第三者視点とはどういうことか。
科学的視点と、社会的視点とでも書いてみる。
ネタバレ含みます。
科学的視点の話から。
僕がとても違和感を抱いたのは、
事件の解決後、
三年経っても雨が止まない世界となり、
東京が水没したこと。
これ自体はアイデアとして面白いが、
ディテールの詰めが全然だと思った。
だってただ水没しただけの絵になってるから。
「水上バスが発達している」
というのは視点として面白い。
で、あの水は淡水?海水?
それすら考えられていなかった。
藻が発生していない。
干満がない。
フジツボがいないし、フナムシもいない。
そもそも水はあんなに綺麗じゃない。
東京湾の水でしょ?
三年も雨が降り続いて、河川工事やダムが持っているのか?
数年前の鬼怒川を思い出せばわかるが、
あの鉄砲水が定期的にあって無事か?
川の水量は半端なく、暴れるだろう。
それらの治水はどうなってるの?
一回の大雨じゃなくて、
「毎日体積分の雨が通過している世界」は、
ああなっていないだろう。
街はカビる。朽ちるのが速い。
コンクリだって持たない。雨漏りがなぜない?
汚水は?トイレは水に流すの?
水道や電気の供給は、地下を通れなくなっている。
毎日雨が降るのに慣れたら、
傘をさす人はいなくなるだろう。
みんなカッパだろう。
北海道の人が雪に傘を差さなくなるみたいなことだ。
地元民はカッパ、東京に初めて来た人は傘、
とコントラストがあるだろう。
魚は釣れるの?
あらゆる産業が高くなるだろう。
東京以外が雨が降ってないなら、
みんな移住して、たとえば横浜が首都機能を果たすはず。
政府が移動し、皇居も移動するはず。
雨の街に残るのは、貧乏人だけだ。
あの冠水は絶対汚い。
ゴミだらけになるし、虫も湧く。
湿気を好む虫の天国になる。
ビルで何を働くことがあるのか?
むしろビルが先にダメになり、
日本家屋のほうが腐りつつあるが持っている、
みたいになるだろう。
都会のどこかで車が横転したままになってたけど、
三年経ったようにはみえなかった。
錆びるはずだし、藻やフジツボが付くだろう。
植物の日照時間は足りてるのか?
柵にはツタが増殖してたけど、
ほんとにそうかな。
強い植物以外は全滅するでしょ。
山は土砂崩れするし、地すべりは起こるだろう。
地盤は緩くなるし、植物の根が増えなくなるし。
(逆に、日照は足りてるとして、
植物が異常成長と設定してもよかったはず。
たとえば打ち捨てられた福島の植物のように)
雪は降るの?
山に植物がないとしたら、
山は保水しなくなるから、
雪解けで洪水になることは明らかだ。
そんなのを三回経たあとには、全く見えなかった。
ただ大雨できれいな水に浸かったようにしか見えなかった。
海水と混ざる喫水域とか、何も考えられていない。
その違和感を感じたのは、
探偵事務所が水に浸かったときだった。
絵的にきれいに描きたいのはわかるけど、
実際あの水は相当汚いぞ。
透明じゃなくて、何か嫌なものが溶けた、
黒い水になっているはずだ。
事務所が綺麗な水で冠水するはずがない。
マンホールが吹いてた描写もあったし、
汚水も入っていることだろう。
水は世界で最も優れた溶媒である。
なんでも溶けている。
溶けてない水(純水)を作るのは難しい。
煮沸はできても、蒸留しないといけないからね。
これらの、水に関する科学的考察が、
なんらなされていないのがおかしかった。
水上バスはビジュアルとして面白かったけど、
そんなのが発達するほど人が残っているとは思えない。
社会的視点。
テレビ局はどこに?関西移転?
ネットはどうやって引いている?
有線ケーブル?メンテは誰が?
無線の基地局のメンテは?
人の気持ちは陰鬱なの?
通常通りなの?
食料の供給は?
魚の養殖とかやってないの?
コンビニはないよね?流通が止まってるから。
こんな時にオフィスでどんな仕事があるのか?
