2019年08月01日

【日記】東京五輪音頭2020が酷い

僕は自由が丘盆踊りガチ勢なのだが(本日初日)、
初めて聞いた東京五輪音頭2020の出来が悪く、
閉口した。


1964版をそのまま持ってきて、
歌唱違いアレンジ違いをやろうとしてる基本姿勢がまず良くない。

攻めていない、守りに入っているのが今の日本の象徴である。

新しい価値を築こう、ではなくて、
手に入れた繁栄を手放したくない、
誤魔化し誤魔化し使っていく、
という本音が透けて見える。
この志の低さが第一に酷いと思った。

次に酷いと思ったのは、リズムの変調だ。
あれ、面白いと思ってやってるのかね。

盆踊りの真髄は、ループ音楽によるトランス状態である。
左右対称の短い振りを延々繰り返すことで、
忘我に至ることが祭りの意味だ。

この太古からの音楽の意味を理解せず、
末尾に早回しとゆっくりと早回しが、
ただの「俺面白いこと思いついたでしょ?」で鼻につく。

実際、みんな間違えて戸惑っている。
太鼓方さえ間違えて大混乱。
ちっとも楽しくない。


第三の問題はボーカルの骨の細さだ。
三波春夫のど真ん中の歌唱に比べ、
なんとセコイボーカルか。
調べると、石川さゆり、加山雄三、竹原ピストルだそう。
石川さゆりはまだましだけど、美空ひばりには劣ると思う。
加山雄三はもうダメかも知れない。
全然伸びてないし、腹が据わってない。
着物着て歌った方が腹が決まったのではないか?
ポップスに必要な技術と音頭に必要な領域は異なる。
音頭のJポップアレンジと言えなくもないが、
どっちつかずになっていてげんなりだ。


振り付けも酷い。
競技のフリを盛り込んできたのはわかるけど、
多すぎ複雑すぎ長すぎ。
民草の踊りレベルでの、
ループによる忘我を理解してないと思う。


全体的に、
護送船団方式で集めただけのものに見える。

このやり方はもう通用しないのではないか?

このやり方とともに、東京は沈んでいく未来が見えた。



こんなに暑いのにマジで来年やるの?
韓国不参加どころか、ボイコットする国が出てくるんじゃないか?
10月にやればいいじゃん。
このグズグズが音頭の出来に比例していて、
上級ごときにこの国の文化は任せられないと感じた。

五輪音頭2020のあとに、
五輪音頭1964版も流れる。
シンプルで力強く、昭和の素晴らしさに満ちている。
三波春夫の芸は芸の領域だ。
posted by おおおかとしひこ at 21:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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