2019年07月26日

喧嘩を書こう

ストーリーとはコンフリクトである。
その最も直接的な表現、喧嘩を書こう。


肉体的なコンタクトを伴ってもいいし、
口喧嘩でもいい。

喧嘩するには、双方が喧嘩するつもりでなければならない。
どちらにも引けぬ理由があり、
どちらにも通したい欲望や目的があり、
リスクを冒してでも前に進みたいし、
理屈ではなく感情の深い部分でそう思ったりする。

僕は冷静に喧嘩する
(相手を逃げ場のないところに追い込む)ことは、
よくやるけれど、
それはコンフリクトではなく一方的な策略なので、
喧嘩ではない。

喧嘩は50:50の状態でやるものだ。
7:3くらいでやることもある。

口喧嘩だろうが肉体的喧嘩だろうが、
とにかく激しくぶつからないと喧嘩にならない。


21世紀は、そうしたことを避けてきたように思う。
昔はもっと喧嘩していた。
クールとかスマートばかり重んじられ、
感情的になったり大声を出すことはレベルが低いとされる。

でも、いざとなったら戦わなくてはいけないのだ。
喧嘩慣れしてないやつは、
喧嘩する前に恐怖で敗北する。
喧嘩を避けて「あれは酸っぱいブドウだ」と嘘をつく。

実人生は別にそれで構わない。
好きなようにすればいい。

しかし物語はそうはいかない。

コンフリクのない物語はあり得ないし、
現実のコンフリクトより面白いコンフリクトを見せるのが、
フィクションのエンタテイメントというものだ。

だから、ストーリーとは喧嘩の娯楽なのだ。


殺しあってもいいし、
何かの手で追い込んでもいい。
とにかくもつれ合い、取っ組み合うことだ。

やっているうちに妥協したり、
目的を修正したり、
相手を泳がせたり、
痛い決断をしたり、
余裕を失ったり、
折れ線になることがあるだろう。
それも展開である。

で、最終的に、
どう仲直りするのかまでが、コンフリクトだ。

相手に人生を生きる価値がないほど、
悪だったりすれば、
殺したり幽閉したり追放したり、
立場の低い所へ追い込むことで解決になるが、
それほどでもない場合、
仲直りしなくてはならない。

それが喧嘩する前より良い結論になっていない限り、
一件落着とは言えないだろう。


喧嘩を描くとは、
つまり一件落着まで描くことなのだ。

ストーリーとはコンフリトである。
つまり、
喧嘩と一件落着のペアである。

喧嘩を書くのが得意にならない限り、
ストーリーなんて書けないはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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