僕は自由が丘盆踊りガチ勢なのだが(本日初日)、
初めて聞いた東京五輪音頭2020の出来が悪く、
閉口した。
1964版をそのまま持ってきて、
歌唱違いアレンジ違いをやろうとしてる基本姿勢がまず良くない。
攻めていない、守りに入っているのが今の日本の象徴である。
新しい価値を築こう、ではなくて、
手に入れた繁栄を手放したくない、
誤魔化し誤魔化し使っていく、
という本音が透けて見える。
この志の低さが第一に酷いと思った。
次に酷いと思ったのは、リズムの変調だ。
あれ、面白いと思ってやってるのかね。
盆踊りの真髄は、ループ音楽によるトランス状態である。
左右対称の短い振りを延々繰り返すことで、
忘我に至ることが祭りの意味だ。
この太古からの音楽の意味を理解せず、
末尾に早回しとゆっくりと早回しが、
ただの「俺面白いこと思いついたでしょ?」で鼻につく。
実際、みんな間違えて戸惑っている。
太鼓方さえ間違えて大混乱。
ちっとも楽しくない。
第三の問題はボーカルの骨の細さだ。
三波春夫のど真ん中の歌唱に比べ、
なんとセコイボーカルか。
調べると、石川さゆり、加山雄三、竹原ピストルだそう。
石川さゆりはまだましだけど、美空ひばりには劣ると思う。
加山雄三はもうダメかも知れない。
全然伸びてないし、腹が据わってない。
着物着て歌った方が腹が決まったのではないか?
ポップスに必要な技術と音頭に必要な領域は異なる。
音頭のJポップアレンジと言えなくもないが、
どっちつかずになっていてげんなりだ。
振り付けも酷い。
競技のフリを盛り込んできたのはわかるけど、
多すぎ複雑すぎ長すぎ。
民草の踊りレベルでの、
ループによる忘我を理解してないと思う。
全体的に、
護送船団方式で集めただけのものに見える。
このやり方はもう通用しないのではないか?
このやり方とともに、東京は沈んでいく未来が見えた。
こんなに暑いのにマジで来年やるの?
韓国不参加どころか、ボイコットする国が出てくるんじゃないか?
10月にやればいいじゃん。
このグズグズが音頭の出来に比例していて、
上級ごときにこの国の文化は任せられないと感じた。
五輪音頭2020のあとに、
五輪音頭1964版も流れる。
シンプルで力強く、昭和の素晴らしさに満ちている。
三波春夫の芸は芸の領域だ。
2019年08月01日
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