2019年08月06日

足した部分が詰まらない(「DQYS」評3)

問題のラスト10分。
そこが足された部分なのだが、
そこがストーリーとして詰まらない。

以下ネタバレ。

サラリーマンがVRドラクエを懐かしいと思い、
体験するが、
何故かそれがウイルス感染していて、
アンチウイルスが何故かお供のスライムで、
スライムがウイルスを退治して、
主人公はVRに戻れました、
というストーリー。

あれ?
主人公なんもしてないやん。
主人公スライムやんけ。
主人公ですらなく、プログラムやんけ。
しかも誰によって作られたんだ?
運営サイドのプログラマーによってだよね?

ということは、
「遊園地のジェットコースターに乗ったが、
最後らへんで故障が見つかり、
慌てて運営が修理して、
最後まで楽しめました」って話だよね?

なにがおもろいの?

それで「ジェットコースターは本物の冒険なんだ!
あのカーブもあの宙返りも生きてるんだ!」
ってテーマに落とされてもね。
「コンティニューユアジェットコースター
(再び金を払ってください)」
ってメッセージを出されてもね。

ここが何もかもストーリーとしてダメだから、
この付け足し部分は不要なのだ。


ドラクエを馬鹿にしてるとか、
フィクションへの冒涜というよりも、
そもそもこの付け足し部分が、
ストーリー形式すなわち、
「主人公が日常を外れた異常で危険な事態を、
知恵と工夫で(仲間と)乗り切り、見事に解決する」
の形式になってないことが大問題だ。

ジェットコースターの故障に対して、
運営が修理しただけだからね。

主人公サラリーマンはなにもしてない。

こういうのをなんていうんだっけ。
メアリースーです。


メアリースーのサラリーマンが、
リュカになって大冒険する、
という、これはディストピアである。

このサラリーマンが現実で問題を抱えていて、
このVRを経験したことで、
「リュカならここで逃げない」と勇気を出し、
仕事で成功した、
まであって、はじめてVR体験の意味が出てくる。

で、簡単に想像できるように、そんな話つまらない。
なくても、
俺たちがそうだからだ。
フィクションに力を貰うってことはそういうことだからで、
それがフィクションの意味だからだ。


何重にも間違えているから、
説教のしようがない。
しかしなるべく丁寧に紐解いた。


このクソ映画は、
フィクションの紳士協定、第四の壁を崩した、
オリジナルの改悪の最高峰である。

これがゲーム/VRだから成り立つのではない。
小説とそれを読む人、
焚き火で囲む話とそれを聞く人、
漫画とそれを読む人、
ディズニーランドとそこにいる人、
どれでも成り立つ。

つまりこれは、「おはなし」そのものへの冒涜だ。


ゲームやVRがどういうものか、
知らない人が書いた作品だと考えられる。
ゲームやVRは夢のような世界ではなく、
「誰か人間によって巧妙に作られたフィクション」
だとみんな分かってやっているんだよ。
ゲームやVRで「作者糞」「運営糞」ってみんな言うじゃない。
誰かが作ったことは理解してるのさ。
それを知らないで書かれたシナリオであることは明白だ。

(ウイルスが何か自然発生した悪のように描かれていたのも、
ウイルスを知らない証拠だ。
ウイルスには作者がいて、その悪意あるイタズラ、
テロであることを自覚してないシナリオだ。
ウイルス、VR、アンチウイルスに姿を変えたとしても、
悪人、リアルワールド、取り締まり、でしかないのに)


どんなフィクションにも作者がいる。
作者がいないのは、この現実だけである。
(仮に神と名付けて擬人化しているが)
posted by おおおかとしひこ at 10:10| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あのクソみたいなオチを
「面白い!」「そうきたか!」などと言って
絶賛してる人々がいて頭が痛いです。
こういう人たちは普段物語に触れない人たちなのでしょうか。
物語というものを知らないから、こんな
悪ふざけみたいなオチも楽しめてしまうのでしょうか。
Posted by 弩パンチ at 2019年08月06日 13:13
弩パンチさんコメントありがとうございます。

詳しく調べていないのですが、
若者の間で、一定数「感情移入できない」という人がいるそうです。
だからフィクションを見ると、死んだりしたほうがキャッキャ喜ぶんですって。
心の未発達としかいいようがないですが。
調査があるわけではないので、どういう層なのか把握できてません。

今回の件で褒める人は、
そうした人か、工作員の可能性があります。

Yahoo映画で5点付けてる評をよく見ると、
本編をきちんと見てないことが分かります。
こうした工作バイトはよくあると聞きますので。
言論の撹乱は、実弾(雇う金)があればある程度は可能です。

そこを判断するのもリテラシーでしょうね。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年08月06日 18:44
今更ですが、第四の壁とドラクエで検索していたらこちらを発見いたしました。

第四の壁越境どころか、ただの劇中劇+メアリー・スーという同人誌以下の脚本(演出?)をよく世に送り出せたものだと思っています。

第四の壁越境させたかっただけなら、最後にVRオペレータあたりを登場させて、「もう一度プレイしますか?」「またのプレイをお待ちしております」とか、いきなり実写堀井氏に「近い将来のVRプレイをお楽しみに」と言わせればマシだった気がします。

ヨシヒコが上手くドラクエでモンティパイソン的第四の壁越境を表現できていたと感じていたので、映画版には本当に失望しました。
Posted by 長岡年中無休 at 2019年08月23日 11:56
長岡年中無休さんコメントありがとうございます。

おそらくですが山崎貴は、第四の壁という言葉も、
みんなやってきたけどシリアスでは失敗してきたという歴史も、
その具体例も、
コメディならわりと行けるということも、
デウスエクスマキナも夢オチもその具体例も、
知らないのではないでしょうか。

映画会社に脚本部(文芸部)があった頃は、
こうした失敗の伝統も継承されたのかも知れませんが、
フリーランスが脚本を書く現在では、
個人の勉強に依存されてしまい、
珍品が世に出ることを抑止する力が失われ、
「売れそうだからOK」がまかり通っています。

これは個人の問題というより、
システムの問題と考えていて、
もはや日本では継承が無理かもなあ、
などとちょっと諦めモードに入っています。
それでも脚本を書きたい人はいるだろうから、
ここがそうした場になるといいなあ、と思って、
毎日脚本の何かを書くことにしています。


これがDQVR(出るのかは知らないけど)の、
壮大なる宣伝ムービーならましだったかな。
いやタダでも見なかったか。時間返せ、ですわな。

つまりこの映画には、二時間付き合わせるだけのテーマがないのです。
「Continue Your Adventure」が本当にテーマなら、
「リュカは冒険を恐れる弱い子供であり、
だれか(たとえばビアンカ)に影響されて、
少しずつ冒険の面白さ、価値、
命と引き換えにしてでもやるべきことを知っていく」
というストーリーになるべきでした。

物語の中の情報だけですべてを完結させるのが、マナーでしょうね。
Posted by おおおかとしひこ at 2019年08月23日 12:16
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