昨日の目黒の怪女の件を考えていて、
属性で判断する危険のことに気がつく。
身なりがきちんとしているが心に闇を抱える女オタク(風)。
オタクは心が弱い。
切れるときは大声で切れる。弱いものが吠えるように。
オタクは糖質予備軍。
このような偏見が僕にはあるわけだ。
それは属性による紋切り型判断だと言える。
一方、向こうの中にも、
目付きが悪い中年男は犯罪をしそう、
というような属性偏見があるのだろう。
これらは交わることのない誤解なのだと考えられる。
どれだけ相互理解出来るかは、
話し合ってみないとわからないけれど。
で、勿論これは脚本に使えるなあ、
と思っていたのが本題だ。
キチガイだと思っていたのがまともで、
まともだと思っていたのがキチガイ、
というようなどんでん返し作品はすぐ作れる。
その表現に、
このような属性による偏見や誤判断を加えれば、
リアリティーが増していく、
というどけのことだ。
さらに別のことにもこれらは利用できる。
見た目や属性による偏見や誤認と、
中身や事実が違う話は、
いくらでも作れるだろう。
ところで逆の方から眺めると、
「偏見を助長する」という理由で表現狩りが行われるに違いない。
僕が昨日見たようなオタク的糖質を描けば、
「オタクは犯罪予備軍ではない」
「糖質は犯罪予備軍ではない」
などといった批判が寄せられることが予想される。
逆なんだよな。
現実の偏見を、道具として使うことで、
現実を批判しているのだが。
「偏見を助長する」という人は、
じゃあなんなら満足するのだろうね。
人間には偏見がないとでもいうのかしら。
人間は所詮常に偏見の塊であり、
問題があるとしたら、
「偏見を偏見と自覚して修正する」が出来ないこと、
つまり凝り固まりではないかと思うがね。
ということで、
僕は「たかが物語に偏見を助長されるレベルの子供は、
フィクションを楽しむ資格がない」
と批判するけれどね。
属性偏見を利用せよ。
どんでん返しの道具として有用だ。
「いい人だと思ってたら詐欺」なんて普通にあるぜ。
2019年07月27日
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