デジタル表現の一番よくないところは、
チートツールになってしまったところではないか?
現実世界では、
何かをしようと思ったら大変な労力がかかり、
犠牲がある。
たとえば現実にかめはめ波を出そうと思ったら、
拳法や超能力の修行が必要だ。
反動への備えや、連発の使い方にも習熟する必要がある。
デジタルがなく、アナログ特撮でこれを表現することを考える。
空気砲を使ったり、吊りをやったり、粉を飛び散るように仕込み、
反動表現も体で表現しようとするから、
苦労が見える。
その苦労をしたらする分だけ、画面に映り、
それが「拳法や超能力の修行の大変さ」に比例して見えるようになる。
デジタルはそれを一切せずに合成で済ます。
そのエフェクトを1から手作りすればまだあるかもだが、
それすらテンプレのパラメータを弄ればOKだ。
つまりデジタル表現はチートツールだ。
安価に楽にアナログ特撮と似たような効果が作れる、
とチート出来ているように思えるのだ。
ところがそのチートが罠だ。
苦労してないことが仇になって、
「とりあえずデジタル」の安易な考えになる。
だから、「拳法や超能力の修行の苦労」
を考える深みがないのだ。
1カット2カット、はいデジタルエフェクト足しておしまい、
の絵で仕上げてしまう。
アナログ特撮で2カットで表現するのとは、
気迫が違ってくる。
その気迫や苦労の差が、
アナログとデジタルの差かもしれない。
アナログは、作った凄さが伝わってくる。
細かい絵なら「これ全部手で描いたの?」って凄いとなるし、
大きな彫刻なら「これ全部手で作ったの?」ってなる。
デジタルはどれだけ凄くても、
「これ全部手で作ったの?」とはならなくて、
「デジタルって便利」にしかならない。
それはつまり、「拳法や超能力の修行の苦労」が、
ちっとも伝わってないってこと。
なぜデジタルだと苦労が伝わらないのかな。
アフターエフェクトのレイヤー組みや、
マスクの追っかけの大変さを皆知らないからか。
いや、
多分みんな、コピペ無限回のチートさを、
知ってるからかもしれない。
「え?CGは全部自動で作ってくれるんでしょ?」とか、
「え?コピペしてくればいいんでしょ?」という勘違いは、
コピペというチートツール扱いをしている証拠だ。
僕はやっぱり手描き手塗りが好きで、
「そこまで苦労した気迫」こそが、
作品の魂になると思う。
デジタルは、それがチートツールにしか見えなくて、
それは芸術としての資格があるのだろうか?
と思っている。
文章を例にしたほうが分かりやすいかもだ。
この文章は、僕が手で書いてるから伝わる。
仮にこれが優秀なディープラーニングによる、
自動生成だったら?
どんなに内容が素晴らしくても、
「なんだコピペか」にならないか?
その意味のなさが、チートツールの運命かもしれない。
2019年07月23日
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