2019年07月27日

属性による短絡な判断

昨日の目黒の怪女の件を考えていて、
属性で判断する危険のことに気がつく。


身なりがきちんとしているが心に闇を抱える女オタク(風)。
オタクは心が弱い。
切れるときは大声で切れる。弱いものが吠えるように。
オタクは糖質予備軍。

このような偏見が僕にはあるわけだ。
それは属性による紋切り型判断だと言える。

一方、向こうの中にも、
目付きが悪い中年男は犯罪をしそう、
というような属性偏見があるのだろう。

これらは交わることのない誤解なのだと考えられる。
どれだけ相互理解出来るかは、
話し合ってみないとわからないけれど。


で、勿論これは脚本に使えるなあ、
と思っていたのが本題だ。


キチガイだと思っていたのがまともで、
まともだと思っていたのがキチガイ、
というようなどんでん返し作品はすぐ作れる。
その表現に、
このような属性による偏見や誤判断を加えれば、
リアリティーが増していく、
というどけのことだ。

さらに別のことにもこれらは利用できる。
見た目や属性による偏見や誤認と、
中身や事実が違う話は、
いくらでも作れるだろう。


ところで逆の方から眺めると、
「偏見を助長する」という理由で表現狩りが行われるに違いない。
僕が昨日見たようなオタク的糖質を描けば、
「オタクは犯罪予備軍ではない」
「糖質は犯罪予備軍ではない」
などといった批判が寄せられることが予想される。

逆なんだよな。
現実の偏見を、道具として使うことで、
現実を批判しているのだが。

「偏見を助長する」という人は、
じゃあなんなら満足するのだろうね。
人間には偏見がないとでもいうのかしら。
人間は所詮常に偏見の塊であり、
問題があるとしたら、
「偏見を偏見と自覚して修正する」が出来ないこと、
つまり凝り固まりではないかと思うがね。

ということで、
僕は「たかが物語に偏見を助長されるレベルの子供は、
フィクションを楽しむ資格がない」
と批判するけれどね。


属性偏見を利用せよ。
どんでん返しの道具として有用だ。

「いい人だと思ってたら詐欺」なんて普通にあるぜ。
posted by おおおかとしひこ at 14:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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