ビルメンテサービスや、排水設備会社や、
雨漏り修理会社は儲かるか?
つまり、
「私たちの東京での都市生活がそのままで、
雨だけ溜まった世界」を維持することは不可能なはずだ。
「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」では、
ラムがこうだったらいいのにな、
と妄想する世界が出現する。
世界は全滅し、我が家だけがあるのだが、
何故か新聞は配達される。
これはギャグとして機能した。
「おかしい、そんなはずはない」と言えたからだ。
この、我と彼を見る視点がない。
うる星やつらは、荒廃したら都市生活を送れないと分かっている。
天気の子は、荒廃しても都市生活を送れると思い込んでいる。
後者は、子供部屋おじさんだ。
与えられた世界はいつまでも続くと思っている。
それは何かによって維持されていて、
それを絶たれたらなくなることまで想像できていない。
つまり、東京が子供部屋なのだ。
子供部屋が水風呂みたいになったら面白い、
という発想は子供のもので、
「仮にそうなったら大変だな」と思うのが大人だ。
この、大人の視点が何もなかった。
セカイ系は、
世界が与えられて固定されていると考える、
子供の発想だと僕は思う。
世界は改変できるし、
世界には既に支配者がいるし、
一元的支配ではなく、第三者の有象無象で運営されている、
と考えるのが、子供でない世界の捉え方だと思う。
セカイ系は、
固定された世界にすむ、
ぼくときみの話だ。
他に人はいない。
子供部屋から出られない子供が、
理想の他人と何かをするだけのメアリースー。
つまりそれって、
胎盤と母親を求める幼児にすぎない。
わたしたちはクリエイターである。
わたしだけの妄想にセカイ系を使うのは個人の自由だ。
しかし作品として世に問う場合、
第三者に晒すことになるわけだ。
第三者のいる外の世界は子供部屋ではない。
外の世界の第三者が人生を生きている世界である。
妄想の中のセカイとは異なる場所だ。
異なることを知れば、
子供の妄想は捨てて世界認識を変えるべきか、
子供の妄想は妄想として大事にして、
第三者の世界とどう距離を取るか、
クリエイターが決めなければならない。
現実を見て現実を変えようと思えば、
クリエイターではなく実業家や政治家になるかも知れない。
現実を見て妄想と重ね合わせて楽しむ人は、
セカイのフィクションと、
世界のノンフィクションの重ね方を、
作品で定義するべきだ。
それが「世界に対するその人の責任の取り方」だ。
セカイ系を書く子供部屋おじさんは、
つまりその責任能力がない。
それは、第三者を楽しませる娯楽ではない。
なんて言ったっけ?
世界は狂ってるって?
どう狂い、何が正しく、どう責任を取るかが、クリエイトだ。
子供部屋おじさん同士で責任回避して、
ヘラヘラと共有してなさい。
こんなにも子供の妄想に付き合わされたスタッフは大変だし、
こんな子供の妄想の垂れ流しを許可した、
配給の大人たちにも責任はある。
作者新開は子供だから自覚がないので、
まととな大人が責任を取るべく、
責任範囲を守るべきだった。
ヒットの次の作品を急いだ、金の亡者ども。
日本を滅ぼすつもりか。
10年前、僕のデビューは間違いでした。
色んな人に脚本をズタズタにされて、
みんな「これでも面白いよ」って言って、
僕は降りることを選べない状況でした。
映画が脚本で決まることは明白で、
だから僕は脚本の大切さを訴えるためにここを書き続けていて、
次のチャンスを待っています。
次詰まらなければ才能がないのでしょう。
ファンタジーアニメで科学的なリアリズムを突き詰める必要は無いとは思います。
ですが、主人公が物理的なカタストロフを起こす物語で、そのカタストロフの描写が小学生でもちょっと考えれば『おかしくない?』と思うようなデタラメな描写というのは物語そのものを無価値にしてしまいますよね。
水没した町を舟で通勤とかいう話を聞くと、東京を舞台にポニョのビジュアルイメージをやってみたかっただけなんではないかと思ってしまいます。
ポニョの水はリアルの水じゃなくて魔法の水だから高台まで全部水没していてもおかしくはないんだが、そんな事も考えてないんでしょうねぇ、困ったものです。
現実世界を一応舞台にしているなら自分の出したビジュアルに責任をとって欲しいもんです。
物語の中では「嘘はひとつだけ」という基本ルールがあります。
1. 晴れ女がいて、天上界の人柱
2. 雨が3年降り続いて東京水没
のどちらかしか嘘になれません。
1.のディテールが嘘ならば、2.のディテールは「まるでほんとう」のようになるべきです。
