにわけるか(横断的話題の時に困るかもなあ)。