2.を現状レベルにファンタジーとするならば、1.はリアリティーのレベルをあげるべきです。設定ガッツリ組んで。
1.を(フィクションとしての)嘘だと判定して、2.の詰めの甘さを批判したつもりです。
それも嫌っているセカイ系と、こども部屋おじさんをこじつけて中傷しているような。
いや、それより新海監督のほうがお嫌いかもしれませんね、良い所は一つも挙げなかったくらいなので。
人は自分の見たいものばかり見てしまう。他者を批判するとき自分の受け入れがたい否定的な面を相手に投影する。
なにかを批判するとき、その人の負の部分が浮き彫りになるようです。
自分に都合のいい想像や思考の檻のようなセカイに閉じこもっていないで。
いっそ外に飛び出して、嫌っているセカイ系の作品でも書いてみてはいかがでしょうか。
下手なセカイ系でも成功してる人がいるのですから、きっとあなたなら面白いものが書けるはずです。
いつまでも嫌いなもの都合の悪いものを排除した、こども部屋に引きこもっているよりいいでしょう。
過去記事を遡れば分かりますが、
「君の名は」や「ほしのこえ」は評価しています。
この記事だけの感想ならばそう見えるかもしれません。
ここは脚本のことだけをひたすら論じているブログで、
よくないものの代表としてメアリースーがありますが、
セカイ系はすぐにそこに落ち込みやすい危険な素材と考えます。
詳しくは脚本添削スペシャルまとめ(トップ記事から辿れます)
をご覧ください。
早よ書けや、に関しては精進したいと思います。
あの雨は龍神が振らせてる雨なんですよ?
それなのに普通の雨と無条件に同じ事になるんですか?
視点とか言うならこういう視点も必要だと思うのです
あと合羽の始末の悪さも考えた方が良いですね
それとセカイ系というのは短歌や俳句みたいにテンプレがあって享受者の知識や経験や感性に依存した作品群です
「月」と書けばそれは満月で場面は夜で体勢は見上げていて、それに女性の記述が有って漱石の知識があれば告白の場面かな?と読み手が想像するセカイと一緒なのです
だから
水上バスが発展し須賀がライターの事務所を立派にしてるってことは人間は逞しく使える物は使って適応し発展もさせてる
桜が咲いてるってことは狂っていても四季は存在してる
陽菜が祈ってたってことはそう言う状況が有ったとしても帆高と同じ罪悪感を彼女もずっと持っていた
と言う風に連想するものなんです
つまり貴方がここで書き連ねた疑問や指摘は不粋や蛇足の類だということですね
元より魔法の水であったポニョではないのですよ。
余談ながら、レインボーブリッジの橋桁が水没するレベルで50メートル海面が上がると三鷹市、武蔵野市辺りを残して東京は全て海になるようですよ(笑)
物語の原則は、「嘘は一つまで」です。
「龍神が雨を降らせる」を嘘に設定した場合、
レインボーブリッジが水没して三鷹市が沈まなくてもいいし、
清い水のまま腐敗が進まなくてもOKです。
しかしその場合、「金床雲の上の草原」
というこの物語オリジナルのビジュアルが嘘で無くなります。
これが一点この物語の嘘なので、
「天上界があり、魚が生息し、人柱があれば雨は止む」
をまるっと嘘として認めた場合、
嘘は二つとなってしまいます。
ただ、「天上界が雨を降らせる」をまるっと嘘として一つに考える手もあります。
しかしその場合、「なぜターゲットが東京か」「いままでそうでなかったのに、突然東京だけを集中しているのは何故か」
にある程度答える必要があると考えます。
「龍神が人間の愚かさが東京に集中していて、
東京の人間の数を減らしたいから」でも構いません。
しかしそうすると「NYでなく東京なのは何故か」
というグローバル時代の疑問が湧いて来ます。
仮に「全部神の思し召し」だとしましょう。
そうすると人間のやったことが、
「銃を拾って警察から逃げたこと」という、
とても小さなドラマに矮小化されてしまいます。
人間が影響出来ない神の世界と、
刑事ドラマよりしょぼい人間のストーリーが、
混在するストーリーとなります。
それはちっとも面白くないですね。交わらないスケールの違う二つが並存してるだけだから。
ということで、
つい、「天上界と人柱」を嘘と規定して、
「東京水没」はリアルな雨によるもの、
と考えたくなる観客側の心理が働くのだと考えます。
この物語は、
「どこからどこまでを嘘と規定するか」で、
解釈が異なってきます。
僕は二人の恋すら嘘っぽく感じるので、
じゃあ全部嘘じゃんと感じます。
それを記号論でクリアしようとするところに、
アニメの闇を感じますね。
重複してたら無視して下さい
>YAS-Eさん
劇中で空の魚が雨と共に大量に降ってきてましたよね?
なのでファンタジー的解釈だって可能だ思うんですよ
あと三鷹あたりまで水没というのは「何もしなかった」数値だと思うのですがその辺どうなんですか?
>大岡さんへ
「空は海よりずっと深くそこに未知の生体系が存在する」
劇中の言葉を借りると嘘はコレ一つだと思うんですが?
それと対比によって鮮明化する手法だって有ると思うんです
人間側の行動が小規模だからってそれだけで否定するのはいかがなものですかね
最後に、何ですかアニメの闇って?w
>最後に、何ですかアニメの闇って?w
子供の成長をうながさず、
子供のままでいいんだという逃避先になることです。
それで金を稼いでいることを作り手が自覚していて、
むしろ客を成長させないで、
ループさせることでお金を継続的に得ていることです。
子供の成長には、自分の意のままにならない他人がいる、
という自覚が必要で、それは敵とは限らないと知る、
全能感を捨てるところからはじまると考えます。
これは、キャバクラが儲かるのと同じ原理です。
クローズドな場所なら良いですが、
僕は映画はオープンであるべきと考えます。
>子供の成長をうながさず
そもそもこの認識が齟齬の元な気がするんですが、成長するしないは個人の資質であってコンテンツの所為じゃないですよ?
>全能感を捨てるところからはじまると考えます。
根拠の無い全能感が主症状の厨二病を黒歴史としてるオタクなんて定番ネタになるくらい居ますけどね
ちなみに俺はいじめられっ子だったので全能感なんて全然持ちませんでしたが
>これは、キャバクラが儲かるのと同じ原理です。
ぶっちゃけキャバクラは牡としての成長を促進しますけどね
その点政治とか宗教のほうが填まった人をよっぽど成長させない気がします
>僕は映画はオープンであるべきと考えます
なんか映画はオープンであるべきって言う考えが映画を逆に狭めている気がします
全国300館規模公開の映画に、
社会的意義が存在しないわけがありません。
公開であれば出版の義務と同じです。
この数週間だけでなく、
映画は三年、十年、百年経ったあとも見られます。
その射程が短すぎることは、批判の対象です。
天気の子はオリンピックで加速的に変わってる東京の景色を伝えたいっていう三年、十年、百年先のことも考えた映画ですけどね
現にあの廃ビルはある種の名物でしたがもう解体してますし
私も最近知ったのですが、ライ麦畑でつかまえてが愛読書の男が銃を持つというのは素人には只の組み合わせですが、
少し知識がある人にはジョン・レノンを殺したチャップマンの記号なんですってね
それを知ったあとにもう一度見るとまた違った味わいの映画に見える不思議があるのですが、それを問答無用で排除するのは寂しいと思うますよ
あと漫画での知識ですがセカイ系みたいに細かい説明が無く理解には観客に知識や考察を多大に要求する
第七の封印って名作映画も有るらしいので毛嫌いすることも無いと思うんですよホントに